ザーッっという雨の音で目を覚ました。今日は雨かと思うと憂鬱で仕方ない。時計を見れば短針は二時を示していた。眠ったのが二十一時だから、今日は五時間も寝られた。よかった。早朝の新聞配達のバイトに向かう準備をし始める。準備をしている途中で気付いた。
「あ、今日雨か……」
濡れても大丈夫な格好をしていかなきゃいけない。ジャージとレインコートをクローゼットから取り出す。それを羽織って自転車の鍵を持っていく。いつもよりも三十分も早いけれど、早めに行って仕事を終わらせてしまわないと、家に一度戻ってきてシャワーを浴びられない。
「いってきます」
誰もいない部屋に向かって言う。そのまま玄関の扉に鍵をかけて家をあとにする。バイト先に着くと、先輩たちはもういて何人かは既に出発したみたいだった。自分のエリアの分の新聞の束を手にとって自転車の前カゴに乗せる。もちろん濡れないようにしなきゃならない。
「なまえちゃんおはよう」
「所長おはようございます」
「今日雨だけど大丈夫かい?」
「大丈夫です、そのために早く来たので」
「無理そうだったら途中で引き返してきてもいいからね?」
あたしのことを気遣って言ってくれてるのは分かっているけれど、この言葉に甘えてしまったら他の人たちに示しがつかないからお断りをする。
「ありがとうございます、でも他の人にご迷惑をおかけしたくないので」
「なまえちゃんは真面目だねぇ。まぁほどほどにね」
「はい!」
「あ、あとわしの奥さんからなまえちゃんにって預かってるものがあるから、帰るときに冷蔵庫の包み持っていってね」
「いつもすみません……ありがとうございます」
なんとか早朝のバイトを終え、所長の奥さんが作ってくださった包みを持って家に戻り学校に行く準備をする。帰宅してから包みの中を確認すると煮物などが入っていた。ありがたい……今日のお昼ご飯に少しだけ頂こう。レインコートを着てもびしょ濡れになってしまったのでシャワーだけ浴びることにする。今日は帰ってきたらお風呂はなしだな……。明日が休みの日でよかった。衛生的に多少問題があるのはわかっているけれど、背に腹は変えられない。早く学校に行きたいのに腰まである長い髪が鬱陶しい。切ろうと思いながらも切るのを躊躇する自分も居て、当分このままなんだろうなって諦めて、髪の毛をドライヤーで乾かした。ベランダにレインコートを干して再び家を出る。学校に着くのはまた遅刻ギリギリかな。
学校に着いて教室に向かう途中の廊下で西谷と田中に会った。朝の自主練が終わったらしい。声をかけようかとも思ったけれど、自分が部員からあまりよく思われていないことも自覚しているから、やめた。すると、二人を凝視していたせいか、西谷があたしの方に振り返って、あたしに気付いた。
「あー!なまえ!」
「おはよう。西谷、田中」
西谷と田中があたしに近付く。こうして久しぶりに二人と話している気がする。たまに一瞬だけ潔子さんのお手伝いに行ったときに一方的に二人の姿はみているけれど。
「はよーっす。久しぶりにみょうじ見た気がするわ」
「まぁクラス離れてるしね」
「5組まで行く用事ねぇべや」
「縁下とは毎日廊下で会うけどね」
「ずっりーよなー!力はよ」
不満げに言う西谷を見ると少しだけ嬉しくなる。あたしみたいな存在でも居たほうがいいのかなって思わせてくれるから。縁下とも仲は悪くは無いけれど、人をよく見てるタイプだから、後ろめたいことがあるあたしが勝手に居心地の悪さを感じているだけだ。
「そういや、なまえは次いつ部活来れそうなんだ?」
西谷は特に他意もなく言ったんだろうけど、少しだけ心が痛む。あたしは上手く笑えているだろうか。
「今度の用事はいつ終わるかわからなくて……はっきり言えなくてごめん」
「別にいいけどよ、ずっと潔子さん一人にマネ業してもらうのも大変だしな!なるべく早く帰って来いよ!」
「、うん、なるべく早く終わらせるね」
じゃあ、そろそろチャイム鳴るし教室行くね、と告げて西谷と田中と別れた。教室に向かいながらいろんな感情が混ざり合ってぐるぐるする。潔子さんのためでもなんでもいい、帰って来いって言ってもらえるのが嬉しかった。あたしにはもうバレー部しか居場所がないから。
お昼休み前の最後の授業は現代文だった。武田先生の授業は穏やかな気持ちになれるから結構好きだったりする。授業終了のチャイムが鳴って、号令がかかる。礼までおわると武田先生に呼び出された。そのまま先生のあとを着いて行き、職員室の隣の先生たちの休憩室に案内される。座るように言われて、椅子に腰かけた。
「みょうじさん最近また部活を休んでいるみたいですが、大丈夫ですか?」
「武田先生にはいつも心配をおかけしてすみません。あたしは大丈夫です」
「ならいいんですけど……授業中も眠そうだという意見が他の先生からも出ているので」
「早朝のバイトを増やしたせいですかね?今後は気をつけます。ほかの先生にもそう伝えてくださると助かります」
「わかりました。でも、みょうじさん、本当にどうしようもないくらいつらくなったら相談して下さいね。僕でよければ出来る限りのことはします」
「ありがとうございます。お気持ちだけで嬉しいです。でもなんとかやっていけそうなので」
お昼ご飯もあるのでこれで失礼します、と言って休憩室を出た。いろんな人に心配されているのは分かってる。でも今のこの環境を大事にしたい。この環境を失いたくない。
「一年の頃はよかったな、まだ」
生活にも余裕があって部活にも今よりももっと顔出せていて、多少の不自由はあったけれどそれなりに幸せだった。
昼休みに武田先生と話したせいかいろいろなことが頭によぎって、午後の授業はあんまり集中できなかった。また帰ったら勉強頑張らなきゃ。今日は夕方のバイトがおやすみなのでまっすぐ家に帰って勉強する。最近授業中に集中できない日が多くて、なんとか遅れを取り戻さないと。今よりも順位を落としたら何かが崩れてしまうような気がした。
玄関の鍵を開けて中に入ると、ベランダに干してあったはずのレインコートがなぜか玄関の上がり口のところにあった。おかしい。この家には誰もいないはずなのに。嫌な予感がして中に入って行くと部屋が荒らされていた。何かを探したような荒らし方だ。泥棒かとも思ったけど、荒らされている場所がピンポイントだったので、犯人は分かっている。念のためキッチンの方を見てみると、案の定メモ書きが貼ってあった。
“もっとお金用意しといてよね あと隠すんじゃないわよ 探すの手間取っちゃったじゃない”
中学生や高校生の子が書いたような丸みの帯びている文字。この字には見覚えがある。お母さんだ。お母さんが戻ってきて家の有り金を全部持っていってしまった。その現実に気付くと、怒りの前に呆然としてやるせなくて悲しみしかなかった。今回はお金を仕舞う場所を変えたのにそれでもだめだった。お母さんの持っていったお金はあたしが頑張って稼いだ食費と部費用のお金だった。あぁ、またふり出しに戻ってしまった。せめてもの救いは昨日のうちに今学期分の授業料を払い終わっていたことだろう。
「またアルバイト増やすしかないのかな……来月は部活行けると思ったのに」
言葉に出すとどうしようもなく悲しくなった。これからどうやって生きていくかの算段をまた考えなくちゃいけない。悲しみが振り切れると涙さえも出ないということを最近になってはじめて知った。