東/ガラスの靴は隠しておいたよ

「社長の息子に告白されたぁ!?」
「ちょ、響子! 声がでかい!」

 旧友である沢村の声が辺りに響き渡る。周囲の視線が自分たちに向けられているのを感じながら、彼女の口を塞いでそれ以上声を出せないようにした。むー! むー! となにか言っているけれど知ったことではない。こんなところでプライベートの話を大声で吹聴されるこっちの身にもなってくれ。なにせここは、成人済みのボーダー隊員行きつけの大衆居酒屋なのだから。
 周囲を見渡して顔見知りは居ないし、ボーダー隊員らしき人間もいないようだ。セーフであることを確認してから、沢村に当てている手を放した。ようやく呼吸をすることを許された沢村は、はーっと大きく息を吐き出す。
 タイミングを見計らっていたかのように店員が中ジョッキの生ビールを二つとお通しを持ってきて、沢村との間にある座敷のテーブルに置いていった。お互いにジョッキの持ち手を掴み、そのまま飲み口をカチン、と音が鳴るようにぶつける。乾杯、という言葉を添えるのを忘れない。お疲れ、なんてねぎらいにお言葉をかけあって同じタイミングでビールを口に運ぶ。

「あんた次やったらまじで息の根止めるからね」
「こわぁい」
「忍田さんにあんたの気持ち伝えといてあげる!」
「やめてごめんわたしがわるかった」
「よろしい」

 沢村がひれ伏したのを確認して機嫌をよくする。久しぶりのサシ飲みの日だ。普段ボーダーの本部基地で過ごす彼女となまえとではなかなか予定が合わない。向こうは場合によっては夜勤もあるし、こっちは九時始業十八時終業の土日祝休みの日勤のみ。そりゃあ予定は合わないというものだ。
 なんとか都合をつけて月に一度は行うようにしているこのサシ飲みも、もう何年も続いている。
 お互いの年齢を数えればおそらく三年近くは継続していることに気づいた。それだけ続けられるのはお前たちの仲の良さがなせる技だな、と言ったのはたまたま同じタイミングで店に居合せ、気づいたら同席していた冬島だった気がする。
 二十二時も過ぎた時間帯に居れば大学生なども居酒屋からは姿を消していて、残っているのはサラリーマンやOLだけのようだった。明日は土曜日という華の金曜日であるし余計にだろう。

「で? で? なんて息子に告られたの?」

 どうしてそんな面白いことをすぐに教えてくれなかったのか、と書かれているうきうきとした顔になんともいえない感情を覚える。こちらの状況を楽しんでいるのはまるわかりだ。他人事だと思って、と恨み節をぶつければ、他人事だもん、とけろりとした表情で返答が飛んでくる。

「〝慎ましくて、一歩引いている姿に惹かれたんだ〟って」
「なにそれ笑っちゃうわね。なまえのこと何も見てないじゃない」
「だよねぇ」

 ボーダーを退隊したのはもう三年くらい前のことで。大学に入って少しした頃にボーダーの職員にスカウトされ、入隊したのがすべてのはじまりだ。攻撃手から始めて自分には合わないな、と思い銃手になった。時間を捻出しては個人のランキング戦に参加していたおかげで、しばらくすればマスタークラスに届き、A級にまでなったのは今でも記憶に残っている。ボーダーに入隊してから沢村に出会い、東や冬島を紹介され、年長組として気づいたら上からも下からも一括りにされるようになっていた。
 退隊することになったのは単純な理由だ。トリオン器官の衰えを肌で感じ始めたときにちょうど就職活動期間と被り、運よくボーダーのスポンサー企業に内定をもらったからで。今思うととてもタイミングがよかったのだろう。それなりに重要機密も知っていた身なので、記憶封印措置でもされるかと思いきや、素行がよかったこととボーダーのスポンサー企業に就職するから、と措置は行われなかった。
 おかげで退隊した今でも沢村や冬島とお酒を飲む機会を得られているわけである。ボーダー上層部の寛大な配慮に感謝しかない。

「社長の息子ってどんなひとなの?」
「えー、ふつうのひと」
「ふぅん」
「可もなく不可もなくって感じ」

 告白されたときのことを思い出すが、割と唐突だったという印象がある。ここ数週間よく食堂で出会いご飯を共にしているな、とは思っていたが、他の社員もいたしサシではなかったので気に留めてもいなかった。
 就業時間後の帰り際に呼び止められてカフェに誘われ、断る理由もないのでカフェに連れ添って行くと、カウンターで向き合うように座るために場所を取る。
 自由の女神像が想起されるシンボルマークのコーヒーショップに入り、注文するのはいつものキャラメルマキアートだ。甘いけれどどこか苦いそれが大学生の頃から好きだった。誘ってきた本人は本日のコーヒーを頼んで飲んでいたのを覚えている。件のひとは緊張した面持ちで話を切り出した。
 入社したときから感じがいいと思っていたとか、普段の業務のきめ細やかなフォローがとても好ましいとか、穏やかに控えめに笑う姿に心惹かれたとか。まぁまぁ恥ずかしいことを言われたような気がするが、あまりに突然のことだったのでよく覚えていない。
 返事はすぐじゃなくていいから考えてほしい、と言われ、そのあとは他愛もない業務や社員の話をした。

「そもそも、なまえ控えめに笑ってんの?」
「だって、ボーダーにいたときみたいにあはは、って歯を見せるようには笑えないでしょ」
「それはそうか」
「流石に学生と社会人じゃね、変わるって」

 銃手をしていた頃は、相手を機関銃型のアステロイドでブッ放すのがとても楽しかったし、爽快感もあった。おかげで勝つたびに歯を見せて大きく笑っていた記憶がある。下品だぞ、といくら周囲――と言っても特定の男ひとりだが――にもよく怒られていたものだ。だって楽しいんだから仕方がなかった。生意気な後輩たちに完膚なきまでに穴を空けるのは、それはもう大層楽しいのだ。性格が悪いとは言われるけれど。沢村と切磋琢磨して、冬島の特殊工作に引っかかり、東に撃ち抜かれる日々を思い返して、懐かしい気持ちが胸中を過ぎる。

「お互い大人になったよね~」
「ほんとそれ~」

 話がひと段落ついたところで、グラスが空いていることに気づいて次は獺祭を注文した。沢村は甘いお酒を頼むらしくメニュー表のカクテルのページを開いて目を通している。ここでかわいい女ぶってもしょうがないでしょ、と笑えば、甘いものを飲みたい気分なだけ、と返される。

「そういえばさ、」
「ん?」

 メニュー表から視線を外さすに沢村が話しかけてくる。合わない目からは感情を読みとることができなくて、思わず身構えてしまった。

「東くんとは相変わらず?」
「相変わらずって?」
「当たり障りのない連絡しか来ないのかってこと」
「まぁね」

 ボーダーの生活を思い返すにあたって、思い出の密度が濃いのが沢村、東、冬島の三人で。沢村や東とは入隊当初から同い年だということで仲良くなった。東とは大学で同じ学部ということもあって、沢村と同じくらい仲良くしていた記憶がある。なまえの記憶力の齟齬でなければ、だが。
 レポートの件で何度拝み倒したかはわからない。持つべきものは同じ学部の同じ講義を選択している知り合いだ。
 そんな一方的な関係を築いていた彼と付き合ったりなどすることはなかったが――なんなら東に定期的に彼女がいたことは知っている――、心地のいい友人関係とやらは築けていたと思う。たまに、彼の彼女にやっかまれることはあったけれど。

「てっきり東くんやわたしと一緒にボーダーに残ると思ってたわ」
「んー、でも残ってもそのうち頭打ちだったと思うよ。トリオン器官衰え始めてたし」
「後進指導とかあるでしょ」
「いいの。綺麗な思い出のまま置いておきたかったから」
「そういうところあるよね、あんた」

 好きなものであればあるほど距離を取りたがるの、なまえの悪い癖よ、とため息ながらに沢村に言われた言葉は聞こえていないふりをして聞き流した。身に覚えしかないので正直耳が痛いが、知らないふりをするのが一番だ。
 せっかくの休日の前日だから張り切って飲もう、とグラスを合わせて音を立てる。楽しい時間を過ごすことに専念して、
 脳裏にするり、と表れた感情にも知らないふりをした。

 
   §

 
 沢村と飲んだ日の次の月曜日に会社に出勤すれば、待ち構えるように社長の息子が部署の部屋の前に立っていた。威圧感などはないけれど、堂々と立っていて自分はここで人を待っていますよ、とありありとわかる様子だ。
 用があったようで、そのまま昼食を一緒にしないか、と約束を取り付けられる。断る理由もないし了承して自分の部署に入っていけば、デスクに座る前に同僚や上司に捕まって根掘り葉掘りと事情を聞かれた。
 明日には会社中に広まっているかもな、なんて他人事のように考える。

「玉の輿じゃん、おめでと」
「いやいや、きっと手頃な女がわたししかいないからですって」

 適当に話題をなまえが契約を取ってきた取引会社からの受注内容に切り替えて、その場を切り抜けた。自身のデスクに到着する頃には疲れ果ててしまったが、隠しながら平静を保つ。
 煩わしい視線を黙殺しつつなんとか午前の業務を終えて、社長の息子と約束していた昼食に向かった。近場にある少しおしゃれなカフェに連れて行かれ、他愛もない話をしつつ食事が一段落したところで相手が口火を切る。

「親に紹介してもいいかな」
「はぁ」

 考えるのが面倒すぎてもうこのままでいいかな、なんて思ったり。結婚願望もないわけじゃないし、誰か付き合っている男性がいるわけでもないし。流されることが楽だというのも知っている。あとまぁ玉の輿なので不自由な生活にはならないだろう、と脳が勝手に今後の人生を試算した。なにかしらの行動を自ら起こすということは、とてもとても面倒くさいことなのだ。

「あれ? みょうじさん? 久しぶりだね」
「唐沢さん」

 どのように返事をするのが正解か考えているところに、背後から知っている声に呼びかけられる。振り返ればそこにはたまに交流があるボーダーの外務担当の唐沢がいた。会話を聞いていたらしく、目を瞠って驚いた様子でこちらを見ていることになんだか笑えてくる。珍しい表情が見れたものだ。

「この人は?」
「あぁ、ボーダーの外務部長です」
「初めまして、御社には日頃よりお世話になっております」
「こちらこそ、いつもお世話になっております」

 社会人らしく名刺を交換する唐沢と社長の息子を眺めながら奇妙な光景だなぁ、とこの場に相応しくないことを思った。

「唐沢さんがこの辺にいらっしゃるの珍しいですね。うちの会社とアポでもあったんですか?」
「あぁ、うん。みょうじさんをボーダーに引き抜こうと思って」
「…………………………………………は?」

 その後の展開は察してもらいたいところである。
 唐沢に連れられて支社長の息子と営業部に向かえば、部長も寝耳に水だったらしい。そのままの流れでなぜか社長室にまでいくことになった。あまり立ち入ることのない社長室に緊張したまま入っていけば、驚いた顔をした社長の姿が目に入る。
 社長までも知らなかった話らしく、ぽかんとした表情を浮かべている社長や社長の息子に申し訳なさを覚えながら、どこをどう話したのかわからないが、気づけば唐沢に引き抜き宣言された日から一ヶ月で会社を退職していた。
 戻ってこいと引き抜かれて、今の倍の給与が貰える雇用条件を提示されては流石に折れざるを得ない。
 ボーダーに戻って唐沢の部下として外務担当に就任していて、今までの会社でのスキルを生かせるからいいのだけれど、なんとも言えない気持ちになる。
 慌ただしい日々にてんやわんやしながらも、すこし落ち着いたところで食堂に向かえば、見慣れた調理のおばさんたちも残っていて笑顔で迎え入れられた。
 昔から好きだった鯖の味噌煮定食を食べようとテーブルについたところで、声をかけられる。

「隣いいか?」
「東。久しぶりだね」
「唐沢さんに連れ戻されたんだって? おかえり」
「ただいま」
「またよろしくな」
「わたし、外務担当なんだけど」
「そうだったか?」

 とぼけた言葉を返されたことで昔を思い出し、おかしくなって笑ってしまった。あはは、と声を上げて笑えば東が満足そうに笑う姿が目に入る。
 一緒に食べた昼食を食べたひとときは昔に戻った感覚を覚えてとても楽しいものだった。
 出戻って恥ずかしいな、なんて思っていたけれど、周りは気にしてないみたいだから、図太くしれっと過ごしていこうと思う。

 出戻ってきたなまえと東が食堂で食事にありついていると、ちょうど休憩だったらしい沢村がやってきた。東となまえの向かい側に腰を下ろして、手に持っていたトレーをテーブルのうえに置いた。鯖の味噌煮定食を選んだらしく、なまえと美味しいよね、なんて笑いあっている姿に大学生の頃を想起する。相変わらずこいつらは仲がいいな、と東は思った。なまえのスマートフォンが鳴って、唐沢に呼び出されたから、と席を立って食器の返却に行ってしまう。名残惜しい感情を覚えながら、学生時代よりも大人になったと感じた。

「連れ戻して満足?」
「なんのことだか。俺は唐沢さんに営業に向いてそうな知り合いがいないか聞かれて、答えただけだよ」

 しらばっくれてそう解答をすれば、沢村がこれ見よがしにはーっと東の顔を見ながら大きな息を吐いた。

「それだけじゃないでしょ。なまえの交友関係、遠回しに管理しておいてよく言う。玉の輿のチャンスだったのに」
「さすがに結婚に前向きな付き合いをされてしまうと手元に取り戻せないから」
「うっわ、悪い男。自己中心的」
「そんなの今更だろ?」
なまえが気づかないことを願うばかりよ」

 もっとしあわせになれるかもしれないのに、どんな手を使ってでも自分のものにしてしまうあたりが悪い大人だな、と思ったけれど、沢村は何も言わなかった。なまえが帰ってきてくれて嬉しいと思う自分がいるし、なにより東にはきっと沢村が言わんとしていることは伝わっているだろう。

「シンデレラストーリーぶち壊して、ほんと悪い人」
「はは、なんとでも言えばいいさ」

 悪びれることもせずににこやかに言い放った東の姿を見て、沢村は戻ってきてしまった彼女を不憫に思った。きっと鈍感ななまえのことなので、気付く日はこないと思うが。

「そこまで執着するなら、大学のときから捕まえとけばよかったのに」
「それらしいことは何度か言ったんだがな」
なまえ、馬鹿だからはっきり言わないと分かんないでしょ」
「そうだったらしい」

 東の話をすこしだけ掘り下げると、学生時代に何度か遠回しに付き合わないか、とは言ったらしい。けれど、なまえは馬鹿なので――何度でも言う――、はっきりと言わないと伝わらないのだ。何人の男か気づかれずにフラれたことか。沢村が把握していただけでも、両手の数くらいはいただろう。好きです、付き合ってください、と言われたら、さすがに付き合うかごめんなさいをしていたが、そうじゃない相手にはなかなかひどいことをしていたと記憶している。どうやら、東にもそれは適用されていたらしい。沢村はシンプルにざまあみろ、と思った。

「東くんが同じことを繰り返すの楽しみにしてるわ」
「さすがに、今度は俺もちゃんとするさ」

 まだ恋愛感情を持って東のことを見ていないであろうなまえのことを想う。なんとなく学生時代から東のことが好きっぽかったのに、自分では気づかなかった――気づこうとしなかったが正解かもしれない――彼女が、今度はどうなってしまうのか。逃げ切れるのか、逃げ切られる前に捕まえるのか、見ものだな、と沢村は野次馬根性よろしく思った。