ノット・ニュートラルな町

以前世話になった――と言っても甚爾が物心もついていないくらいのときのことらしいが――という父親の弟である叔父に子どもが生まれたというので、祝いに行こうとその人間の元に訪れた。叔父の嫁は産後以降調子がそこまでよくないらしく、世話になった人も子どもよりも嫁の世話に追われているようで。叔父に顔色の悪いまま家の中に迎え入れられたが、家の中はそこまで明るい雰囲気とは言えなかった。

「甚爾、来てくれたのか」
「こんちは」
「悪いな、あんまりお構いできなくて」
「いえ、そういえば子どもは?」
「あぁ、乳母に見てもらってるんだ。会っていくかい?」
「一応、今日の目的それなんで」
「そうだったな。こっちだよ」

案内されて、一つの部屋の前で自分の前を歩く叔父が足を止めた。中からは楽しそうにしている赤ん坊の無邪気な声が聞こえる。子どもと関わることなく生きてきたため、ここにきて躊躇を覚えた。甚爾がそんなこと思っているなど知りもしない叔父は部屋に入っていき、その後ろに続くしか選択肢が残されていない。おそるおそる叔父が先に入っていった部屋に足を踏み入れれば、そこだけは仄かに明るいように感じた。

なまえー、甚爾が遊びに来てくれたぞ、って言ってもわかんないか」

叔父に促されてなまえと呼ばれた彼の娘を抱く乳母に近づくように手招きされる。そろりそろりと距離を詰めていくと、まだ生まれて間もないからかどこか人間っぽさが足りていない生き物が乳母に抱かれているのが目に入った。

「赤ん坊ってこんな感じなんすね」
「あぁ、甚爾もいつか子どもができるんだろうなぁ」
「いつの話をしてるんですか」

眩しそうな視線で遠くを見る彼には甚爾が誰かと結婚して子どもが生まれたときの光景でも見ているのだろう。自分自身ではまったくもって想像つかないが。そもそも御三家と言われる禪院家の生まれであるにも関わらず、呪力を持って生まれてこなかった自分には何かの価値があるようには思えなかった。

「甚爾?」
「あ、」
「ついでに、なまえのこと抱いていかないかい?」
「え、いや、遠慮しときます。落っことしそうで怖いし」
「そう言わずに。私も乳母も見てるから大丈夫だって」

戸惑っている甚爾を見て乳母と叔父は楽しそうに笑いながら、赤ん坊を甚爾に差し出し見せてくる。恐々と差し出された赤ん坊を受け取って、乳母の指示のままに抱いた。まだ全然重くないとも思うし、人間としての最低限の重さがあるようにも思える。こんなに小さな存在が、いつかは成人するのだから人間というのは不思議な生き物だと思った。

「あぅ、ぁ、あー」

まだ喃語しか話すことができない腕の中の存在は、甚爾のことをわかっているんだかいないんだかきゃっきゃっと笑っている。こんなことを言ってはいけないのは重々承知しているが、口に出さずにはいられなかった。

「この子には、術式があるといいですね」
「……そうだな」

術式があるとないとでは禪院家内での扱いがかなり異なる。構成術式を持って生まれてきていればぎりぎり及第点、相伝の十種影法術などを持って生まれてきていれば御の字、それ以外は論外。呪力のない甚爾はこの中の論外にあてはまり、最早いないものとして扱われた方がマシだと思えるような扱いを受けていると言っても過言ではない。

「お前にお願いするのは間違えていると思うけれど、この子が泣いているときにもし偶然会ったら、頭を撫でてやってほしいんだ」
「なんで俺なんですか。叔父さんが撫でてやればいいでしょう」
「もちろん私も撫でてやるつもりでいるよ。でも、なにがあるかはわからないから」

寂寞の表情を浮かべつつも笑みを浮かべる叔父に違和感を覚えながら、偶然会ったらですよ、と条件を付けて願い事を飲み込んだ。
しばらくの間、なまえを抱いてじっと顔を眺めたけれど、叔父の嫁に似そうだな、と思う。禪院家によくいる顔ではないと感じたのだ。普段使わない神経や筋肉を使ったからか、腕が疲れたところで乳母に腕の中のなまえを返す。乳母は難なく抱きなおして、それからまた赤ん坊をあやしだした。

▽ ▽ ▽

禪院家という腐りきった家系の中で呪力を持たない自分は淘汰される存在でしかなく、周囲に奴隷のように扱われていた。そんな日々を抜け出してやろう、と内心意気込んでいたところに、五条に六眼のガキがいると聞いたので見に行くと、背後に立ったはずの自身が気取られたのが記憶に焼き付いている。すべて持っている人間というのはどこにでもいるのだな、と思った。
五条の秘蔵っ子はちょうどなまえと歳が近く、いつか呪術高専で会うこともあるのかもしれない、なんてことを考える。甚爾は呪力がないので入学するという話すら挙がらなかったが。叔父の嫁は甚爾が会いに行った三年後に結局産後の肥立ちがよくならないまま亡くなった。親に命じられて同伴した葬儀では、親戚共からの叱責など気にならないほどに憔悴しきっている叔父の姿が印象的で。腕に抱かれず乳母と手を繋ぎ、そんな父をじっと見ているなまえの姿が目に映った。その姿はどこか子どもらしくない。
嫁を亡くした以降の叔父は人が変わったように家の中にこもりっきりになった、と風の噂で聞いた。彼の子どもであるなまえは乳母と共に本家に引き取られたと聞いて、なにかがおかしいと思い本家にしのびこめば、離れで一人毬遊びをするなまえの姿あって。なんとなく、ざわざわと胸の内が落ち着かない。
わざと垣根に当たって音を立てれば、音に反応したなまえが振り返って甚爾の姿を視認する。

「お兄ちゃん、だあれ?」
「お前の従兄弟だよ」
「おなまえは?」
「甚爾」
「とうじくん」
「呼び捨てでいい」
「よびすて」
「甚爾って呼べって言ってんだよ」
「とうじ」

鸚鵡のように言葉を返してくるなまえに面白くなって思わず口元が緩む。生まれたばかりの頃は叔母に似たと思った彼女も、結局父親に似たらしく禪院家らしい顔立ちになっていた。

「一人で遊んでんのか?」
「ほかの子と遊んじゃダメなんだって」
「なんでだ?」
「ばあやはなまえのじゅつしきは正しいものだからって言ってた」

〝正しいもの〟という言葉がやけに耳に引っかかる。この腐った家の中で正しいと言われる術式はひとつしか思い浮かばない。

なまえの術式ってなんだ?」
「あのね、かげを使うやつ」
「……なるほどな」

術式が備わっているかどうかを気にしていた叔父からすれば嬉しいことだろう。十種影法術を持って生まれてきたということは禪院家の中で勝ち組になれるということだ。これで周囲から淘汰される心配はない。けれど、叔父がすんなりとわが子を差し出すタイプには思えない。おそらく本家に無理やり取り上げられたか、嫁の死に飲み込まれてわが子のことが見えていないか。
まだ四歳になったばかりの子どもを親から平気で引き離すこの家の異常さに吐き気を覚える。自分たちの栄耀のためにはなんでも犠牲にしようとするこの家らしい暴挙だ。

「俺と遊ぶか、なまえ
「いいの?!」

それまで子どもらしくなく落ち着いた雰囲気だった目の前の子どもが遊びに誘った途端、子どもらしさを爆発させたから驚いた。感情が死んでいるわけではなく、我慢していただけなのかもしれない。

「なにしたい」
「まりしか持ってない……」
「お、じゃあ蹴鞠でもするか」
「けまり?」

こうやって遊ぶんだよ、と毬を蹴って見せると、すごい!上手!とはしゃぐ姿が目の前に焼き付いた。普段何をして遊んでいるのか問えば、人形遊びと毬つきと言うのだからよっぽど隔離されているらしい。そりゃ久しぶりに十種影法術の使い手になるであろう子どもが現れたら、過剰に囲うのは必然とも言えるだろう。
なにも持たない甚爾からすれば喉から手が出るほど欲しいものであったが、実際になまえの扱われ方を見ると羨ましいという感情は薄れていった。むしろ気の毒だ、とすら思う。
やっぱりこの家は糞だ、と思い、改めて家を出る決意をした。