二級の任務に行ってくると言って建人と雄を見送れば、雄だけ動かなくなって帰ってきた。人が死ぬのを見たのはそれが初めてで。朝までいつも通りの会話をしていたはずなのに、こんなにもこの世界が無情だと知った。これまでの人生がいかにわたしにとって易しい世界だったのかとさめざめと見せつけられて、心が折れそうになる。硝子先輩はこれくらい日常茶飯事だ、と言うけれど、近しい人を亡くしたのはこれが初めてで、だからこそこんなにも感情を持っていかれるのだと思った。
「え……?夏油先輩が?」
「そう。私たちの学年もふたりになっちゃった」
そう言って硝子先輩は困ったような、寂しそうな笑みを浮かべていて。夏油先輩ほどの優秀な人が、除名。あんなにも非術師のために、と言っていた人がまさか呪詛師になるなんて想像もしていなかった。確かに、何か長期の任務に行った後から夏油先輩――あと五条もそうかもしれない――の様子が可笑しかったような気がする。思い返せばひっかかることはたくさんあって、何もできなかった自分が悔しかった。
雄が亡くなってから、建人も思うところがあるようで、淡々と目の前の任務と授業と課題をこなしていくだけで。小さな歯車が一つ無くなって、歯車全体がだめになったような感覚を覚える。いままでと変わらないのは硝子先輩くらいなものだった。
どこか鬱蒼とした空気が流れる高専内の中を歩いていると、背後から腕を回されて首のあたりをホールドされる。こんなことをする人間は一人しか思いつかないが、その人間とはかれこれ数か月会話をしていなかったと記憶していた。
「よぉ、なまえ」
「なんだよ、五条」
「相変わらず口悪いな。てか先輩を敬いなよ」
「敬える要素がないから無理」
「ハっ、そうかい」
これまでと何も変わらない言葉のやりとりではあるが、小さな違和感を覚える。今までも自信過剰な態度ではあったけれど、今はそれに覇気というかなんというかそういうものが備わっている感じだ。
「お前さ、伏黒甚爾って知ってる?」
「どこで、その名前を」
「そいつ、死んだよ。俺が、殺した」
五条の言葉に不意を突かれて息が詰まった。甚爾が、死んだ。まぁ、呪術師殺しなんてしていたらいつか死ぬとは思っていたけれど、まさか五条にやられるとは思っていなかったので驚かざるを得ない。危機管理能力はあると思ったんだけどな。
「そうか、あの人死んだのか」
わたしの口からは案外落ち着いた声が出た。甚爾はわたしにとっては〝いいひと〟だったけれど、それ以外からはいいひとと思われない人間なのは物心付いたころには理解していたので、死んだという事実は受け入れる。
初めて会ったときに与えてくれたいちごミルクの味も、遊びも、なにもかも全部覚えているけれど、それはわたしの記憶の中に残るだけになってしまった。二人っきりの記憶だから、わたしがあの人のことを忘れたら消えてしまう、ささいな記憶。
「懇意にしてたって割にあんまり動揺しないのな」
「まぁ、いつか死ぬだろうとは思ってたし。死ぬこと自体は不思議じゃない。五条に殺されたっていうのは少し驚いたけど」
「ふぅーん」
わたしの解答がお気に召さなかったのか、飽きたのかわからないが、拘束されていた首元は解放されて、五条はどこかに向かって歩いて行った。甚爾が死んだところで弔う気持ちもない。気がかりといえば、数年前に彼の元に生まれた、恵と名付けられた子どものことくらい。きっと面倒を見る人もいないんだろうな、と勝手な想像をする。甚爾が救われない人生だったからこそ、恵には救われた人生を送ってほしいと思うのは傲慢なのだろうか。
親戚が死んだところで寂しさは覚えても悲しさはない。気づいたときには母は亡くなっていて、父もわたしを見ることなく本家にわたしを差し出して。本家では人間に対して愛着は持たないように育てられた。高専に入るまでは友達のようなものもいなかったのが正直なところで。甚爾がたまに話を聞いてくれるのが唯一の休息時間だったけれど、それも今回無くなった。
どんどん、この呪術界という世界に対する未練のようなものがなくなっていく。禪院家には父の面倒を見てもらっているので、ひとまず従順にはしているけれど、それも高専を出るか術師として本家に対する禊期間が終われば抜け出す予定だ。
目まぐるしく変わる世界に飲み込まれたくなくて、心を落ち着かせるために息を長く吐いた。あと少しの辛抱だから、耐えろ、わたし。
▽ ▽ ▽
面会者がいる、と担任に呼ばれて昼休みに応接室に呼ばれて、教室からそこへ向かえば見覚えのある老婆が座っていた。幼いころにわたしの世話をしていたばあやだ。すっかり小さくなってしまったな、と思ったけれど、わたしが大きくなっただけかもしれない。
「なまえさん」
「ばあや、どうしたの。こんなところまで来て」
先生はわたしが応接室のソファに座ったのを確認すると、応接室から出て行った。禪院の人間がこんなところにまで来るのは珍しい。いつもは本家に顔を出せ、と言ってくるのに。不思議に思いつつばあやを見ていると、彼女は膝の上に乗せた手をぎゅっと掴んで、わたしをまっすぐに見て言葉を放った。
「なまえさん、あなたのお父様が亡くなりました」
「父が……?」
「はい、三日前に」
「死因は?」
「……呪詛です」
「は?」
思ったよりも低い声で反応をしてしまい、ばあやが肩を震わせたのがわかる。父は母が亡くなってからずっと床に臥していたはずだ。それなのに、何故呪詛なんかに殺されるのか。意味がわからなかった。
「どういうことだ、ばあや」
「どこの人間に呪われたのかはわかりません。ただ、なにか大きな蛇のようなもので全身を締め付けられ息絶えている姿が見つけられました」
「それが、三日前だと?」
「さようでございます」
「なぜもっと早く言わなかったんだ」
どうでもいいことであれば何度でも本家に呼び出してはしょうもないことだけ言って帰す癖に。どうして、大事なことは。
「上より止められて居りました。本日もなんとか葬儀の後始末の合間を縫ってここに来た次第です」
「そう」
自分でも驚くほど冷たい声色が口から飛び出た。ばあやのことはそこまで好きではなかったけれど、なんとかわたしに伝えに来てくれたことには感謝をする。もしかしたら来る道中でなにかあったかもしれないだろうに。
「葬儀はもう終わったんだな?」
「はい、昨日に。喪主は上よりの指示で私が代わりに行いました」
「わかった。ばあやには世話になった」
「いえ、」
礼だけを述べて帰るように指示を出せば、指示に従っておとなしく高専から屋敷に帰っていった。本当に、反吐が出るところだ。父もいなくなって、甚爾もいなくなって。わたしを禪院に捕らえておける条件はなにもなくなってしまったということに耄碌たちは気づいているのだろうか。
なんの恩もなくなった今では、このまま高専を卒業して術師を辞める決意だけがこの身に残った。
▽ ▽ ▽
梅の花が校舎の外で咲く頃に卒業式はこぢんまりと執り行われた。卒業証書を建人と二人でもらって、並んで歩きながら寮まで歩いていく。本当なら雄もこの場にいたはずなのに。長くもなく短くもない道を二人で歩いていても、お互い無言だ。わたしたちは元々我関せずなタイプで、その間を上手く潤滑油のような立場で入ってくれていたのが雄だから、会話がなくても仕方がない。
「建人はこのあとどうすんの」
そういえば、と気になっていたことを建人に聞くと、答えはすんなりと返ってきた。
「サラリーマンになる」
「サラリーマンかー似合いそうだな」
「呪術師なんて元々向いてなかったんだよ」
「そうかもな」
「禪院は?家に戻るのか?」
「そんなとこ」
本当のことは誰にも言わない。禪院家には高専所属の呪術師になってしばらく修行すると言い、高専側には禪院家に戻ると話してあるが、実際は中学生のときに甚爾に提案された案を実行に移すだけだ。禪院家も呪術師も呪霊も関係のない、非術師の世界を生きたかった。なににも縛られることなく、ただ、自由になりたい。建人が呪術師になるのであれば少し気まずかったかもしれないけれど、彼も非術師の世界を生きるのならばなんの罪悪感も生まれなかった。同じような未来を選択している時点で、意外にもわたしたちは似たり寄ったりなのかもしれない。
寮の玄関で靴を履き替え、男子寮と女子寮に分かれる入り口の前で建人に手を振る。
「じゃあね」