せめてもの保たれた愛情

伊地知くんから一級の術師が捕まらないから、誰か紹介してほしいと連絡が入ったのは夜遅くのことだった。たまたまその日の仕事が十八時で終わり、屋敷の離れで日課の鍛錬を終えて夕餉を取り、これからお風呂でも行くかな、と思っていた矢先のことだ。

「学生だけで?」
「はい。緊急事態で、他に当てもなく……なまえさんの方で誰かご紹介いただけませんか?」
「……ちょっと当主に相談してくる。折り返しでいい?」
「構いません。よろしくお願いします」

離れから本邸に移動して使うは直毘人さんの自室だ。今の時間ならおそらく自室で酒を飲んでいるはず。離れからいくつかの道をショートカットして五分も歩けば直毘人さんの部屋に到着する。正式ルートを使えばもう少しかかるが、非常事態だから仕方がない。
閉じられている襖の前で正座になり声をかける。

「直毘人さん」
「なんだ?」
「ご相談があるのですが」
「入れ」
「失礼します」

襖越しの会話を早急に終わらせ、入室する。片手には酒を持っている直毘人さんの姿が目に入ったので、飲んでいるだろうという予想は当たっていた。
さきほど伊地知くんから連絡があった件を直毘人さんに伝えると、見透かすような目をわたしに向けて言葉をかけられる。

「本当のことを言えばいいだろう」
「――わたしが行ってもいいですか」
「なぜだ?お前が行く必要はないだろう」
「高専には恩があるからです」
「他の者に任せればいい」
「わたしが、行きたいんです」

真っ直ぐに目を見てそう言い放つと、直毘人さんは深く溜息を吐いた。

「………………明日の予定は特になかったな」
「休みだと聞いております」
「明後日の仕事に支障がない時間に戻ってこい」
「ッ、ありがとうございますっ」

まさかお許しが出るとは思わなかった。しかし、直毘人さんから許しを得られたのであれば、あとはある程度好きにできる。再度礼を言って、部屋を出ていく。
離れに戻りながら、袖に入れてあったスマートフォンを取り出して伊地知くんに連絡を入れた。わたしが行く旨を伝えると、驚いては居たけれど。
場所の詳細をメールで送るように告げる頃には離れに到着した。引き出しから適当に黒のワンピースとタイツを取り出す。禪院家関係の仕事じゃないから洋服でも問題ないはずだ。
服を着て、スニーカーを履いて、そのまま必要最低限の物を持って離れを出る。屋敷の表門から外に出ると、直毘人さんが手配してくれたらしいいつもの車が停まっていて、中から運転手が入るように言ってくる。
後部座席に乗り込めば、運転手が行き先を聞いてきて住所を告げると、車をすぐに走らせてくれた。

「こんな時間なのにすみません」
「いいえ。直毘人様からなまえ様をお送りするように言われましたので。お迎えは必要ですか?」
「迎えは大丈夫です。ありがとうございます」
「かしこまりました」

窓から見える景色が街中からコンクリートに変わって高速道路に入ったことを理解した。

呼び出されたのは西東京市の英集少年院の近くの森の中で。補助監督が事前に貼ったらしい立入禁止のテープを飛び越えて中に進めば、伊地知くんじゃない補助監督の姿が見える。駆け寄り話を聞けば、伊地知くんは現場確認に向かっていた女子生徒を病院に運んでいるらしい。中に残っているのは虎杖くんと、恵。

「禪院さん、こっちです」
「ごめん、待たせた」
「いえ。まさか貴方が来てくれるとは思いませんでした」
「一応手が空いてたから。これでも一級だしね。状況は?」
「はい、先ほどまであった生得領域が解け、これから状況確認と虎杖くんと伏黒くんを回収に向かう予定です」
「特級とやらはなんとかなったのね?」
「おそらくは」

補助監督と青少年二人を回収に向かおうとしたところで、悍しいほどの呪霊の圧を感じ、足を止める。そのまま頭上で何かが通り過ぎた。視線を追えば、高専の制服に身を包んだ男子生徒と宿儺らしき人物。補助監督の様子を見るに、おそらく虎杖くんは宿儺に飲み込まれている。――と、なると今投げられたのは恵か。
恵が飛ばされた方向を追うように走り出し、補助監督にはこの場に残り中の状況を確かめるように告げる。あと、他の補助監督を回すように言うのも忘れない。
学生時代以来全力疾走なんてしていないものだから、息が上がる。もっと体力をつけるべきか。探すにも地上からでは限界があるので、両手で印を組み雷獣を呼び出す。雷獣の背に飛び乗り、空中から恵たちの姿を探した。近場の学校からズゥン、と重い音が聞こえてそちらに視線を向ければ、虎杖くんと恵の姿がある。対峙している二人が何か会話をしているようで、雷獣に乗ったまま近づいていけば、目の前で虎杖くんが倒れた。心臓のあたりには大きな穴が空いている。心臓を宿儺に潰されたのか。
二人の近くに降り立てば、恵と視線が交わった。瞳の奥はゆらゆらと揺れていて、感情が振れていることは見て取れる。

「恵」
なまえさん……なんで、ここに」
「伊地知くんに頼まれて応援。来るのは間に合わなかったみたいだけど……悪ぃ」
「いえ、」

なんと言葉をかけるか悩んでいると、女子生徒を病院へ送って戻ってきたらしい伊地知くんがやってきた。目の前の光景に言葉が詰まったのがわかる。
本来の目的であった特級の消失は確認できたそうなので、一旦高専に戻ることになった。わたしは大して役にも立たずに終わってしまったな、と反省する。出来うる限り全速力で来たつもりではあったけれど、間に合わなければ意味がない。
伊地知くんが虎杖くんの遺体を車に積んだ。恵は後部座席に座るように言われているけれど、まだどこか茫然としているようだった。恵の背中を押して後部座席に座らせる。せめて遅れてきた詫びとして事後調査を手伝うためにその場に残ろうとすれば、恵が手を離さなかった。困り果てていると、わたしの様子を見兼ねた伊地知くんが提案してくれる。

なまえさんも高専に一度いらっしゃいますか?お時間許すようでしたら、ですけど」
「時間は大丈夫。明日は元々一日オフだし、御当主からも明日の夜までに戻れば良いって言われてるから」
「そうですか、ではどうぞ後ろに」
「ありがとう」

恵の隣の座席に座ると、掴まれている手の力が先ほどよりも強くなった。

▽ ▽ ▽

遺体を安置室まで運ぶのを手伝って、伊地知くんに伏黒くんのそばについててあげてください、と言われ、報告書等も明日でいいから、と言われた恵は自室に戻るように指示されている。前を歩く恵の後ろを着いて行くとある部屋の前で足を止めた。その部屋の扉をじっと見つめてから隣の部屋の扉を開けて、わたしが中に入るのを待っている。さっきの部屋はもしかして虎杖くんの部屋だったのだろうか。
促されるままに中に入ると最低限のものしか置かれていない、恵らしい内装の部屋が視界に映る。相変わらず殺風景だなぁ。
備え付けられているベッドに腰をかければ、隣に恵が腰掛けた。めぐみ、と呼べば彼の視線がわたしのそれと絡まって、それから言葉を続ける。

「よく頑張ったな」

そう言ってから抱きしめてやると、恵の頭が肩に乗る。少しすると、嗚咽と、震えと、肩が濡れていく感覚。恵が泣いているのを見るのは初めてのことだなぁ、なんて思いながら、肩に乗っている頭を優しく撫でてやった。
ぽつぽつと吐き出される言葉をただ受け止める。それ以外の言葉はいらなかった。

「人が死ぬのを見るのなんてもう何度もあったのに」
「それだけ、その子が大切だったんでしょ」
「はは、そっすね……」
「傷心の恵のために、昔みたいに一緒に寝てやろうか……なーんて」

な、と言葉が続くはずだったのに最後の一音は音にならなかった。じとりとした目線を向けられて、今はふざけるべきでなかったと反省する。わたしのろくでなしな部分が見えてしまったようだ。

「一緒に寝てくれなくていいんで、寝るとき手握ってください」

昔世話をしていたときにすらしていなかったことを要求されて、驚いた。津美紀の手はよく握ってあげていたけれど、恵からそれを望まれたことはない。これも前に言っていた自分もしてほしかったけどできなかった、というやつだろうか。成長してからの方が甘えてくるのはなんなんだ、普通逆では。
そんな子ども染みたお願いをするくらいだから、相当参っているのだろう。しょうがないなぁ、なんて笑いながら言ってやると、子ども扱いやめてください、と反抗された。

「いいよ」
「……いいんですか」
「やらなくていいならわたしこのまま帰るけど」
「居てください」

素直にここにいて欲しいと懇願する恵が可愛くて、可笑しい。

「ははっ、クソガキじゃない恵って変な感じ」
「失礼でしょ。……俺もちょっとは大人になったんですよ」
「そうかもな」

恵をベッドに寝かしつけて、部屋に置かれていた勉強机の椅子をベッド脇に持ってくる。寝る態勢になった恵の手を握りながら、先ほどと同じように頭を撫でた。

「本当に、いい奴だったんです。津美紀みたいに、善人の塊って感じで」
「うん」
「俺があのときの任務を失敗していなければ、こんなことにならなかったかもしれない」
「でも、恵がその任務に行ったから彼と出会えたんだろ」
「そう、です、ね」

だんだんと言葉が緩やかになって行く恵を見つめながら、この世は無情だなぁと思う。せっかく出会えた友人すらすぐにいなくなってしまうやるせなさはいつの時代も変わらないままで、虚しさを覚えた。わたしも違う形でいいからもっと呪術界に貢献できるようにならないと。若い子たちが死ぬことが少しでも減るように大人が頑張らなければならないだろう。そう意気込みながら、恵が深い眠りに入ったことを確認して握られている手をゆっくりと外し、物音を立てずに彼の部屋を出て行った。