第一印象が派手なワンピースを着た気のキツそうな女。その次の印象は口が悪い女。
「よぉ、クソ餓鬼」
「ババア……」
「誰がババアだクソ餓鬼」
小学校から帰ってきてもうすぐ家に着く、というところで耳に馴染んだ声に呼び止められた。振り返れば見慣れた女の姿がある。今日も派手なビビッドピンクのワンピースを身に纏い、片手にはタッパーの入ったスーパーの袋を持っているようだった。口が悪いのはいつものことだが、見目はそんなに悪くないのだからちゃんとすればいいのに、と幼心ながらに思わなくはない。
「あ!恵もなまえちゃんもおかえり!」
「津美紀~ただいま~」
「なまえちゃん今日のご飯なにー?」
「揚げ出し豆腐とかき揚げ~」
「やったー!」
アパートの窓から顔を出した津美紀が恵となまえを見つけて上から声をかける。なまえの持ってきた料理のメニューを聞けば嬉しそうにはしゃいでいるのが目に入った。津美紀が喜んでいるからなまえを家の中に入れるのもよしとしよう。
恵と津美紀の両親が出て行ってからずいぶん経った頃、派手なレモンイエローのワンピースを纏ってなまえと名乗った女は突然現れた。
「アンタ誰だ」
「なまえさんだ。年上には敬語使えやジャリ」
大人にそんな口を利かれたのは初めてで、面を食らったことが鮮明に記憶に残っている。両親の記憶がそこまで残っていない恵にとって、大人の印象というのは猫撫で声で自分たちの様子を伺ってくる人間くらいだ。あとは定期的に様子を見に来ている白髪の胡散臭い男くらいか。
「何しにきた」
「アンタたちの親に頼まれてお世話しにきたんだよ」
自分たちの親がそんなことするとは到底思えなくて、疑いの目を目の前の女に向ける。恵の視線に気づいているだろうに、ずかずかと家に上がりこんで部屋の奥にいた津美紀に挨拶をした。
「あなたが津美紀ちゃんね」
「うん、おねえさんだれ?」
「お姉さんはなまえさんだよ、よろしくね。あなたたちの親に言われてここにきたの」
「そうなの?」
「そうなの」
さきほどとは打って変わって恵に見せた態度と真逆な態度で津美紀に接する姿を見て、自分の目がおかしくなったのかと思った。目をごしごしとさすってみても目の前の光景は変わらなかった。
「アンタさっきと態度が違うだろ」
「ジャリにはそういう態度で返すし、可愛い女の子には相応の態度を取ってるだけだよ」
「はぁ?クソババア」
「言ってろクソ餓鬼」
恵となまえの応酬を見ていた津美紀は楽しそうに声を上げた。きゃらきゃらと笑う姿は年相応でとても愛らしいと思われることだろう。
「恵はなまえさんともう仲良しなのね」
「そんなことあるわけないだろ」
「だって恵がそんな口の利き方をしているのは久しぶりに見るもん」
「そーそー!わたしと恵は超仲良しなの!」
「ふざけんなババア!」
「そんな口を聞くのはこの口か~?」
なまえに首に腕を回され身動きが取れないようにされる。いくら抵抗してみても小学二年生の恵では力の差が歴然だった。しばらくの間抵抗していてもなにもできないことを理解したのか、恵が暴れるのを止めるとなまえも腕を放した。
「なまえさん、お父さんたちに言われてここにきたの?」
「そうだよ」
「お父さん、元気?」
「……ごめんね、わたしももう数年会ってないんだ」
「なのに来たのかよ」
「気になるとね、確認するまでずっと気になっちゃう性分だからさ」
「変なやつ」
「よく言われる」
何度悪態をついてもなまえは気にする素振りもなく、無理やり恵の頭を撫でる。厚かましい女だと思いつつ、大人に久しぶりに撫でられた頭に僅かな安堵を覚えた。
なまえと名乗った女は自分のことをこう説明した。
父親と母親と知り合いであること。
俺たちのことは主に母親に頼まれていたこと。
そのためにお金もいくらか預かっていること。
父の居場所は知らないこと。
夜の仕事をしていることも明け透けに教えてくれた。毎度派手なワンピースで来るけれど、気にするなと豪快に笑ったのはよく覚えている。
「だからわたしはアンタたちが帰ってくる頃に来て、夜にはここから直接仕事に行くわ」
「勝手にしろ」
なまえがうちを出入りするようになってから、驚いたことがある。アパートの中やアパートの前の道路をうろうろしていたそいつらの数が目に見えて減ったのだ。初めは気のせいかと思ったが、そうではないらしい。彼女が家の前でそいつらに向かって手を翳し、そのあとにそいつらが弾けるところを目撃したのだ。
いつもなら自宅で料理を作って持ってくるなまえが寝坊したからここで作っていく、と言って台所で恵と津美紀の晩ご飯を作っている背中をじっと見つめていると、声をかけられた。
「なに?恵。言いたいことでもあんの?」
「ババアも、あの変なやつ見えてんのか」
疑問を問い掛けると料理をしている手を止めて、身体を恵の方に向けて驚いた表情を浮かべている。
「……みてたの?」
なまえからの質問にこくり、と一つ頷きを返せば、持っていた包丁を置いて近づいてきた。
「恵もあれが見えてんの?」
「ん、」
「いつから?」
「気づいたときには」
「そっかぁ」
よく頑張ったねぇ、と頭をがしがしと撫でられて、目にじんわりと熱が集まった。涙は溢れないけれど、泣きそうな気分だ。
「恵はやっぱり才能があるんだろうね」
「なまえ……?」
暗い表情を浮かべたのは一瞬で、それからいつもの笑みを浮かべる。ご飯の続き作るから、恵は布団敷いてきて、とその場から離れる指示を出された。大人しく従って寝室に向かう。
布団を敷き終わった頃に風呂から上がったらしい津美紀が出てきて、髪の毛をなまえに乾かして欲しいと強請っていた。
「恵に乾かしてもらうのじゃだめ?」
「なまえちゃんがいい~!」
「しょうがないなぁ。恵、布団敷き終わった?」
「終わった」
「じゃあ、悪いんだけど台所に並べてる料理、テーブルに移動させてくれる?盛り付けとかは終わってるから」
「わかった」
なまえに髪を乾かしてもらうのが嬉しいらしい津美紀の嬉しそうな声が家の中に響く。あんなに楽しそうな声を聞くのは久しぶりかもしれない。恵には甘えられないこともなまえには甘えられるようで、それは嬉しいと思う。
夕食の後は化粧をするなまえを津美紀と二人で布団から眺めた。化粧が終わる頃には気のキツそうな女が姿を現す。津美紀はそれをみて魔法みたいだ、とキラキラとした目で見ていた。
「なまえちゃん綺麗ね」
「ありがとう、津美紀。じゃあ、わたしそろそろ仕事に向かうね」
「うん、お仕事頑張ってね」
「ありがとう。恵も津美紀も気をつけて寝るんだよ。お腹出さないようにね」
そう言って胸辺りまでしかけていなかった掛け布団を肩までかけられる。
「おやすみ、二人ともいい夢見るんだよ」
頭を撫でられて、そのまま気づけば眠りについていた。
▽ ▽ ▽
恵と津美紀から預かった鍵で外から扉を施錠する。鍵は持ったままでいいよ、と津美紀に言われたので、お言葉に甘えてそのまま自分の家の鍵と一緒に持ち歩かせてもらっていた。
アパートの階段を降りて、そのまま職場であるキャバレーに向かおうと足を進めるはずだったが、人の気配を感じて動かそうとしていたそれを止める。振り返って相手の出方を窺っていると、見知った姿が目の前に現れた。
色素の薄い髪色にサングラスで隠された眼。なんでここに居るのかわからないが、無駄なことはしない人だと思っている。
「五条さん」
「久しぶりだね」
「えぇ、お久しぶりでございます」
「堅っ苦しいのはいいよ。君にされると気持ち悪いし」
「ひでぇ言い草」
「相変わらずお口が悪いことで」
「五条さんみたいに性格は悪くないので」
「よく言う」
この人と会うと言葉のやりとりが止まらなくなる。そうするように昔から育てられたせいでもあるし、自分の意思でもあった。
五条さんはさっさと会話を終わらせたいようで、用件を口にする。
「まさかなまえが世話してると思わなかった」
「ふふ、でしょうね」
ころころ、と笑えば不快そうな表情を浮かべるので気分が高揚する。
「なんでここに?」
「あの子の父親に頼まれてって言ったらどうする?」
「正気かよ」
「まぁ、半分本当で半分嘘」
面倒を見るように言われていたのは本当のことだ。甚爾はもう覚えていないだろうが、恵が生まれたときに一度だけ言われたことがある。
従兄弟である甚爾が一人の女性と駆け落ちして禪院家を出て行ってしばらく経ったときのことだ。非通知の番号から連絡があって不審に思いながらも、知ってる人だったらどうしよう、と思って出たら甚爾だった。
久しく連絡のなかった従兄弟からどういう風の吹き回しかと思えば、愛する人との間に子どもが生まれたのだと言う。なんの冗談かと思って、会いに行けば本当に女性と恵が居たのだから驚いた。
その女性と一緒に居たときの甚爾は普通の人みたいに、ちゃんと働いて。女性との子どももうっかりできてしまったものではないと感じたのを覚えている。
「なんだ、ちゃんと普通の人間らしいこともできるんじゃん」
「うるせーよ。そうだ、なまえ」
「んー?」
「俺らに何かあったら、恵をよろしく頼むな」
「仕方ないなぁ」
あのときの甚爾は穏やかに笑っていて、腐った呪術界から距離を置いて、幸せそうに暮らしていた。それも、彼が心から愛した女性――恵の母が死んでからすべてが狂ってしまったが。
「嘘の方は?」
「実家の方に様子見て来いって言われたの」
「実家出たんじゃなかったっけ?」
「縛られ続けるものもあんのよ」
「ふぅん」
ねぇ、としたり顔を浮かべて、揶揄うような口調で言う。
「あの子、俺が貰って行ってもいい?」
「どうぞお好きに」
「あら、思ったよりあっさり。って言っても、もっと前に本人には意思確認し終わってるんだけどね」
「じゃあ聞くなよ。まぁ、五条さんが本気でやりたいことを止められる人間なんて呪術界におりませんから」
「禪院家の人間がよく言うよ」
「五条家ほどじゃないので」
わたしの反応がお気に召さなかったらしい五条さんはため息を一つ溢してから、じゃあね、と颯爽と姿を消した。きっとどこかにトんで行ったのだろう。
「恵もこっちの世界に来ちゃうんだなぁ。かわいそうに」
このままだと禪院家に取り込まれてたかもしれないし、五条さんあたりに引き取られるのがちょうどいいのかもしれない。禪院家からそういった話は聞いていないけれど、上の人間は知っているのだろうか。知らないなら知らないままでいればいいと思った。
夜に溶けるように職場に向けて歩き出す。あの子たちにとって悪い結果になりませんように、と頭上を輝く星にひっそりと祈った。