きらりと光るまつげの先に

ちょうど五月になった頃だったと記憶している。新入生が入学したという話は聞いたけれど、特に食堂で会うわけでもなく、授業の合間にすれ違うこともなかったのですっかり存在を忘れてしまっていた。二年生になったからと言って一年生のときよりは呪霊に慣れたとは思うが、まだまだ一人前の呪術師とは程遠いように感じる。なにせ、一学年上には最強と他社から評価される男たちがいるのだ。自分の水準が低いわけではないと自覚はしているが、もう少し、もう少しと急いている気持ちがないとは言い切れなかった。それを灰原はよくなだめてきたけれど。

「七海でできてないなら俺なんてもっとダメに決まってるじゃん」
「そういう話ではないだろ」
「いーや、そういう話だね!」

天真爛漫と言った様子で笑う灰原は眩しいと思ったが音にすることはない。七海は真面目過ぎだし小難しく考えすぎ。たまには力抜いたら?なんて言われて、自分ではそう思っていなかったけれど、第三者から見るとそう見えるのだなと思った。確かに余計な力は入っていたかもしれない。

「そういえばさ、後輩たちには会った?」
「一学年下の?」
「そう」
「会ってないけど」
「まぁ、七海は任務とか勉強で忙しそうだもんな」
「そうでもないけど」

灰原がんー、と呻き声を上げながら少し考える素振りをして、それからおそるおそるといった様子で視線を向けてくる。なにか言いたいことがあるらしいと察した。

「さっさと言ったらどうだ」
「あー、うん。あのさ、一つ下にみょうじなまえって子がいるんだけど……」
「なんだ、惚れたか?」
「ちげーって!みょうじちゃんのこと、見かけたら気にかけてやってくんない?」

恋愛方面の話かとおもってからかうように灰原に言ってやると、即座に否定されて、それからお願いをされる。他人のことをお願いしてくるなんて珍しいこともあるもんだと思った。

「なんでまた」
「あの子、妹に似てるんだよな」
「あぁ、そういう……」

灰原の妹への愛情というのはとても深いものであることは、一年程度しか付き合いのない俺でもわかるほどだ。妹のために高専に入学したのだという灰原からして、そのみょうじという後輩は気にかかる存在なのだろう。妹の代替品にしていなければいいと思うが。

「なんか、あの子放って置いたら消えちゃいそうで」
「消える?」
「そういう危うい雰囲気ってこと。よくないものに好かれてるんじゃないかな、彼女」
「そうか」

何を言いたいのかいまいち掴めないが、直接会うことがあれば納得できるかもしれない。一応灰原にお願いされたことなので、みょうじなまえという名前を脳内に書き留めておく。一学年下の後輩たちの中で女子は一名のみらしいので、見かけない年下の女子がいればそれがみょうじだと説明された。

件の人物に会ったのは、なんでもないタイミングでのことだ。食堂で会うことも授業の合間の休憩時間にすれ違うこともなく過ごしていた。灰原に言われた後輩女子のことなど忘れかけていたところに、彼女と邂逅する。場所は廊下や食堂ではなくランドリー室であったが。
体力トレーニングを日中の授業で行い、午後の座学は眠気との闘いでつらいものがあったがなんとか乗り越え、夕食も課題も入浴も終えて、あとは明日に備えて準備をしよう、と思い立った。そういえばトレーニングの授業のせいでジャージがなかなか汚れたことを思い出し、洗濯をしようと泥にまみれたジャージを持ってランドリー室に向かう。次にジャージを使うのは来週ではあるが、汚れは早めに落とすに限るというのが母からの教えだ。
洗濯乾燥機にジャージを突っ込む。ボタンを押して、あとは待つだけ。ジャージと一緒に持って来ていた文庫本を開いて、ランドリー室に備え付けられている丸椅子に腰を下ろした。面白いよ、と灰原に貸し出された日本の推理作家のシリーズ物の文庫本を読み進めていると、ランドリー室の入り口付近で人の気配を感じ視線を上げる。そこには年下と思われる見たことのない女子がいた。一応目が合ったので先輩としてひとつ頭を下げておく。目の前の女子もつられるように頭を下げた。
視線を目の前の女子から逸らして目の前の文庫本に集中する。天才物理学者が友人である刑事の依頼を受けて、一見超常現象とも取れる不可解な事件を科学によって解決していくシリーズで、今作は同期のライバルである天才数学者と殺人の隠蔽をめぐる対決をする内容となっていた。手に汗握る展開で読み進めていると、声をかけられて顔を上げる。先ほどの女子が困った表情を浮かべているのが目に入った。

「あの、すみません」
「はい?」
「使い方、教えてもらえませんか」

そう言って指を差したのは洗濯乾燥機で。予想するに使い方が分からず、泣く泣く声をかけてきたのだろう。自分と灰原が初めてランドリー室に来たときは丁度夏油先輩がいて、懇切丁寧に操作方法を教えてもらったことを思い出した。

「いいですよ」
「ありがとうございます……」

読んでいた文庫本の頁に栞を挟んで丸椅子に置き立ち上がる。座っていたので気づかなかったが、目の前の彼女はかなり小柄であることに気づいた。完全に見下ろしてしまっていて威圧感を与えてしまっているかもな、などと考える。
洗濯乾燥機の前に立っている女子の隣に立ち、今どの段階か確認した。洗濯ものを洗濯乾燥機には入れ終わっているらしく、どのボタンを押したらいいかわからなかったそうだ。高専のランドリー室の洗濯乾燥機はどれも古く、確かにボタンの表記が掠れて読めないものも少なくない。

「洗濯ものを入れ終わっているなら、あとはここのボタンとここのボタンを押せばあとは自動でやりますよ」
「なるほど。あ、もし柔軟剤を入れたいときとか、手洗い設定になっている洗濯ものを洗うときは、どうしたらいいんでしょうか……」
「柔軟剤はこの中のここに入れたらいいです。手洗いのものはここのボタンを四回押してください。そしたらドライモードになります。まぁ、寮監に頼んでクリーニングに出す手続きをしてもらってもいいと思いますよ」
「そうなんですね。丁寧に教えていただきありがとうございます。わたしは一年のみょうじなまえと言います。名前を聞いてもいいですか?」
「二年の七海建人です」
「七海先輩ですね、覚えました!二年ということは灰原先輩と同級生ですか?」
「そうなります」

目の前の彼女が名乗った名前を聞いて、灰原に頼まれていたことを思い出した。彼女が噂のみょうじさんらしい。よければ少し話しませんか、などと言われて断る理由もないので、彼女の提案に自分の洗濯が終わるまでなら、と応じた。先ほどまで使っていた丸椅子を持ってくると、彼女も同じように隅に寄せてあった丸椅子を持ってきた。ランドリー室には自分たちの話し声と洗濯乾燥機の回っている音だけが聞こえる。

「こういうことは母がずっとやってくれてて、反省しました。もっと手伝えばよかったな」
「まぁ、家庭用の洗濯機とは操作方法も異なるでしょう。これから覚えたらいいんじゃないですか」

そこまで大層に凹むことでもないだろう、と思ってそう声をかければ嬉しそうな顔をされた。みょうじなまえという人間と話してみると、驚くことがままあった。自分はスカウトされて高専に入ったが、彼女は自分の体質を改善するために高専に来たのだという。それまでは一般家庭で生まれ育っているというので、そこは同じだな、なんて思ったり。話せば話すほど普通の少女にしか見えない彼女がこんな汚い世界で生きていることが不思議でならない。しかし、灰原のような例もあるし、珍しくはないのかもしれない。
他愛もない話を続けていると、自身の洗濯ものを入れていた洗濯乾燥機から音が鳴った。どうやら乾燥まで終わったらしい。洗濯乾燥機を開けて中からジャージを取り出せば、水気もなくほかほかと温かくなっているのでちゃんと乾いたようだ。洗濯物と放置していた文庫本を片手に持ち、丸椅子を元の場所に戻し、まだ洗濯が終わらない今日出会った後輩女子に声をかける。

「終わったので、戻ります。あとは終わるまで待てば大丈夫だと思います」
「わかりました。ありがとうございます」
「それでは」

そのままランドリー室を出ようとすれば、背中越しに話しかけられる。

「七海先輩。おやすみなさい、また明日」
「……おやすみなさい」

彼女のあいさつに同じあいさつを返して、その場を後にする。自室に戻りながら考えるのは、灰原の言っていたことだ。確かに彼女はどこか存在感のようなものが薄い気がする。体質が、という話をしていたので、彼女自身になにかあるのかもしれないな、と思った。