色づいていくはずの素足

※星漿体暗殺失敗・甚爾さん生存ルート

五条と夏油先輩が割と長めの任務に出かける、と言って高専を出て行って一週間ほど経過したころだろうか。途中、建人や雄も五条たちの任務の手伝いに駆り出されていたけれど、わたしには歌姫先輩との京都での出張の任務が入っていて声がかからなかった。京都と言われると禪院本家が近くにあるのであまり近寄りたくないなぁ、と思っていたのを歌姫先輩に見抜かれ、逃げる前にとっ捕まえられて売られる子牛よろしく新幹線に乗せられる。いつもならば任務は自由席で移動のはずなのに、今回は指定席の移動で僅かに嫌な感覚が頭の中を過った。
渡された新幹線のチケットの書かれている指定された座席に向かえば、窓際の二席がわたしと歌姫先輩の座席のようで。なまえは窓際に座りなさい、と言われておとなしく腰掛ける。逃げられないように通路席を歌姫先輩に取られてしまった。名古屋辺りで降りて逃げてやろうと思ってたのに。考えていることは先輩には筒抜けのようだ。与えられるままに渡されたおにぎりを頬張りながら、歌姫先輩に問いかけた。

「歌姫先輩、まさかウチの圧力かかってるとか言いませんよね」
「違うわよ。夜蛾先生が自由席を理由になまえが移動を拒んで来たら面倒だから、指定席に乗せてやれって補助監督に言ってくれたみたいよ」
「ほんとですかぁ?」

じっ、と隣の席の歌姫先輩を見つめると、視線を逸らされてしまった。怪しいなぁ。このタイミング――五条も夏油先輩もいない手薄な高専を放置している状況――で京都での任務と考えるとどうしてもきな臭さを感じてしまう。会合などは近々なかったと記憶しているが、上の人間のことだ。わたしを呼びつけたいだけの可能性もなくはない。年老いた爺どもは自分たちの暇つぶしに若者を付き合わせて良いと思っているから質が悪い。
新幹線の揺れを感じながら、説明されたのは任務の詳細についてだ。前の列に座っている補助監督が座席をくるりと後ろに向けて、向かい合う形で座る。新幹線の座席がこんな風に使えるなんて、建人や雄と一緒に任務に行った一年の頃に知ったことを思い出した。自分がいかに世間知らずか指摘されて、恥ずかしさを感じたのは未だにひきずっている。仕方ないじゃん。移動とか全部車だったもんで。補助監督から語られた任務の内容は聞き馴染みのある有名な寺院に現れた呪霊の討伐だった。

「京都校のやつらはなにをやってるんですかね。わたしらがここまで来なきゃいけない理由ある?」
なまえ、補助監督さんに当たっても仕方ないでしょ」
「はぁい」

なんのために禪院家や加茂家の本家がこっちにあると思っているんだ、と思わざるを得ない。二級程度の呪霊を祓えない程度に呪術師が不足しているのかとも思ったけれど、屋敷に居た多くの呪術師の顔を思い出して、それはないなと頭を振って自身の考えを否定した。術師の質を問わなければ禪院家に呪術師は掃いて捨てるほどいる。
新幹線で東京から揺られること二時間と十五分。京都駅で新幹線を下りれば、空気を吸い込んで吐いた。懐かしい感じがするなぁ、と思いながら駅のホームでぼうっと突っ立ていると、見兼ねた歌姫先輩に引きずられるように改札に向かう。
ホームから一階に降りて改札を出れば、外に見たことのある人間の姿が視界の端に映った。なーにがうちの圧力がかかってない、だ。ばりばりにかかってるじゃないか。

なまえさま」
「歌姫先輩」
「ごめんって。でも任務は本当だから」

改札を出て出迎えたのは見たことのある人間――禪院家の者で。末端の使用人ではあるが、何度か会話をしたこともある。同年代の使用人で学校も同じだったため見張るようにわたしをよく見てきていたことを思い出した。名前は憶えていないけれど。案内されるままに土産屋の前を通過して階段を下りれば、見慣れた黒塗りの車が見えた。運転手まで見覚えのある人間だ。こういうときに自分はやはりあの家の束縛から逃れられていないことを自覚せざるを得ない。
恭しく扉を開けられた車に乗り込んで、歌姫先輩と後部座席に座る。補助監督は助手席に座り、車が発車したところでこれからの予定の再確認をした。
三十分ほど車に揺られたところで車が目的地の前で停止する。京都市南区に現存するとある宗教の総本山である寺院に到着すると、見慣れた五重塔を視認した。寺院の南門から入り、車を降りると見たことのある爺さんの姿が目に入る。先方もわたしの姿を見るなり驚いたらしく、目を見開いていた。

「おやまぁ。お久しぶりですねぇ、お嬢さま」

声をかけられ、正式な任務なこともあり返事をしないわけにもいかないので、禪院家に居たときの笑みを浮かべてその声に応える。

「……こんにちは。お世話になっております。和上さんもお元気そうで」
「最近はボケも始まってましてなぁ。そんなにですよ」
「そうなんですか?」

くだらない会話をしながら件の呪霊がいるところに連れて行ってもらうと、確かに禍々しいオーラを放った呪霊が見えた。これをわたしと歌姫先輩で祓うとなると少し不安は覚えるが、寺院の息がかかっている呪術師も手伝いで来てくれるとのことらしい。どの手伝いで来る呪術師が外れじゃないことを願う。これで禪院家の構築術式の人間が来たら面倒だな、と思った。せめてちゃんと生得術式を持っている術師を派遣してほしいものだ。
任務の決行は人が来なくなる閉門以降の時間帯となった。朝から移動だったので今は丁度正午になるかならないか、という時間で。閉門の時間である十七時にはまだまだ遠い。
どうしたものか、と思っているところで歌姫先輩が京都駅周辺を散策したいというので、先輩の希望に則って京都駅を散策することになった。寺院を一度出て、ここまで乗ってきた車で京都駅まで戻ってもらい、そのまま京都駅にある伊勢丹の中をぐるりと上から下まで順番に見て回る。洋服などは東京にある伊勢丹と入っているブランドに大差ないので、歌姫先輩は飲食関連の階を入念に見ていた。確かに、京都限定のものを食べるなら伊勢丹で探すのもいいだろう。先輩の買い物に付き合いながら、わたしには目新しいものなどなにもないので後ろをついていくだけだ。

なまえさん?」
「扇さんのところの」
「今日は京都だったんですね」
「まぁ、ね。高専の任務でね」

ウインドウショッピングをしている歌姫先輩の後ろを母鳥の後に続く雛鳥のごとくついていっている最中に、名前を呼ばれた。聞いたことのある声だなぁ、と思いながら振り返れば、扇さんの娘と使用人がわたしを見ている。二人でおつかいを頼まれたらしく、これから誂えた反物を受け取りに行くという話だった。東京校に行ってしまってからは、年末年始以外音沙汰のなかったわたしが京都にいることを真依が不思議に思っているのは手に取るように分かる。わたしもできれば京都に近づきたくなかったんだけどなぁ。

「屋敷に顔は出されますか?」
「多分出さずに帰ると思う。なにもなければ」
「わかりました」

何もなければ、というのが自分で言ってても悲しくなる。屋敷になど近づきたくないが、任務が終わってからのスケジュールを聞かされていないので、どうなるかはわからない。爺共に呼び出される可能性は大いにある。任務の運転手で禪院の人間が出てきているくらいだし。ただの善意で車を手配してくれるとはどうしても思えない。憂鬱な気分を誤魔化すように、歌姫先輩のウインドウショッピングに付き合う。京都限定のお菓子を次々と買い漁る歌姫先輩はかわいいなぁ、と思いながら、早く任務を終えて東京に帰りたいと願った。

歌姫先輩のショッピングを終えた頃には時計は良い感じの時間を差していて、伊勢丹の外に出ると空が紅く染まりつつあった。夕方がだんだんと夜に近づいているようだ。買ったものをすべて高専の寮宛てに宅配便で送って、身軽のまま移動する。午前中に寺院に行くために拾われたロータリーへ向かえば、すでに車も到着していた。用紙周到なことで。乗車を促されてそのまま車に乗り込んだ。また三十分は車に揺られることが確定している。
寺院に到着すれば、観光客や拝観に来た一般人も住職たちもおらず人がまばらだった。和上に聞けば皆下がらせたのだという。任務の邪魔にならないならなんでもいいけれど。禪院から送られてきた術師は屋敷で何度か見たことのある生得術式を持つ術師だった。さすがにそこまで嫌がらせをされなくて安堵する。
任務の内容と討伐までの流れを確認し、それぞれが自身の術式を展開した。わたしも印を組んで管狐を呼び出し、いつでも攻撃を始められるように準備する。
あっさりと任務は終わり、本当に二級の任務だったのか怪しいが、ひとまずちゃんと完遂したことにほっとした。歌姫先輩が今日はホテルを取ってあるからホテルに戻りましょう、と言うので、女子会かな、なんて考えていると、禪院の術師がわたしに声をかける。

なまえさん、屋敷へ顔を出すように、とお達しでしたよ」
「わたし今高専所属なんだけど」
「重々承知しておりますよ。それでも、とのことです」
「………………歌姫先輩、」
「いいよいいよ。わたし先に戻ってる。あとからおいで」
「はい」

先輩と補助監督は先に京都駅付近に取ったらしいホテルに戻ってもらい、わたしは術師と一緒に屋敷に戻ることになった。どうせ連れていかれるんだろうな、と思っていた自分の予想が当たってしまってげんなりする。爺どもにまた小言を言われるのかと思うとサボりたくて仕方がない。
寺院から禪院本家までは車で五十分ほどしたところにある。車が屋敷の駐車場に乗り込む頃には、窓越しの空はすっかり暗くなってしまっていた。こんな日は呪霊が盛んに活動しそうだな、と内心でごちていると、車を降りるように言われ、降りるなり屋敷の中へ案内される。玄関を開ければ、待ち構えていたらしい女中がわたしの顔を見た。
爺どもが集まっているいつもの部屋まで女中に案内され、部屋の前に到着すると女中はそれでは、とそそくさと自分の持ち場に戻っていく。彼女の背中を見送り、見えなくなったところで大きくため息を吐いた。身体中の息を吐ききるまで長く息を吐き、それからすぅっと息を吸う。意を決して部屋の襖を開ければ見たことのある爺どもの視線がわたしに集まった。

なまえ、遅かったではないか」
「すみません。任務に手間取ったもので」
「やはり東京校にいるのはよくないのではないか」
「しかし、それでは東京は五条が幅をきかせることに」

目の前で繰り広げられるクソみたいな会話を聞き流しながら、考えるのは明日のことだ。早く東京に戻って、沖縄でサーターアンダギーを買ってくれたらしい雄と建人から話を聞きたいものだ。五条の話題が途中からわたしの拙い十種影法術の話に切り替わり、爺どもの罵声がわたしに降りかかってくる。何度か新しい式神を調伏しようと挑戦したがすべて失敗に終わっているのが現状だ。それがこいつらはお気に召さないらしい。本来の十種影法術は玉犬や大蛇を使いこなすのが定石だというのに、獏や管狐しか使役できていないわたしは不完全だという。幼いころに調伏できたのがそこの二体だから文句を言われても正直困るのが本音だ。
ヒートアップした爺どもの会話が落ち着いたところで下がるように言われた。何のために呼ばれたのか。まぁ、実際は小言を言いたかっただけなのだろう。彼ら自身は大した術式を持っていないくせに態度だけはでかくて困ってしまう。もし、わたしが完璧な相伝式の術式を持っていたなら、真っ先にこんな家壊してやるのに。そのあたり、五条は立ち回りが悔しいことにうまい。利用されることもなく、でも権力や決定権はあいつにある。わたしはそうはなれなかった。
そそくさを挨拶もよそに歌姫先輩がいるホテルに向かおうとすれば、懐かしい気配を感じて足を止める。こちらだろう、と思う方向に赴くままに足を進めれば、見慣れた口元に傷のある男が見えた。依頼の帰りなのかボロボロの姿なのが新鮮だと思う。

「甚爾?」
「あ?なまえか」
「こんなところにいるの、珍しいじゃん」
「お前こそ」
「わたしは爺どものお小言聞かされにきただけ。そっちは?」
「俺は呪具をパクリに」
「相変わらず下種だね」
「今更じゃねぇか」
「確かに」

何故ボロボロの姿なのか詳しく話を聞けば、依頼に失敗したらしい。珍しいこともあるもんだ、なんて考えていると、甚爾が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて言った。

「お前のとこの先輩どうなってんだ」
「えぇ?」
「五条の六眼の坊だよ。あいつ人間じゃねぇわ」
「あぁ」

五条のことを話題に出されてようやく合点がいった。確かにあの人は常々人間じゃないと思っていたけれど、甚爾から見てもそうだとは意外だった。甚爾に殺せない術師は居ないと思っていたのに。やっぱり最強は最強ということなのだろう。任務に失敗して尻尾を巻いて逃げてきたらしい甚爾は、このまま東京の家に戻るという。ふと、この家の束縛から逃れている甚爾はいいなぁ、と漠然と思った。羨ましいという色が視線に出ていたのだろうか、甚爾がわたしをじっと見つめて言う。

なまえ。お前、一緒に来るか?」

そう言われてその手を取らないわけがなかった。甚爾はわたしの親で、兄で、神様のようなものだ。そんな彼に言われたことに否を答えることなんてあり得なかった。甚爾は今自分の子ども――恵という名前の息子ができたという話は聞いた記憶がある――と、また新しい女性を捕まえてその女性の娘と四人で暮らしているのだという。その輪にわたしも入らないか、という誘いだった。

「なんでまた急に?」

今まで一緒に来ることを聞かれたことはなかった。どういう心境の変化なのか。今までなにも変わることのなかった甚爾が、恵の母である女性と出会って変化があり、そして今もこうして変化が起こっている。大人になってもひとって変わるものなのだな、と思った。

「五条の坊とやりあったときに、マジで死にかけたんだよ」
「うん」
「そのときに、恵のこととか、お前のことが頭に浮かんで」
「うん」
「恵の母親だった女に言われたことを思い出した」
「言われたこと?」
「〝大事なものは手元に置いて離さないようにしないと〟って」
「それでわたしのことも連れて行くの?」
「嫌か?」
「嫌なわけないじゃん」

甚爾にされて嫌だったことなんてなにひとつない。彼がわたしに与えてくれたものは今でもすべてが大事だ。手を取って一緒に来いと言われたらついていく以外の選択肢なんてあるはずがない。今付き合っている女性にどう説明するのかとか、わたしの父のことで気がかりがなくはないが、それ以上にこの家から解放されたいという気持ちが強い。爺どもにさきほどまで罵られていたから余計だろう。こんな家に未練はない。高専での生活も楽しかったけれど、所詮禪院家から解放されているわけではないし。

「じゃー東京戻るか」
「ん」

差し出された手を取ると、甚爾と出会ったときの幼いころを想起させられる。自分よりも大きくて厚い骨ばった手に安心を覚えるのは、これから先も変わらないんだろうな、と思った。