彼女に初めて出会ったのは呪術高専にやってきて初めての春のときのことだ。
高専内にも季節を感じさせる花木はいろいろとある、とパンダくんに聞いて、授業後に敷地内を散策していた。
場所を聞くのを忘れてしまっていたので、あてもなくうろうろしていると、足元に薄紅色の花びらが視界に入る。足を止めて、周囲に視線を巡らせると森の奥まった場所に薄紅色の樹木が見えた。
パンダくんが言っていたのはこれか、と思って森の奥に足を進めていくと先客がいたらしく、ほかの人間の気配を感じる。
恐る恐る近づいていくと、折れた枝が足元にあったことに気づかず踏みつけてしまった。ぱきり、と小気味のいい音がなると同時に、先客が肩を跳ねさせたのがわかる。
「す、すみませんっ。桜を見にきただけなんで、す」
最後の音は無意識に小さくなっていた。先客の姿が目に入って、視線を奪われたのがわかる。
「あなたも、桜を……?」
「は、はい」
同い年くらいの色白の女の子が桜の木の下にいた。真っ白なワンピースを着た彼女は今にも消えてしまいそうな雰囲気で、なんだかこころがざわついて落ち着かない。見覚えのない人なので、先輩だろうか。高専内には任務で社会人が入り込むこともあるらしいから、そういった類の人かもしれない、と見当をつける。
「あの、僕、二年の乙骨憂太って言います」
「わたしは…………そうですね、妖精さんとでも呼んでください」
「は、はぁ」
素っ頓狂なことを言われて思わず呆気に取られてしまう。そんな憂太の様子が可笑しかったのか、目の前の女の子は鈴が転がったように笑った。
「ごめんなさい。名前を他人に言うことは禁じられているんです」
「あ、そうなんですね。むしろこちらこそすみません……」
「いえいえ。なので、気軽に妖精さんって呼んでもらえたら」
「はい、」
では、お言葉に甘えて妖精さん、と呼べば、はいなんでしょう、と返事をされる。楽しそうに笑っている彼女の姿に頬に熱が集まったような気がしたが気のせいだろう、と思考を脳の奥に押しやった。
「もっと近くでご覧にならないんですか?」
「え?」
「近くで見るともっとすごいですよ」
彼女に指摘されて、ようやく自分が木を踏んだときから一歩も動いていないことに気づいた。妖精さんに手招きをされて、その手に引き寄せられるように隣に並んだ。
確かに言っていた通り、近くで見る方が迫力が段違いだった。ほう、と感嘆の息が自分の口から漏れたのがわかる。そんな乙骨を見て妖精さんは満足そうに笑った。
「妖精さんは毎年ここにいらっしゃるんですか?」
「はい、ここで桜を見るのが年に一度の楽しみなんです」
「へぇ。ここの桜、綺麗ですもんね」
視線を桜に向ける彼女に釣られて同じように桜の木を見上げれば、満開の桜が視界を埋め尽くす。地元にいたときもこんな桜は見なかったような気がした。誰かがきっと手入れでもしているのだろうか。
「ここに来るとどのくらい時間が流れたかわかるから好きなんです」
「桜を見たらわかるんですか?」
「えぇ。木の大きさがね、叙々に大きくなって行ってるんですよ」
「なるほど」
そういう楽しみ方もあるのか、と感心してしまった。どうしても桜の木を見るとたくさん咲いてるなぁ、とかそういうところばっかり見てしまっていた自分を反省する。
じっと二人並んで桜を見つめていると、風がそよいで二人の頬を撫でた。
「そういえば、妖精さんはおいくつなんですか?」
疑問に思っていたことを口にすれば、質問を投げ返された。
「乙骨くんにはいくつに見えますか?」
「同い年とか、もう少し上くらいかなぁ、と」
「あら嬉しい。でもね、乙骨くん。女性に年齢を聞くのはご法度ですよ」
「……失礼しました」
「いえいえ」
楽しそうに笑う妖精さんはうつくしい人だと思った。同じ人間のように見えるのに、違う生き物のようにも見えて。そう、五条先生の雰囲気に似ているような気もする。
「妖精さんも呪術師なんですか?」
「はい。一応」
「はぁ、すごいですね」
「わたし自身はそんなにすごくありません。基本的に行っていることもほかの呪術師の補助なので」
「それでも、すごいです。僕はまだ自分の呪力もうまく使いこなせなくて」
「ゆっくりでいいんですよ」
周りにも同じことをよく言われた言葉なのに、妖精さんの言葉は自分の中にすとんと落ちてきた。
「わたしも、最初のころはうまく自分の術式が使えませんでした」
「そうなんですか?」
「えぇ。でも、鍛錬を積めば、きちんと結果は表れます。まだきっと鍛錬が足りてないだけですよ」
「そう、ですよね。僕、もう少し頑張ってみます」
「鍛錬はいつか実を結びます。呪術師の成長は緩やかじゃありませんから」
「緩やかじゃない?」
気になった言葉を聞き返せば、妖精さんは頷いて、それから言葉を続けた。
「自転車の乗り方と一緒です。自転車もふとした瞬間にコツを掴めば、それ以降は乗ることが容易いでしょう?それと同じです」
「……なるほど」
「だから、焦らず、結果が出るまで試行錯誤を続けるしかありません」
「頑張ります」
「えぇ、頑張ってくださいね」
出会って数分しか経っていない人なのに、励まされて申し訳ないとも思いながら、感謝を告げる。
「悩んでたので、少し心がすっきりしました。ありがとうございます」
「お役に立てたのならなによりです」
「なんだか僕ばっかりが励ましてもらって申し訳ないです」
「いいんですよ。若者は悩むのが仕事ですから」
「でもなにか、お礼がしたいです」
妖精さんをまっすぐに見てそういうと、彼女は少し考えるそぶりをして、それから思い当たったものがあったのか両手を合わせた。
「そうだわ、ひとつだけお願いしてもいいですか?」
「僕にできることであれば」
「じゃあ、来年もこの日、この場所で会ってほしいの」
「来年、ですか?」
「えぇ、駄目かしら……」
「大丈夫だと思います」
問題ないことを告げると妖精さんは頬を染めて嬉しそうな表情を浮かべる。よっぽど嬉しいらしい。ここまで喜んでくれるのであれば、来年も絶対この場所に来よう、と決意する。
「じゃあ、それで」
「そんなことでいいんですか?」
「そんなことがいいのよ」
悪戯っ子のような表情を浮かべる妖精さんに目を引かれたが、視線をわずかに逸らして見なかったことにした。
それから少し話をして、空が橙から紺色の夜に染まり始めた頃、妖精さんはもう帰らないと、と言った。去って行こうとする背中を見送っていると、くるりと振り返って。動作に伴ってワンピースがひらりと舞う様子が神聖なもののように感じる。妖精さんというのもあながち間違いではないのかもしれない。
「来年もこの場所で会えるのを楽しみにしてますね、憂太くん」
「はい、またぜひ」
またね、と手を小さく振って、また背中を向けた彼女の姿が見えなくなるまで目で追った。
四月一日。それは彼女に会える唯一の日になった。
▽ ▽ ▽
早く戻らなくては、と早足で歩いていると可愛いお人形を抱いた知っている人間を見かけた。今日のお迎えはどうやら彼らしい。わたしの姿に気付くなり、声をかけてきて距離を詰められる。
「こんなところにいらっしゃったんですね、 なまえ様」
「今日のお迎えは夜蛾さんでしたか」
「私では不満ですか?」
「いいえ」
ファンシーなお人形はいつ見ても可愛らしくて癒される。また新作を作ったらしく、それに触れようとすると人形に手を伸ばすと彼の背中に隠されてしまった。
「だめですよ」
「ちぇー」
不満そうに唇を尖らせれば大きなため息を吐かれた。はいはい、いい大人がこういう仕草をするなって言うんでしょう。大人しく戻ってきただけえらいと思って欲しい、なんて言ったらおでこにデコピンの一つでもされそうだけど。
「……なんだか、楽しそうですね」
「わかります?今日ね、いいことがあったんですよ」
「それはよかったですね」
「ええ。五条さんの言う通りたまには外に出てみるものですね」
「五条の言うことは話半分に聞いておいた方がよろしいですよ」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
五条さんはわたしに外の世界のことを教えてくれる数少ない存在だ。本来、天元様以外の存在と関わることを許されないわたしが外に出られるようにしてくれたひと。
「ふふっ、肝に銘じておきます。じゃあ、薨星宮に戻りましょうか」
先導して前を歩く夜蛾さんの後ろに続きながら、考えるのはさっき出会えた彼のこと。青い悩みに眩しいなと思いながら、彼の纏う雰囲気が心地よかった。許されるのであれば、どうか来年もまた彼に逢えますように。