あなたを幸せにする全てになれたらいい

最近、七海先輩の様子が変だ。ことあるごとに遊びに行こうと誘われるし、遠くの任務地に行くときは必ずお土産を買ってきてくれる。灰原先輩も買ってきてくれていたけれど、毎回ではなかった。一体何が彼の中で起こったのか、わたしが推し量ることはできない。あの日からわたしのことを灰原先輩の代わりにしているのかと思ったけれど、そういうわけでもなさそうで。

「七海の様子がおかしい?」
「はい」
「私にはいつもと変わらないように見えるけど」
「でもなんかちょっと変なんですよ」
「[firstname]の気のせいでしょ」

医務室に常駐している家入先輩に相談に行けば適当に相手をしていますよ、という態度を隠さずに接される。ひどい。

「今までそんなにお土産とかもらった記憶ないんですけど……」
「じゃあ気が変わったんじゃない?」
「そんな適当に……」
「怪我してないならこれ以上は聞いてやんない」
「うあん家入先輩〜!」

そんなこと言わないでくださいよー!と泣きついても、はいはいさっさと寮に戻んな、と素気無い態度は崩してもらえなかった。怪我人にはもう少し優しいのに。怪我人じゃないわたしには冷たい。

「そういえば進路決めたんだって?」
「はい。やっぱりわたしに呪術師は無理そうです。なので、補助監督に」
「別に一般社会に戻ってもいい気はするけどね」
「術師としてひとを助けることはできないですけど、助けるひとたちのお手伝いができればいいなって」
「[firstname]も伊地知もお人好しだなぁ」
「潔高くんは本当にいいひとだと思いますよ」

そのうち上の人たちにいいように使われそうで、それだけが気がかりだけど。呪力があっても術式のないわたしたちに残された道など窓か補助監督くらいしかないのだ。身の丈にあったことをしていればそこまで危ない目に遭わないと思っている。特級の五条先輩たちは危険が伴う任務ばかり割り振られているようだけれど、そのおかげでわたしたちは安全圏にいることができるのだ。そんな彼らのためにささやかでもいいからなにか手伝いをしたい、そう思った。

「あ、そういえば夕方から七海先輩と約束してるんでした」
「なに、デート?」
「違いますよー。水族館に行かないか誘われただけです」
「それを世間ではデートって言うんだよ。……楽しんできな」
「はい」

医務室をあとにして女子寮に戻る。家入せんぱいに言われたことを思い返して、自分でもなんとも形容し難い感情を覚えた。
七海先輩に夕方からショーやっている水族館があるから一緒に行きませんか、と誘われたのはつい二日前のことで。差し出されたチケットを見ると以前わたしが潔高くんに行きたいんだよね、と話していた水族館だった。どこから聞きつけたのかわからないが――多分潔高くんだろうけど――、行きたい場所に連れて行ってくれるというのであればお言葉に甘えようと思う。
女子寮の自室に戻って真っ先にクローゼットを開けた。フェミニンな感じで行くべきか、ボーイッシュな感じで行くべきか。七海さんの私服を思い出して、その隣を歩いても問題なさそうな洋服を探す。フリルがあしらわれている甘めのワンピースでは合わない気もするし、ここはシンプルな袖に少しだけレースが入っているワンピースにすべきか。
前に庵先輩と家入先輩と買いに行った紺色の袖にレースがあしらわれている膝下丈のワンピースを手に取る。これなら大丈夫そうかな、と検討をつけて、靴下なども衣装ケースから取り出した。七海先輩の私服はいつもシンプルだけどおしゃれという感じがするので、隣に立つのは気が引ける、と思わなくはない。以前灰原先輩経由でクォーターらしいというのは知っていた。日本人離れした顔をした七海先輩の隣に立つとなると芋くさいのは避けるべきだろう。自分の手持ちの中でなるべく大人っぽく見える洋服を選ぶ程度には、わたしも楽しみにしているのかもしれない。ワンピースを身に纏って、足元はローファーと白のソックス、チャコールグレーのショルダーバッグのコーディネートに落ち着いた。バッグの中に財布や携帯電話、チケットにハンカチなどの必要なものを入れたところで、時計を見るともう寮を出ないと間に合わない時間で。焦りにせっつかれるように慌てて自室を飛び出した。

待ち合わせは女子寮の前でも男子寮の前でもなく、水族館のある駅の改札口だった。新幹線の停車駅でもあるその駅は夕方に降り立つと帰宅途中のサラリーマンでごった返していて。こんな中で七海先輩を見つけることなど可能なのだろうか、と心配になったところで右手に持っていた携帯電話が震えた。片手で二つ折りの携帯を開いて画面を見れば、そこには待ち合わせ相手の先輩の名前が表示されている。通話ボタンを押して受話口を耳に当てた。

「先輩?」
「 今どこですか? 」
「中央改札を出てすぐにある時計の下に居ます」
「 すぐ向かいます 」

電話が切られたと思うと、携帯電話の画面を見つめているわたしの頭上に影が落ちた。なんだろう、と思うと見慣れた先輩の姿が目に入る。

「七海先輩。お疲れ様です」
「お疲れ様です。とりあえず、移動しましょうか」
「はい」

提案に頷いて七海先輩の後ろに続こうとすると、携帯電話を持っていなかった左手を繋がれる。最近接触が多いような気がするのは気のせいなのか、そうじゃないのか。目の前にいる人がわたしの知っている七海先輩じゃないような気がするのはどうしてだろう。
エスカレーターを降りて少し歩き、横断歩道を渡った。レストランんから服飾店まで入っているショッピングセンターの間を抜けて、結構な勾配になっている坂を登る。わたしがのろのろと歩いているのに、それに合わせてゆっくり歩いてくれている七海先輩はスマートだなぁと思った。

「ここですね」
「おおー」

アクアパーク、と書かれている水族館に手を繋いだまま入っていく。中に入っていくと水の香りが鼻腔を刺激した。この香りを嗅ぐと水族館にきたなぁ、と思う。

「チケットは持ってきてますか?」
「もちろんです」
「貸してください」

持ってきていたチケットを渡すと、入場口にいるお姉さんに二人分をまとめて差し出していた。手が相変わらず離れていないのが不思議だけれど。

「カップルさんですか〜?楽しんでくださいね!」

溌剌とした笑顔を浮かべて送り出してくれるお姉さんに気後れしながらもありがとうございます、と返事を返す。周囲から見るとちゃんとカップルに見えていることに安堵を覚えるけれど、羞恥心もなくはない。
建物の中を進んで行って、向かうはわたしが楽しみにしていたイルカショーが行われるエリアだ。到着する頃にはちょうど次の回が始まる時間だったらしく、座席を探す。中腹あたりと前方が空いていて、先輩の方に視線を向けるとわたしの言いたいことがわかったらしい先輩が口を開いた。

「あの真ん中あたりにしましょうか」
「前方じゃなくていいんですか?」
「濡れてもいいなら止めませんが……」
「真ん中あたりにしましょう」

今日のワンピースもそれなりに気に入っているので濡れてしまうと思うと少し惜しい。次来るときはちゃんと濡れてもいい服装で来よう、と決めた。
ショーが始まるとわたしの視線はイルカたちの虜になってしまって、隣にいる先輩のことなど気にする余裕もなく。興奮したままずっとかわいいイルカたちのパフォーマンスに心奪われていた。

イルカたちが天井から吊るされた輪っかを潜り終わったところでショーの終わりが飼育員のお姉さんより告げられた。そのときになってはっ、と正気に戻る。隣をそろり、と見ると七海先輩がわたしの反応を見て肩を震わせているのがわかった。

「七海先輩の存在を忘れたのは申し訳ないと思いますけど、そこまで笑わなくてもよくないですか」
「それは、失礼、しました」
「まだ笑いを堪えてるの丸分かりですよ」

むすっ、と怒っています、というアピールをしながら七海先輩を見ると、ようやく笑い終えたらしい先輩がわたしを見て穏やかに笑った。

「楽しいですか?」
「そりゃもちろん」

ここに連れてきてくれたこと自体はとても感謝している。久しぶりに水族館に来ることができて、楽しくないわけがない。素直にそれを告げると、七海先輩はなら、と言葉を発した。

「そうして笑っててください」
「へ、」
「なんでもないです」

そう言った七海先輩はわたしから顔を逸らす。逸らされたことで彼の耳と首がうっすらと赤くなっていることに気づいて、わたしまで恥ずかしさで頬に熱が集まったような気がした。
この穏やかな時間がずっと続けばいいのに、と思いながら二人でイルカショーのエリアを出て、そのあとは水族館の中を閉館までぶらぶらと歩いた。