深夜とハイフィーバー

いつも通り消灯時間に眠ったはずなのに、なんとなく目が覚めて水を飲みたくなった。部屋に備え付けられている時計を確認すると時刻はまだ一時で。普段は朝まで起きないくらいじっくり眠れるのに、今日はなんだか変に気分が高揚としているような気がした。
何度か目を瞑っても眠れる気配はこないので、クールダウンのために自販機でミネラルウォーターでも買おうとベッドから降りて自室を出る。
夜になると鈴虫の声が聞こえる季節にはなったけれど、部屋の外に出るとまだじんわりと暑さを感じた。早く涼しくなってほしいものだ、と思ってもなかなかそうならないのが気候の難しいところだ。自室から食堂の横に備え付けられている自販機に向かえば、暗がりの中煌々と光る何かがあるのが見えた。

「雄?」
「あぁ、なまえか」
「何してんの?こんな夜中に。建人に怒られるよ」
「わかってるって」

光に近づいていくと、自販機の側に備え付けられているベンチに見知った人間が座っているのが見た。声をかけると彼は手元の携帯電話を止めて、視線をわたしに向ける。最初は苗字で呼んでいたけれど、同じ空間で二年も時間を過ごせば呼び方に変化が出るのもなにもおかしいことではない。建人は名前で呼ばれるのはあまり好きではないみたいだけど。

なまえは?こんな時間に何してんの」
「のど渇いたから水買いに来ただけ。雄は?」
「眠れなくてテレビ見てるだけ」

ほら、と携帯電話の画面を見せてきたかと思うと、何かのテレビ番組が映っているようだった。テレビは数えるくらいしか見たことがない、というのは硝子先輩と歌姫先輩以外にはしていない話だ。

「なに?これ」

画面をのぞき込みながらそう言うと、灰原は驚いた顔をした。え、なに、そんなに有名なのこれ。流行の最低限は硝子先輩や歌姫先輩が話してくれるからなんとなく覚えるようにはなったけれど、彼女たちから聞かないものは一切わからない。もう少しアンテナを張った方がいい、とは歌姫先輩からよく言われるけれど、そんなことより修行とかしてる方が落ち着くのだ。

「え、あ、なまえってお笑い見ないタイプ?」
「見ないっていうか見たことないっていうか。そもそもテレビもあんまり……」
「はーー……禪院家舐めてたわ……やんごとないお家ではテレビ見ないんだな」
「そうなのかな?わからん。わたしの部屋にはテレビはなかったし屋敷の中でも見なかった気がする」
「そういうの改めて聞くと、なまえって本当いいところのお嬢だよな」
「うっせぇ」
「でも口だけは悪いからなんか安心する」

口が悪いことを褒められることは滅多にないけれど、わたしが暴言を吐くたびに雄はほっとした笑みを浮かべるのは一度や二度じゃなかった。安心する、という言葉も何回聞いたかわからない。建人なんて汚い言葉遣いはやめたらどうですか、と諭してくるから鬱陶しいけど。

「雄くらいだよ、そう言うの」
「なんかさ、なまえは家もそうだけど見た目もどこかいいとこの子だなってわかるからさ。そんな奴から俗っぽい言葉とか出ると親近感湧くんだよな」
「なるほど」

そんな会話をしながら、目当てのミネラルウォーターを自販機で購入して、それから雄の隣に腰を下ろした。買ったミネラルウォーターを開封しながら、彼の手元のそれを気にしていると、雄が距離を詰めて携帯電話の画面をまた見せてくる。

「次のコンビ面白いから見てみてよ」
「ん」

ぴったりとくっついてしまいそうなほどの距離に座って二人で小さな携帯電話の画面を見る。画面の中には細身の白い服装の男性と黒のジャケットを着た少しふくよかな男性の二人が映っていた。一本のマイクが二人の間に立っている。これからなにが始まるのか、と思うとそわそわした。
画面の中で繰り広げられる漫才はとても面白くて気づけばくすくすと笑ってしまって。人が話しているだけなのになんて面白いんだ……!と感動した。時間はあっという間に過ぎて、見ていた人たちの出番は終わり、そのまま次のコンビの漫才が始まる。

「面白かった?」
「すっごい面白かった」
「今のコンビ、普段関西で活動してるんだけどさ、すげー面白いんだよな」
「雄は物知りだね」
「俺も妹が教えてくれて知っただけなんだけどさ」

いいもの見せてもらった、とお礼を言うと、目の前の彼は嬉しそうに笑ってうなづいた。気に入ったならおすすめのDVDを貸すよ、と言ってくれたのでお言葉に甘えることにする。
DVDプレーヤーは持ってないから硝子先輩にお願いして見せてもらおうかな、と見当をつけていると、雄がベンチから立ち上がった。

「俺もそろそろ部屋戻るわ」
「りょーかい。わたしもこれ飲んだら戻る」
「早めに戻れよ」
「わかってるって」

男子寮に戻っていく雄の背中を見送って、ベンチにだらしなく寝そべる。興奮したら余計に目が覚めて困った、と思っていると、人の気配を感じて視線だけを動かした。姿が視認できると、さっきまで楽しかった気分が一気に下がる。最悪。さっさと戻ればよかった。

「うわっ、女子にあるまじき姿」
「うっさい五条」
「先輩つけろよ、コーハイ」
「うざ」

寝そべったまま五条の言葉に答えていると、そのままわたしの目の前を通過して自販機で無糖のアイスラテを購入しているのが見えた。夜中なのにカフェインの入っているものを飲むのは神経を疑う。
ブリックパックのアイスラテを取り出し口から取って、そのままストローを飲み口に差して飲んでいた。夜中の一時によくやるなぁ、と思う。

「五条今日は出張でいないんじゃなかったんですかー」
「ざんねーん。天才五条先輩はあれくらいの任務日帰りヨユーでーす」
「チッ」
「舌打ちしない」

舌打ちをとがめられるけれど、直すつもりはない。そういう風に生きてきたから今更矯正する気力もないし。わたしはここを卒業したらこの腐った世界を出ていくのだから、五条に失礼な態度を取ったところでなにも痛手を負うこともない。

なまえがこんな時間に起きてるなんて珍しいね」
「たまには眠れないときもあるんだよ」
「ふーん」

そういえば、とジュースを飲み切ったらしい五条がわたしの方に身体を向けて声をかけてくる。

「さっきは楽しそうだったじゃん」

……やっぱり見られていたようで。こういうところが性格が悪いなぁ、と思う。陰からから見てるくらいなら出てこればよかったのに。

「さすがにクラスメイトとは仲良くなりますよ」
「しっかし、なまえは本当箱入りだったんだね」
「はぁ?」
「テレビもあんまり見たことないってよっぽどじゃない?保守派に囲まれて育てられると大変だね」

他人事のように言われたそれにカチン、と頭に来た。同じような立場のくせに、宗家の中で幅を利かせているこの人は本当にわたしにとって苛立ちの対象でしかない。

「うっせぇな。立場を手に入れている五条様にはわからないでしょうね、えぇ。分家の人間が宗家の術式を持って生まれてきたらどうなるかなんて」

親とはもう十何年も会っていない。届くのは手紙だけで。それでは様子がわからないと愚痴れば、甚爾が誰かに頼んでたまに様子を見に行かせてはくれているから生きてくれていることはわかる。けれど、生きていることしかわからない。本家に連れていかれてからは周囲はわたしを監視するばかりで、うまく術式が使えないと死なない程度に折檻された。わたしに死なれたら困るから、と食事等が抜かれることはなかったけれど。
恵まれた人間にはわたしの気持ちなどわからないのだ。早くここから抜け出して、自由になりたいけれど、高専を卒業するまでは身動きすら取れない。先生たちだってわたしの一挙手一投足を本家に報告しているはずだ。

「本当生きづらそうだな、お前は」

憐れむような言葉に怒りで顔に熱が集まる。これ以上同じ空間に居たら、殴ってしまいそうだ。寝そべっていたベンチから立ち上がって、ミネラルウォーターを片手に持ちなにかを言っている五条を無視して女子寮に戻ることにした。こんなところ、早く抜け出してしまいたい。