直毘人さんに頼まれた呪物を高専に持ってきて、担当がいないからと顔見知りである伊地知くんに渡すと、いつの間に戻ってらっしゃったんですか、などと言われた。わたしが姿を消していたことは周知の事実だったが、出戻ったことはあまり伝わっていなかったようで。事務室に出向いていけば伊地知くんの他のみんなにも幽霊でも見たような顔をされた。
事務室でコーヒーとお菓子をもらい伊地知くんとダベっていると、ここにいるはずのない人間の姿と嫌いな人間の姿が見える。
「なまえ今日来るんだったっけ」
「御当主のおつかい」
「あの呪物持ってきてくれたの?サンキュー」
「……禪院?」
「ところで、なんで建人がここにいるの?」
「こいつも出戻りだよ。誰かさんと同じで」
「ふぅん」
それ以上は五条と会話をしたくないので手元にあるコーヒーを飲み切って、伊地知くんにお礼を言って事務室をあとにしようと思う。このあとも直毘人さんの命令でほかに行くところもあるし。あと、高専内は禁煙だと硝子先輩に聞いているので外に出て煙草を吸いたいという気持ちもある。
キャバレーで勤めるようになったときに真っ先に覚えたのが煙草だ。喫煙者の多い職場であるので、気づけば自分も吸うようになっていた。元々硝子先輩の近くにいることも多かったおかげで、抵抗感も少なかったというのもある。マルボロのブラックメンソールを吸うのが日課で、離れでは縁側に出て吸うようにしていた。一応臭いが染みつかないように気を付けているけれど、真希辺りには気づかれていそうだなぁ、と思っている。
「じゃあ、伊地知くん。コーヒーありがとう。美味しかったよ」
「いえ。このあとは禪院家に戻られるんですか?」
「それが夕方から御当主の付き添いが入ってんだよねー。このままどこかでふらっと暇をつぶして、それから呼ばれてる場所に行く予定」
「そうですか。お気を付けて」
「ありがとう」
じゃあ、お邪魔しました、と事務室の職員や補助監督に声をかけて、事務室を出た。校門を出たところで適当に場所を見つけて一服したい。
事務室から校門のところまで迷うことなく歩いていき、校門を出たところにちょうどなんのために置かれているのかわからないベンチがあったので、そこに腰を下ろす。このベンチ、わたしが学生時代からあるけど未だに置いてあることに驚いた。さすがに少し錆びてきているけれど。
ポケットから百円ショップで購入したライターと愛飲しているマルボロのブラックメンソールのボックスを取り出す。タールは一ミリのものだ。煙草を一本箱から出して口に含み、ライターで煙草に火をつけた。鼻で呼吸をしながら少しずつ吸う。最初に肺の力で吸うと吸う力が強すぎて美味しくないのだ。吸った煙のメンソールが口の中を刺激する。このたばこを吸い始めたのは、キャバレーのキャストの先輩たちにいろいろ吸わせてもらった結果、後味がクリアで口によく馴染んだからだ。
ゆっくりと煙草を吸っていると誰かが校門から出てくるのが見えた。目を凝らせば、先ほど見かけた彼の姿がある。そういえばさっきはそこまで気にしなかったけれど、サングラスをしている姿を初めてみたので一瞬呆気にとられた。
「まだ帰ってなかったのか」
「一服中ー」
「……煙草なんて吸ってたか?」
「外の世界に行ってる間に、ちょっとね。建人もグラサンなんてしちゃって」
「この方が面倒くさくないんだよ、知ってるだろ」
「それはもちろん」
変わらない同級生との会話に懐かしさを覚えると共に、わずかな寂しさが想起される。雄もここにいたはずなのになぁ。
「それで?五条さんにさっき聞いたけど出戻ったんだって?」
「まぁねー。建人も出戻ってて驚いちゃった」
「なぜ?」
「……わたしのやりたいことのために」
「そうか」
「建人は?」
「呪術師もクソだが、労働もクソだったから、それだったら適性のある方をやろうと思っただけだ」
「建人らしいなぁ」
お互い呪術界を出て行って、出戻って。なんだか笑えて来てしまった。このあとの予定を覚えていたようで、このあとお茶でもどうですか、とナンパまがいな声をかけられて内心笑いそうになったのは秘密にしておこう。
高専の最寄り駅から少し離れた都心よりの駅だった。建人に連れていかれたのは降車した駅から十五分ほど歩いたパンをメインに扱うカフェで、相変わらずグルメだなぁ、なんて思う。昔からグルメで、遠征があるとなんだかんだ美味しいお店を雄と二人でピックアップしてくれていた。懐かしさが込みあげてきてまるで学生時代に戻ったような気分だ。
「ここだ」
「おーおしゃれ。あ!喫煙可じゃん、やったね」
「だから選んだんだよ」
案内されるままに中に入っていき、店の中に視線を巡らせると平日の十四時という時間帯だからか、人はまばらだった。店内を見ると分煙のようで、奥に仕切られた喫煙ルームがある。またあとで吸いに行ける環境なのは本当に有難い。パンを二つほど選んでブラックコーヒーを頼む。建人もカスクートとブラックコーヒーを頼んでみるのが見えた。支払いをレジで終えて、飲み物とパンを受け渡しカウンターで受け取る。
先を歩く建人に続くと、喫煙ルームの手前の禁煙用のテーブルに腰を下ろしたので、わたしもそれに続く。煙草が吸いたければ後で向こうに行けってことね。はいはい、わかりました。人によっては煙草の臭いが嫌いで服に染みつくのも嫌だという人も少なくない。前の環境が異常だっただけで、世間は禁煙の傾向が強い。
「一度禪院家を出奔してたんだって?」
「また五条に聞いたの?ほんと口が軽いなあいつ」
「こっちから聞いたから許してやれよ」
「へーへー。まぁ、家を出てたのは本当」
「なにしてたんだ?」
「キャバ嬢」
にっこり、と惜しげもなく笑って言ってやれば、建人は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべた。そんなに驚くことかなぁ。まぁ、驚くことか。禪院家に戻ってからはしばらくの間屋敷の中に閉じ込められてたし、外の世界がどうなっているかあやふやなところがある。
「驚きすぎて言葉も出ない?」
「あぁ、まさかって感じだ、今」
「高専にいたときのわたしは〝お姫様〟だったもんねぇ」
「ほんとにな。口は悪かったけど。世間知らずで何度頭を抱えたか」
「その節はご迷惑をおかけしました」
「別にいい」
今思うと学生時代のわたしはそれはそれは手を焼かれる存在だっただろう。禪院家の人間だし――しかもわざわざ分家から宗家に取り込まれていたし――、世間知らずのまま高専に来てしまっていたし。一般常識が中途半端に備わった状態で来てしまったいてから、周りには申し訳なかったと思う。でも好きでああいう風に育ったわけでないこと弁明させてほしい。
「今後は建人は高専所属で仕事するかんじ?」
「そんなところだ」
「じゃあ、わたしとはあまり会うことはないかもね。わたしは禪院だし」
「当主の補佐なんだって?」
「補佐、なんて聞こえはいいけど、実際はわたしの監視を当主にさせてるだけだよ」
「相変わらず難儀そうだな」
「自分で選んだ場所だから仕方ねー」
何でもないように笑えば、建人もそうか、と返事をするだけだった。目の前のパンを食べながら今度は建人が呪術師を辞めて何をしていたのか聞いた。投資会社のトレーダーをしていたらしく、めちゃくちゃ似合うな、と思わず声に出す。高専を出て四年、まっすぐにまともに生きてきた建人の話を聞けば聞くほど、自分のダメさが浮き彫りになったような気がした。いつまでもふらふらとして、結局禪院家に戻って今の形だ。呪術師を辞めると言って中途半端に続けて、宗家から抜け出すと決めて出戻って。自分の信念を曲げてでもあの子たちのために何かしたいと思った時点で、今までのような生き方はできなかった。