太刀川との関係はよくわからない、と自分でも思う。あえて名前をつけるとすれば、クラスメイト。もしくはクラス委員長とクラス一の問題児。もしくはボーダー隊員と市民。いろいろな名前でラベリングすることは可能だけれど、どれもこれもしっくりはこない。一番マシなのはクラスメイトかもしれないが。
太刀川と関わるようになったのは高校に入ってすぐのことだ。
同じクラスの彼がボーダーの任務だとかなんとかでよく欠席していたので、クラス委員長だからと担任に面倒を見るように言われてなまえはプリントを押し付けられていた。
クラス委員長になったのも、周囲からの圧力に抵抗するのが面倒だったからだし、また余計なことを押しつけやがって、とは思ったけれど、表面上は優等生なのでにこにこと思ってもいない笑顔を張り付けておく。こんなことで内申点が稼げるのならば、我慢するのもやぶさかではない。
最初の顔合わせは、担任の命令で強制的に行われた。帰りのホームルームで噂の太刀川と連名で、あとで先生のところに来るように、と呼び止められる。
帰りの挨拶を終えて教師の待つ教壇に向かえば、クラスでよく欠席しているもじゃもじゃ髪の男子生徒が同じように近づいていた。お互い大人しく教壇の前に立つと、彼――おそらく太刀川とやら――が担任教師に絡む。
「先生なんの用ですかー」
「太刀川、彼女がクラス委員長のみょうじだ。これから関わることも増えるだろう」
「どうも」
「よろしくー」
はじまりはとても簡素なものだった。握手すら交わさない、ただ顔を合わせて、じゃあこれからよろしく、で終わり。それ以上でもそれ以下でもなかった。初めて太刀川という存在を認識して、印象としてはもじゃもじゃした頭だな、と抱いた程度だ。
§
なにをしていたのか知らないが、ボーダーの任務とやらで一週間学校に来なかった太刀川が登校してきて、まず行うことは溜まりに溜まったプリントの受け渡しだった。
「太刀川」
「おー、みょうじ」
「これ休んでたときのノートとかプリント」
「サンキュー」
教室に入ってきて自席に座る太刀川に近づいていく。廊下側の一番前の席と一番後ろの席で彼と自分の席はかなり離れているけれど、太刀川の席まで赴いて前の席の子の椅子を借りた。
ひとつひとつのプリントの説明をしていく。これはいつまでの提出、これはいつまでの提出だけど一週間くらいなら遅れてもいいって言ってた、など彼に必要な情報を添えていった。
ついでに慈悲としてこれはこの問題集のこのあたりなどを見るといいかも、などの言葉も添える。
「先生がわからないことがあったら聞きに来いって」
「やだよ、あの先生すげー嫌味言うじゃん。みょうじが教えて」
「わたしで教えられるのかな」
何分、理解するのは得意だけれど他人に教えるのは苦手だ。しかも太刀川のようなタイプには教えたことすらない。彼が理解できるまでのレベルに落としての説明ができるかどうか、と言われたら自信はなかった。同じレベルの人間に教えるのと、太刀川のようにすべてを噛み砕いてわかりやすく説明するのは使う労力が違う気がする。
プリントが解き終わるまで付き合って、と甘えたことを言ってくる太刀川に、これみよがしにため息をひとつ吐いてみせた。
「塾が始まるまでね」
「助かるわ」
放課後にふたりで過ごすことを約束するけれど、そこに甘いものなどはなにもない。利害関係の一致、それがなまえと太刀川を細い糸のように繋げている。あとから思うと、この関係には利害の一致という名前をラベリングするのが、最も相応しいような気がした。
彼は勉強が目も当てられないくらい遅れないように。なまえは内申点に加算させたいために彼の面倒を見る。そこには酸いも甘いも初めから存在していなかったし、今後も存在しないだろう。
授業が終わって塾が始まるまでの二時間を太刀川のために消費する。塾が同じ同級生などからは可哀想に、という視線を向けられるけれど、自分より理解が及んでいない人間に教える、というのは案外自分にとっての復習になるからいいのだ。それに、太刀川と身を寄せ合って勉強の話やそれ以外の話をすることも嫌いではない。
彼の前の席を借りて、彼の席の机を挟んで向かい合うように座る。西陽が傾いて空が橙色に染まり始めたことで、教室の中も橙に染まった。校庭からはどこかの部活動の掛け声が聞こえる。
それに耳を澄ませつつ、目の前の生物のプリントを呻きながら解こうとしている彼を眺めながら、先日の授業で聞いたことを思い出した。
「生物の授業で聞いたんだけど、人間の魂の重さって二十一グラムしかないんだって」
「そんなに軽いんだ。死体はあんなに重いのに」
「太刀川、死体運んだことあるの?」
「あるよ。この間の侵攻のときとか」
「ふぅん」
子どもが死体を運ぶ、その光景や字面だけでも大層物騒なものなのに、平然と言ってのける彼の異常さには驚かされる。驚きはしても、興味はないが。
この街はきっとほかの街の人間から見たとき、とても異質なのだろう。そんな異質のど真ん中にいるのが目の前の彼だ。なまえはあくまでその他大勢。それはかわらない。
「……みょうじのそういうとこ好きだわ」
「なに、急に」
「別にー」
行儀が悪いけれど、太刀川は椅子の上に胡座をかいて片膝を立てて座り直した。まともに座っているのなど授業中くらいなのだろうな、このひと、と思っても口にはしない。
なにせ背中に目がついていないので、彼がどんな風に授業を受けているかなど、知ったことではないのだ。
カリカリ、とシャー芯の磨り減っていく音だけが響く静かな空間で、太刀川がぽつりとつぶやいた。
「大変だね、とか、可哀想って言ってこないから、正直楽」
今までさんざん言われてきたことなのだろう。目はプリントから離れていないけれど、どこか虚空を見ているようなうつろな目だと感じた。大人からすればバケモノとの戦いを青少年にさせていることに胸が痛むだろうし、それを誤魔化したくて太刀川たちのような人間に上辺だけの声をかけるのだろう。そうすることで自分を救っているのだ。
そんな目をする必要ないのに、と思って、求められていないかもしれないが、彼のつぶやきに応える。
「太刀川はやりたくないのにボーダーやってるの? 違うでしょ」
「うん」
「やりたくてやってる人間に可哀想って言えないよ、わたしは」
上澄みだけを知りすべてを理解した気になって、憐憫の言葉をかけるのは失礼だと思っている。
正義のヒーローになりたかったのか、周囲の環境によってそうなったのかはわからないが、彼は選んでボーダーという立場にいるのだと日頃の関りから思った。
なまえが周囲に反発するのが面倒くさくて、クラス委員長に収まることを選んでいるように。思考を現実に引き戻して、さっきの話だけど、と話の続きをする。
「実際はそうじゃない、みたいな説もあるらしいんだけどね」
「へぇ」
「死体を安置している間に身体の中の水分が蒸発して、その分軽くなったとかいろんな説があるみたい」
「でもみょうじは魂の説を推すんだろ」
不思議そうな顔をしながらそう問いかけてくる太刀川ににんまり、と形容できそうな笑みを浮かべて答える。
「だってその方がロマンチックじゃない」
それに元々魂なんてものはあるのかないのかもわからないものだし、と言葉を続けた。
曖昧なものは曖昧なままにしておくから、美しさがあるのだ。
「太刀川は〝こころ〟ってどこにあると思う?」
「心臓とか胸辺りじゃねーの?」
「でも人間の感情を司るのは脳だよ」
「そう言われたら、確かに」
「だから、どこにあるかもわからない輪廓のないものを明確にするのは難しいんだから、魂の重さだって二十一グラムでいいんだよ」
「みょうじと話してると頭良くなった気になるわ」
「そのまま頭も良くなってほしいとこだけどね」
ボーダーでは強くて有名だ、という噂を聞いたときに、きっと勉強ができなくても生きていけるタイプの人間なのだろうなぁ、と勝手にカテゴライズしていた。
実際話してみるとなにも間違えていないのでそのままにしている。
勉強が典型的に苦手で、やる気もなくて、でも一芸に秀でているから食いっぱぐれることのない所謂持っている側の人間だ。
「太刀川、今更だけど二年に進級できんの? 単位危なくない?」
「ボーダー特待だから俺」
「あー、そういう」
羨ましいとは思わないけれど、大変だろうな、と思う。特別扱いをされるということは、それ相応の働きをしなければならないという義務が発生するわけで。太刀川はおそらくそれを満たしているのだろう。そしてその恩恵になまえも知らず知らずのうちにあやかっているはずで。
三門市内で生きるってそういうことなのだ。
でも、そういう生き方をしているとたまに心配になる。もし、いつかなにかのタイミングで一芸――太刀川の場合は戦うことだろう――が、失われる日が来てしまったら、それしか持っていない人はその先を生きていけるのだろうか、と。
余計な心配を考えるようになってしまった。すべては太刀川と接するようになったせいだ。
こちらの反応に肩透かしを食らったのか、太刀川が意外そうな顔をして言う。
「ずりぃって言わないのな」
「太刀川たちが頑張ってくれてるから、わたしたちは平和に過ごせてるわけなんだし。そこを僻んでちゃしょうがないでしょ」
「そう思わないやつも居るってこと」
「あぁ、そういう輩はね、どこにいってもなにに対しても不満を言う生き物だから、相手にしない方がいいよ」
「うん、最近学んだ」
「いいことじゃん」
ほら、プリント止まってるよ、と彼の意識を手元のプリントに戻させる。
またカリカリ、とシャー芯が机に触れる音だけが響いた。なまえは自分のこれから行く塾で使用するテキストを開いて少し先の範囲に目を通す。予習はしてあるが、ここまで進まないだろうと踏んで、予習をしてなかった範囲だ。太刀川の相手をしつつ確認するにはちょうどいいだろう。
しばらくして、彼の持っていたペンの鳴らしていた音が止まった。どこかわからないところでもあっただろうか、と声をかける。
「どこかわからない?」
「いや?」
「じゃあ飽きた?」
「かもな」
「そろそろいい時間だし、終わろうか」
黒板の脇に備え付けられている壁掛け時計を確認すると、そろそろ学校を出なければ塾に間に合わない時間だった。机の上に開いていたテキストやらノート、筆記用具を片付ける。そういえばシャーペンの芯が切れそうだったから、塾の前に買わなければならないことを思い出した。
集中していると時間の流れは早い、というけれど、最近太刀川と過ごしているととても実感する。心地のいい時間は集中できるし、勉強も捗るのだ。それを彼も感じているとは思わないけれど。
スクールバッグに荷物をまとめて、借りていた席を整える。立ち上がって身支度を整えると、同じように太刀川も準備が終わったらしく立ち上がった。
ふたり並んで昇降口を目指して歩いていく。途中、誰にも会うこともなく、部活動の喧騒だけが太刀川との間に流れた。
昇降口について、上履きをローファーに履き替え、正門を目指して歩く。
正門に到着して、塾に向かう自分は左に、太刀川は今日もボーダーらしく正門を出て右に曲がろうとしていた。
じゃあね、と、声をかけると太刀川はなにを思ったのか突拍子もないことを口から放つ。
「来年もみょうじと同じクラスがいいなー」
お互い全身が橙に染まる中、そんなことをいう太刀川にときめきなどのキラキラとした感情を覚えることもなく、ただ懐かれているなぁ、と感じた。
「また太刀川の面倒見るの? やだよ」
「つめてーの」
「冷たくて結構」
塾こっちだから、とひとこと告げれば、同じように俺もボーダーこっちだから、と同じように返される。
「知ってるよ」
ボーダーの基地がどこにあるか、なんて地元住民で知らない人間などいないだろう。
「俺も知ってるよ。みょうじが本当はやさしいって」
「はは、なにそれ」
唐突な言葉に可笑しくなって笑い声を上げると、太刀川は満足そうな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「じゃあな、みょうじ。また明日」
「うん、また明日」
背中を向けて歩く彼の背中を眺めながら、あの背中になまえのような一般市民は守られているのだな、と思う。
今日も市民の平和は彼らによって守られていることを忘れずにいよう、と勝手に心の内で決めた。
下校時刻のチャイムが鳴って、塾に向かわなければ行けない時間になっていたことに気づき、足早に学校をあとにする。
また明日、という彼のことばが頭の中で反芻された。