朝から歌姫先輩と硝子先輩とわたしで構成されているメッセージアプリのグループトークにメッセージが送られたことでスマートフォンが震えた。内容を確認すると、歌姫先輩から野球のユニフォームをひとチーム分買って高専に持ってきてほしい、というもので。朝からなんてメッセージを送ってくるんだ、と思いながら、今日の予定を確認しつつ寝間着から部屋着に着替える。朝食はばあやがもうすぐ持ってくるころだろうから、身なりはほどほどに整えておかなければならない。
今日の予定は夕方から会食があったくらいか。直毘人さんは仕事があるが、今日の仕事は付き添わなくていい、と事前に言われている。どこに行くのかは知らないが、わたしがその場にいるのは具合が悪いらしい。深く追及はせず、休みが増えたな、くらいの感覚だった。
「しかし、なんでまた野球のユニフォーム……」
「なまえさん?いかがなさいましたか?」
「なんでもない」
朝食を持ってきたばあやに問いかけられたが、話を逸らした。ばあやが膳を整えてくれる間に今日の外出許可が下りるか聞いてみる。
「ねぇ、ばあや。会食まで出かけても問題ないかな」
「正午過ぎには戻られるのであれば問題ないとは思いますが……。どこかへお出かけですか?」
「庵先輩にお遣いを頼まれて高専まで」
「かしこまりました。運転手にもそのように伝えておきます」
「手間かけて悪いね」
「いえ、それではまた終わられる頃に下げに来ますね」
「はあい」
間延びした返事をするとばあやがジト目で見てきたけれど、気づかなかったふりをする。まただらしのない話し方をして、なんて思われてただろうな。朝食のセッティングが終わり、部屋を出るばあやに礼を言って、襖が閉じた音が聞こえてから目の前に置かれた膳の箸を手に取った。この家では三食とも和食なのでたまにパスタだのパフェだの食べたくなる。夏油先輩の金で食べたタカノのパフェ美味かったな。人の金で美味しいものが食べたい、と思いつつ、会食でうまいものが食べられるはずだから我慢することにした。
「――あ、今交流戦の時期か」
歌姫先輩がなんで東京に来ているのか若干疑問ではあったのだ。てっきり任務かなにかだと思っていた。そうだ、この時期は交流戦が行われる時期で。朝にメッセージを見てから不思議に思っていたことが解決してすっきりする。わたし以外にもお願いできる人はいるだろうに、まぁいいけど。考えごとをしながら食事を進めていると、気づけば目の前の食器が空になっていた。いつのまに食べきっていたんだろう。
食休みをしてから歯を磨こうと立ち上がる。離れに備え付けられている洗面所まで歩けば、昨日歯磨き粉を買い忘れたことを思い出した。昨日の仕事の帰りに買おうと思っていたのに、直毘人さんに付き合っていたせいですっかり忘れていたのだ。歯磨き粉なしで磨くのは心許ないがしょうがないか、と思って、洗面所を見れば歯ブラシ立ての隣に新品の歯磨き粉が立てられている。ばあやが補充してくれたのだろうか。あとで礼を言っておかないと。歯磨き粉を歯ブラシに適量乗せて口の中に運んだ。
歯を磨き終わって部屋に戻れば、ばあやが膳を下げているところだった。
「歯磨き粉補充してくれた?」
「あぁ、昨日無くなっているのに気づいたので」
「ありがとう」
「いえ。運転手は手配済みですので。ご用意が終わられたらそのままお出かけしてくださって構いません。正午過ぎには戻られますように」
「ありがとう。何度も言わなくてもわかってるって」
「口酸っぱく言わないとあなたはどこかに行ってしまわれますから」
「はいはい」
ばあやのお小言は出奔前も出戻ってからも変わらない。とにかくわたしが誰にも行き先を告げずに一人でどこかに出かけることを許してはくれなかった。甚爾と会うときは護衛の目を掻い潜っていたからよく怒られたものだ。今はきちんと行き先を告げるだけましだと思っているのだろう。
夜に会食があることを考えて着物と袴を引き出しから取り出した。臙脂色の袴と薄紅色の着物を合わせる。同色系で合わせた方がすっきりとした上品な印象になるのだ、と言われたのはばあやにだったか。会食の相手は普段直毘人さんが依頼を受け付けている会社の社長だから、上品な方がいいだろう。
着替えを終えて、必要なものを鞄に入れて玄関に向かう。仕事であればブーツを合わせるところではあるが、会食なので足袋と草履の方が良い印象を与えるだろうか。いろいろと思考を巡らせて、結局足袋を履いて白の草履で行くことにした。この格好でスポーツ用品店って浮くんじゃないだろうか、と思ったが気づかなかったことにする。
「さて、行くか」
離れを出て駐車場まで歩いて向かった。直毘人さんの専属運転手は彼に付いているはずなので、今日は誰の運転になることやら。
高専から車で二十分くらいあるショッピングモールの中に入っているスポーツ用品店で野球用のユニフォームを購入する。もちろん領収書を切ってもらうことは忘れない。とりあえず高専宛ての領収書を貰っておけばあとはなんとかなるだろう。
購入したものを片手に運転手に高専まで車を走らせてもらい、高専の駐車場で待っておくようにお願いした。もしかしたら少し人話し込むかもしれない、と告げるといつもと違う運転手は特にほかの予定もないのでごゆっくり、と言ってわたしを見送った。高専に入り、門のところにいる職員に声をかけると歌姫先輩より聞いていますよ、と中に通される。職員室に向かえば歌姫先輩はいるだろうか。職員室に向けて足を進めていると、これから調査に行くらしい伊地知くんに出会った。
「あ、伊地知くんちょうどいいところに」
「なまえさん。あぁ、庵さんに呼ばれてたんでしたっけ」
「そうそう。歌姫先輩どこにいるかわかる?」
「多分談話室じゃないですか?」
「談話室?」
よくよく話を聞けば、今年の交流戦は初日に呪霊の横やりが入ったそうで、勝敗もクソもなかったらしい。それで普通であれば交流戦自体を中止にしそうなものだが、どこかの傍迷惑な誰かさんの策略で野球をすることになった、と。
「五条は相変わらず自己中心的なんだね。伊地知くんも振り回されて大変でしょ」
「そう言ってくれるのはなまえさんだけです……」
涙ながらにそう言って目元を手で覆う伊地知くんを見ていると居た堪れなくなった。本当、お前も苦労してるな……。調査に向かう伊地知くんを見送って談話室に向かえば、歌姫先輩がせかせかと動き回りながら子どもたちにルールを説明しているところだった。
「歌姫せんぱーい」
「なまえ!ありがと!ほんっっとごめん」
「別にいいですけど」
「なまえさん?」
「お、真依やっほー」
買ってきたユニフォームと領収書を歌姫先輩に渡して立て替えた分のお金をもらう。もらっている最中に名前を呼ばれたかと思えば、真依がいた。いつの間に髪の毛を切ってたんだ。気づかなかった。
「髪切った?そっちも似合っててかわいいー」
「なまえさんに言われると嫌味にしか聞こえない」
「偏屈ちゃんめ」
真依の頭をひと撫でしてやると僅かに頬が綻んでいるのが見えたから、嫌ではないんだろう。相変わらずひねくれものだなぁ。そこが子どもっぽくてかわいいけど。不思議そうな視線をたくさんの学生から向けられているけれど、黙殺する。
「歌姫準備できたー?」
「げっ、五条」
談話室のドアが開いたかと思えば、五条と五条の後ろにいるのは東京校の子たちだろうか。一番後ろに恵の姿も見える。驚いた表情をしてるなぁ、と思うと視線が交わった。すぐに逸らしてなんでもないように振る舞う。
「なまえまた高専来てんの?暇なの?」
「そうですねー五条よりは暇かもしれませーん」
「かわいくないねー」
「五条にかわいいと思われるくらいなら舌噛んで死ぬ方がまし」
「あーはいはい」
歌姫先輩にじゃあ、用は済んだのでお暇しますね、と告げると五条に腕を掴まれた。
「なに、もう用終わったし帰るんだけど。運転手待ってるし」
「これからこの子らが野球するから見て行きなよ。観客いた方が燃えるだろうし」
「はぁ?」
五条の言葉のせいというべきか、おかげというべきか、男子生徒たちの視線に若干の生気を感じる。そんなに他人に見てほしいもんなのかな。
「三十分だけな。それ以上は無理」
「十分」
▽ ▽ ▽
プレイボール、という五条の言葉を同時に試合が始まった。わたしは観客席に座ってのんびりとみていた。恵の打席は二番で外野手なわけね。じっと試合を見つめていると一回表は得点にならずに終わり、一回裏で釘崎さんとやらが打席に入る。ネクストバッターズサークルには恵が入った。視線を向けているとまた交わる。今度は口元に手を当てて大きくも小さくもない声でがんばれ、と声をかけた。見えてはいただろうけど、特に反応もなく釘崎さんが塁に進んだことで空いた座席に入っていく。
「ふっ、相変わらずかわいくねぇ」
まぁ、そこがかわいいんだけど。恵が打席で送りバントをして釘崎さんの塁を進めたところで、鞄に入れてあったスマートフォンが震えた。運転手からの着信を知らせていて、電話に出ればそろそろお戻りになってください、という旨だ。そんなに時間が経っていたのか、と驚いた。観客席から立ち上がってベンチにいる歌姫先輩に上から声をかける。
「せんぱーい!もう行きますね、お邪魔しました!」
「もうそんな時間!?こっちこそ急に巻き込んでごめんね!また飲み行こ!」
「ぜひ!」
会話が聞こえていたらしい学生さんたちが手を振ってくれる。それにこちらも手を振って応えれば恵が若干ふてくされていた。しょうがないなぁ、とため息をひとつ吐いて、それから大きな声で言ってやる。
「恵ー!かっこよかったぞー!」
よっ!仕事人!、とからかうように笑って言ってやると、怒ったのが雰囲気で分かった。式神を出される前に逃げないと。学生たちが騒いでいるのを背中越しに聞きながらその場をあとにした。首を長くして待っている運転手の元に戻ってあげないといけない。