日常があしぶみをする

目の前でテレビに噛り付く津美紀に離れるように言えば、おとなしくテレビから距離を取ったけれど、視線がテレビから動くことはなかった。恵の方を見ても同じように青に染まる画面から視線が動いておらず、この姉弟の意識がテレビに持っていかれるのはよくわかる。
テレビに映っている番組を確認すると都心にある水族館で、この家から小一時間ほどで行ける場所だった。交通の便はそこまで悪くないのでおそらく電車一本で乗り換えなしで行けるだろう。鞄から手帳を取り出して次の仕事の休みを確認すれば、ちょうど次の土曜日と日曜日は一日同伴の何もなく休みだ。なんなら呪術関係の依頼もない。連れていけないことはないだろう。休みの日もなるべくこの家に来るようにしていたが、たまには二人を外に連れ出すのもいいかもしれない。

「津美紀、恵、ご飯できたよ」
「はぁい」
「ん」

ローテーブルの上に先ほどまでキッチンでせっせと作っていた晩御飯を並べていくと、番組がようやく水族館から内容が変わったようで、二人がおとなしくテーブルにつく。素直なところはかわいらしいと思った。甚爾の子どものわりに素直な恵と、甚爾に振り回された女性の子どもにしては素直な津美紀。二人はこのまま素直に育ってほしいと願う。

なまえちゃん、今日はおさかななんだね」
「そうだよ。鮭のホイル焼き。苦手だったっけ?」
「ううん。なまえちゃんの作ってくれるものならなんでもすきー」
「えーなにそれかわいいー」

嬉しそうに笑う津美紀がかわいらしくて勢いのまま抱きしめてやる。きゃーっと楽しそうな声を上げる津美紀に気分がよくなって、こちらを羨ましそうに見ている恵もとっ捕まえて二人まとめて抱きしめた。腕から少しはみ出る程度には大きくなった二人に感慨深さを覚えながら、ここに通わなければどうなっていたのか、と想像すると背中に冷たい汗が走る。
出会ったころは痩せすぎなきらいがあった津美紀も恵も、ご飯を作りに来るようになってからはふくふくと子どもらしい丸みをとり戻した。平均的な小学生の体格はよくわからないけれど、今くらいならちょうどいいくらいなんじゃないかな、と勝手に想像する。

「放せババア」
「はいはい。クソ餓鬼様は気難しいですねぇ」
「あ?」
「あ?」
「二人とも仲良くして!」

柄がいいとは言えない言葉のキャッチボールが始まりそうになったところで、津美紀に諫められる。わたしも恵も津美紀の一声でおとなしくなるのだから、津美紀は将来魔性の女になるのでは、と心配になる。
並べられた食事が冷める前に食べな、と促すと二人ともいただきます、と手を合わせて、それから箸を持って目の前の夕食を食べ始めた。この子たち、親からネグレクトを食らっていた割には箸の持ち方がきれいだし、食べ方も汚くないのだから不思議だ。誰に教わったのかと問えば、幼稚園の先生とは言われたけれど。わたしは中学生になるくらいまでうまく箸が使えなくて、ばあやにねちねちと嫌味を言われたことは覚えている。さすがに中学生になればうまく使うようになれたけれど。
わたしが作った夕飯を美味しい美味しいと言いながら食べてくれる津美紀は本当に愛らしい。黙々と食べている恵も多分不味いとは思っていないだろう。

「ねぇ、津美紀、恵」
「なぁに?」
「日曜日、朝からおでかけしようか」
なまえちゃんお仕事はいいの?」
「なんとお仕事休みでーす」

風呂から上がった津美紀と恵の髪の毛を乾かしてやりながら、週末の予定を提案してやると津美紀は目を輝かせて喜び、恵の目も津美紀と同じように輝いている。ピースサインを浮かべて仕事が休みであることを告げると、津美紀のテンションがさらに上がった。

「どこに行くの?」
「秘密」

行き先を気にした恵に答えると少し胡散臭そうな視線を向けられる。今までどこかに連れ出すなんてしなかったからね、言いたいことはわかるよ。うん。安心しな、変なところには連れてかねぇよ。
子どもたちを寝かしつけて、仕事に向かおうと玄関で靴を履いていると、布団にくるまったまま津美紀が絶対だよーって声をかけてきた。それにサムズアップで答えてやると、同じようにサムズアップを返される。

「いい子は早く寝な」
「はあい」

布団の中から見送ってくれる津美紀と恵に手を振って彼らの家を出た。外から預かったスペアキーで鍵を施錠するのは忘れない。ついでに二人が悪いものにちょっかいを出されないように簡易結界を張っておく。まぁ、中に入り込んでも恵がなんとかしそうな気はするけど。
アパートの階段を下りて、道路から彼らの部屋を見る。暗くなっているのを確認して、職場に向かった。職場の子持ちの人に水族館の話とか聞いておかないとな。小さい子たちを連れて歩くのは初めてなので、なにかしらの下準備は必要だろう。そんなことを考えながら、夜の街に溶け込むように足音を立てずに歩いて行った。

▽ ▽ ▽

勤め先であるキャバレーで事前調査はきっちりと行った。おかげで子持ちのヤンママだと勘違いされたけど。残念、従兄弟の息子とその義理の姉です、とは言えなかった。親戚の子なんですー、と受け流して、子持ちのキャストに話を聞いてきっちりメモはしておく。客にも子持ちの人は何人かいるので、適度な距離感のお客さんにはその話を振ってみてもみんな嫌な顔せずにいろいろと教えてくれた。
日曜日の朝から恵と津美紀の家に行くのは初めてかもしれない。いつも早く行っても昼過ぎだし、なんなら基本は夕方だから、なんだか目新しさを感じる。
前日に朝の八時に家に行くから、と言ってあったせいか、彼らの部屋が見えてくるころには津美紀が窓から身を乗り出してこちらに手を振っていた。

「津美紀危ないよー」
なまえちゃん!おはよう!」
「はいはいおはよう」

そのままアパートの階段を上がり、二人の部屋のドアを開錠しようとすれば向こう側からドアが開けられた。不用心だからやめなって言ってんだけどなぁ。

なまえちゃんおはよう!」
「さっきも聞いたよ。おはよう。恵も」
「ん」

視線だけよこしてそれからテレビに視線を戻す恵は、突然生意気な態度になるのでびっくりする。一体誰に似たんだか。大荷物できたわたしを不思議に思ったらしい津美紀がじっと見てくる。

「あぁ、津美紀も恵も着替えない?」
「え?」
「なんで」
「職場の人に子どもたちと出かけるんですって言ったら、お下がりくれたの。いつも同じような服だし、たまには気分転換しようぜ」
「するー!」

肩にかけていたボストンバッグを床に置いて、鞄を開ける。少し余所行きの装いの服をそれぞれ取り出して二人に渡した。津美紀にはかわいらしいワンピースと、恵には半袖のポロシャツと短パン。くたびれたいつもの服でもいいだろうけど、せっかくだからいいもの着せてやんな、と先輩キャストたちがくれたものだ。こういうとき、当たり障りのない関係を築いていてよかったと思う。どこでどういう形で返ってくるかわからないものだ。

持ってきた服に着替えた二人を見ると、どこのいいとこの子かな、と思う程度には見目がよくなったように思う。贅沢な生活をさせてあげられていたらもっとちゃんと見えるんだろうなぁ、なんて思いながら、ボストンバッグは置いて財布と化粧道具と携帯電話だけを入れたポーチを持った。

「さ、行くよ。二人とも」
「はーい」

ご機嫌な返事をする津美紀と返事をしない恵の手を掴んでアパートを出る。向かうは駅だ。
二人の住むアパートから最寄り駅までは大人の足で徒歩十分ではあるが、子どもたちのペースだと二十分ほどかかった。駅に着くなり先に購入しておいた切符を二人に渡して、改札を抜ける。目の前の電車に飛び乗り、ちょうど空席があったので津美紀を挟んで三人で横並びに座った。

なまえちゃん、これからどこ行くの?」
「ついてからの秘密」
「えー」
「変なとこじゃないだろうな」
「ちーがーいーまーすぅー」

電車に揺られること小一時間。終点の駅に到着して二人共に電車を降車する。ここまで来るとさすがに都心なので、逸れないように手を繋いだ。人の多さにうっとなっていると、二人は普段とは違う光景に興奮しているのかきょろきょろと周囲を見回している。
事前に調べてあった出口から外に出て、また二十分ほど歩いて行った。しかし、都会の日曜日の人の多さをなめていたのが正直なところだ。え、こんなに人多いのかよ。子どもたちが踏まれないようにしっかりと手を繋いで、ゆっくりと進んでいく。
ようやく目的の建物に到着する頃にはさすがの二人も疲れたのか、少し疲労が見えた。もう少し早い時間に連れ出すべきだったかもしれない、と反省する。
長いエスカレーターと動く歩道に乗って、建物の入り口に到着した。中に入っていき、またエスカレーターに乗り一階分昇る。エスカレーターを下りて少し歩けば水族館の入っているビルが目の前に見えた。水族館へはこちら、というエレベーターに乗り込んで、屋上に到達する。エレベーターを降りた途端、津美紀がどこに来たのか理解したらしく、わぁー!と声を上げた。恵も視線を動かしながら嬉しそうにしているのが目に入る。

なまえちゃん!なまえちゃん!おさかなさん!」
「そうだよー。今日のお出かけ先は水族館でした!驚いた?」
「うん!」
「ん、」

大喜びの津美紀につられてこくり、と頷く恵の姿も見られて安心した。ここまで長旅だったからこれで反応が微妙だったら凹んでいるところだった。窓口でチケットを三人分購入して中に足を踏み入れる。水族館なんていつぶりだろうか。中学生の課外授業以来かもしれない。
はしゃぐ二人が先に先に行こうとするので手を取って、迷子にならないようにする。館内を巡れば、人気な空を泳ぐペンギンに興味を示すかと思ったが、二人は揃ってグレートバリアリーフに興味を示したのだから驚いた。ペンギンとかコツメカワウソとかアシカとかいるのにグレートバリアリーフ。いいけどさ。
お気に召したらしいグレートバリアリーフの前で携帯電話のカメラを二人に向けてやる。

「恵、津美紀。撮るよー」
「えーなまえちゃんも一緒に撮ろうよー」
なまえちゃんの携帯電話の画素数じゃ三人で自撮りは無理よ」

やりとりが聞かれていたらしく、後ろに居たカップルが撮りますよ、と声をかけてくれた。断ろうと思っているところで、カップルの男性の方がお礼に自分たちのツーショットを撮ってほしい、と言うのでお言葉に甘えて三人で撮ってもらうことにする。もちろんそのあと声をかけてくれたカップルのツーショットもきちんと撮った。なんならお礼に三枚くらい撮っておく。お互いにお礼を言い合って、また館内を回っていった。はしゃぐ二人の姿を見ると、もっといろんなところに連れ出してやればよかったなぁ、と後悔する。
その日は結局二人が満足するまで水族館を回り、帰りの電車で三人仲良く爆睡したのはきっといい思い出だ。