鈍痛とくるぶしソックス

今日もわたしの周りをよくないものが包み込むように漂っていく。多くなったり少なくなったりする〝これ〟は生まれてから今日までずっとわたしの側にあったものだ。よくないものであることに気づいたのは、中学生に上がってからのことだったけれど。よくないものの存在を何となく感じ取りながらも、実害は特になかったので放置していた。
そんなわたしの目の前によくわからないおじいさんが現れて、わたしを指さして笑った。和服がよく似合うおじいさんだなぁ、と他人事のように考えていると、目の前のおじいさんが言葉を発する。

「こいつはたまげた」
「なんですか……?」
「嬢ちゃん、よくそんな状態で生きてるなぁ」
「はぁ……」

要領を得ない会話に首を傾げていると、おじいさんがわたしの手を取った。いつの間に目の前に来てたんだろう。全く気付かなかった。わたしに触れているおじいさんの手がだんだんと黒く変色していく。突然のことに悲鳴を上げそうになるのをどうにか抑え込んで口を閉ざした。

「うむ、やはりな」
「あの、手、だいじょうぶ、ですか」
「大丈夫じゃ。嬢ちゃんはなんともないか?」
「はい」

手を解放されておじいさんの方を凝視していると、おじいさんはひげを触りながらなにかを考えているようで。それから結論が出たのか、視線がこちらに向いた。

「これから時間はあるか?」
「あ、はい」

おじいさんに連れられて、気づけば荘厳とした屋敷まで案内されていた。この辺にある家の中で一番大きいお屋敷だったので見覚えはある。この人のおうちだったのか。中に入るように促され、言葉のままに入っていくと和室の一室に通された。

「そこに座りなさい」
「はい」

なんとなく正座の方がいいだろうか、と思って制服のスカートにしわが寄らないように座る。いつの間にかお手伝いさんらしきひとが現れて身体の斜め前にお盆とその上に乗ったお茶を置かれた。
こういう家の雰囲気のせいかわからないが、目の前のお茶がとてもおいしくてとても高いもののように感じる。中学生が飲んでいいものか。いや、置かれたから飲んでもいいんだろうけど。

「嬢ちゃん、自分の周りに何かいるのはわかっているか?」
「なんとなく……?」
「〝それ〟の量が減ったり無くなったことは?」
「少ないかも、と思うことはありますけど、無くなったと感じることはないです」
「なるほどのぉ」

あぁ、今更だったな、とおじいさんは名前を名乗った。楽巌寺嘉信と名乗ったそのひとはわたしの周りにいるなにかについて話してくれて。このままではいつか自分の命を落とすかもしれないから、と呪術師になることを勧められた。呪術師というのはよくわからず、わたしに理解できたのは悪さをする霊を除霊するようなものらしい、ということだけだ。
気づけば地元の高校には進まず、楽巌寺のおじいちゃんに勧められるままに府立呪術高等専門学校に進学することにした。呪術高専に入学しても、わたしの周囲に纏わりついている〝それ〟の詳細についてはわからないままではあったが、同年代のクラスメイトや先輩たちのおかげで楽しく過ごせている。自分の術式を知らなければ呪術師にはなれない、と言う担任の先生の言葉に頭を抱えながら、今日も今日とて自分の術式を理解しようと努力した。
現状で分かっているのは、何かしらの加護であるのではないか、ということと呪霊には害があるが呪術師や非術師には害がないということだ。任務に行くと祓う対象の呪霊が気づけばいなくなっているというのもざらで。あやふやなまま高専での生活が一年経過していた。

「交流戦、なまえはどうするの?」
「え?」
「そうだよ。初日の団体戦は良いけど、二日目個人戦だよ。戦える?」
「コジンセン……?」
「あ、壊れた」

二年生になり、日々の任務と課題と授業にてんやわんやしていて、すっかり忘れてしまっていた。そうだ、二年生からは東京校との交流戦に出ないといけないという事実を頭から抜け落としていたことに今気づいたわけだ。気づきたくなかった。食堂で先輩とクラスメイトに囲まれてどうしよう、どうしよう、と呟きながら冷や汗がだらだらと出てくる。しかもあれでしょ、東京校には呪術界最強と謳われる五条さんとやらがいるんでしょ。無理や。

「五条さんとやらと当たったら死ぬしかなくない?」
「そうなったら両手のしわとしわを合わせて、なーむーしてあげる」
「そこは助けてよ」
「やだよ、あんなバケモノ」

さらり、とそう言い切った先輩になんとなく嫌な気分を覚える。バケモノ、なんてそんな言い方しなくても良いと思うんだけどなぁ。

「まぁ、なまえはさっさと棄権するに限るんじゃない?」
「やっぱりそうですよね」
「術師と戦う能力じゃないからなぁ」
「な、なまえはいつも通り俺らの後ろに居たらいいって」
「はぁい、」

甘やかされているなぁ、と思うと同時に、役立たずのレッテルを貼られているなぁ、とも思う。先輩たちの言うことはなにひとつ間違えていないので、言い返すことはできないわけだけど。交流戦でみんなの足を引っ張らないように少しでも努力しよう、と意気込んだ。

▽ ▽ ▽

「あれ、君面白いね」
「はい?」

引率の先生に連れてこられて、東京校までやってくるとサングラスをしたひと――おそらく先輩だろう――に話しかけられた。わたしの頭からつま先までをじっと見つめて、それから笑う。楽巌寺のおじいちゃんといい、一定の呪術師はわたしを見て笑う習性でもあるのかな。

「うーん、すごい。生きてるのが不思議なくらい」
「それ、楽巌寺先生にも言われました」
「おじいちゃんにも?そりゃよっぽどだね」

少しイラっとしてむっとした表情を浮かべていると、目の前の東京校の先輩はわたしの頭に触れようとした。すると、今まで気配だけ感じていた〝それ〟が変色して黒い煙になって目の前の先輩を覆い隠そうとする。飲み込まれる、と思ったところで、パァンと渇いた破裂音がして、黒い煙が晴れた。

「え、なにしたんですか」
「君の周りにいる呪霊の数を減らしただけ」
「はぁ、」
「あ、自分の術式のことわかってないんだろ」
「そうですね」
「まぁ、戦闘向きではないよね」
「やっぱり」
「自覚はあったんだ?」
「なんとなくは」

へー、そこまで理解できてるならあとすこしだね、なんて笑みを浮かべる先輩に感情のない返事をすることしかできない。この人にはいったい何が見えているんだろうか。

「五条さん」
「七海」
「夜蛾先生が呼んでますよ」
「へーへー。じゃあね、交流戦でよろしく」
「はぁ、」

手を振りながら去っていく五条さんとやらを見送っていると、彼を呼びに来た人がわたしに声をかけた。

「五条さんになにもされてませんか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「京都校の人ですか」
「はい。京都校のみょうじなまえと言います。二年です」
「同じく二年の七海建人です」
「え、同い年?」
「はい」

やっぱり東京のひとっていうのはみんな大人っぽいんだなぁ、と思う。七海くんも普通に先輩に見えてしまった。

「そういえばミーティングに行かなくていいんですか?そろそろ時間ですよね」
「あ!ほんとだ!教えてくれてありがとう、七海くん」
「いえ」

京都校のミーティング場所はわかるか聞かれて、わかります、と答えると、そうですか、と返された。うん、会話が続かない。

「じゃあ、もう行くね」

さっさとこの場を去ろうと足を踏み出すと、なにもないのに躓いてずっこけた。

「大丈夫ですか」
「………………はい」
「少し見せてください」

転んだわたしの身体を起こすのを手伝ってくれて、それから足元に跪いてひざの砂を払ってくれる。そういえばだれも見ないだろうから、と思って左右違うソックスを履いてきていることを今思い出してしまった。くるぶし丈だから見えてなかったら良いけど。むしろ見えてないでほしい。足首を掴まれて、痛みが走った。顔を歪めてしまったのを見られて、七海くんがため息を吐いて、体の向きを変えてわたしに背中を見せる。

「乗ってください」
「え、いいです」
「いいから。医務室に運びます」
「すみません」

促されて七海くんの背中に身体を乗せると、思ったよりもがっしりとしていて驚いた。異性におんぶをされるのが久しぶりすぎて心臓がどきどきと動いて、頬に熱が集まったのがわかる。この状況から解放されたくて、早く医務室に着かないかなぁ、なんて思った。