大人になった君に革命が起こせるかい

恵たちの世話をしてから、いつも通りシフトに入ろうと店に行き準備をする。化粧を整えて、それから髪の毛をセットアップした。口紅は真紅の派手なハイブランドのもの。甚爾が中学の卒業祝いにくれたものであるので、貰ってから少し時間は経っている。さすがに仕事でプチプラを使うわけにもいかないので、そのまま使っていた。まぁ、高専時代も未開封で保存していたものなので、問題ないだろう。昔から与えられたものは長く使うようにしていたので――禪院家の世話になりたくないという気持ちもあったが――、この口紅も磨り減るまで使うことになりそうだ。

「カエちゃーん」
「はぁい」

準備が終わりで常連のお客さんが来るまで時間があるし、どこかのキャストのテーブルにヘルプでも入るか、と思っていたところでボーイに名前を呼ばれる。何事かと思ってボーイのところに行けば、指名が入ったことを告げられた。新規で指名が入るなんて珍しい、と考えながら、客前に出る前に控室で化粧や髪の毛が可笑しくないか確認する。うん、問題なさそうだ。

「何卓?」
「五番テーブル。お二人だったよ。よろしく」
「はぁい。あ、ひとりヘルプ誰か回しといて」
「了解」

ボーイに聞いた卓に向かうと、中年の男性とわたしと年齢の近そうな男性がひとりずつ。若い方の男性を見て表情を崩さなかったのは上出来だ。まさかこんなところに夏油先輩が来るとは思わなかった。彼が高専から追放されてしばらく何かをやっている、というのは硝子先輩から聞いていたけれど、まさかこんなところで会うとは。

「いらっしゃいませぇ。お隣失礼しますね」
「あ、君は彼の隣に座ってやってくれ」

おそらくこの店に誘ったであろう中年男性の隣に腰を下ろそうとすると、夏油先輩の隣に座るように言われた。定石であれば、えらいおっさんの方に座るもんなんだけどな。まぁ、中年男性が夏油先輩の方に、というのであればその言葉に従う他ない。指示してきた男性の方はどうしよう、と思っているとこの店のベテランのキャストが来てくれたので、ひとまず胸を撫でおろす。そういえば、さっき見かけたときにベテランキャストに小物の呪霊がついていたことを思い出した。自分の影から小さな影の兎を出して、呪霊を食べさせる。顔色がさっきよりも少し良くなったようだったからよかった。

「当店は初めてですかぁ?」
「そうです。今日は――さんに連れてきていただいて」
「へぇ~!お仕事のお知り合いとかですか?」
「そうなんです」

当たり障りのない会話を続けていると、夏油先輩が耳に口を寄せてきて囁くように声を発する。禍々しい雰囲気が増しているように感じているのは、わたしの思い込みなのかよくわからないが。

「〝カエ〟ちゃんね。影から取ったってところかな?」
「どーでしょうかねぇ」
なまえが頭の悪い話し方をしていると違和感があるね」
「うるせーよ」

突然、確信をついてくるようなことばかり言う夏油先輩を相変わらずだと思う。さすが五条の次にヤな人間。わたしの返しが面白かったのかくっく、と肩を震わせる夏油先輩はそこだけ見るとまるで昔の先輩のようだと感じた。
隣で盛り上がっている中年男性とベテランキャストを視界の端に入れながら、夏油先輩と差し障りのない会話を繰り広げていく。なかなか広がらない会話に本題はおそらく別のところにある気がした。

「明日仕事は?」
「休みですけど」
「どこかで話さない?」
「なんで?」
なまえにお願いがあるからさ」
「ろくでもないお願いされそう」
「それは君次第」

なにかを企んでいる表情を隠さずに名刺を手渡されて、それを裏返して裏面を見ると十桁の数字が書かれていた。

「ここに連絡して」
「これ、かけなかったらどうなるんですか?」
「大体想像つくだろ?〝カエ〟なら」
「はいはい」

嫌な男だ。わたしがさっきキャストの呪霊を祓ったところも見ていた上での発言なのだろう。かけなかったら呪霊をこの店に送り込むぞ、ってところかな。
中年男性があまり酒を飲んでいないわたしたちを見てシャンパンを入れてくれたり、フルーツを注文してくれたりしながら、そのあとはいつもと変わらない接客を行った。
予約のお客さんが来たことをボーイが告げに来たところでわたしはその卓から離れる。去り際に夏油先輩から連絡待ってるよ、と念を押されて嫌な顔を隠しながら、笑顔を浮かべてわかりましたぁ~と頭のゆるい返事をしておいた。
仕事が終わったのは結局三時を回ってからで。そのまま二時間ほど店で眠ってから始発が動き出す頃に店を後にした。電車に揺られて帰る前に夏油先輩にもらった名刺の番号にメールだけ送る。今日の十三時以降なら会うことが可能だと連絡をすると、起きていたのかすぐに返信がやってきた。十三時に新宿駅の東口に集合、との文面が届いている。なんなら行きたい店に連れて行ってあげるし奢るよ、と書かれていたのでこれはタカノフルーツパーラーに連れて行ってもらうしかない。自分でも行くことはあるけれど、まぁまぁ値段が張るので人の金で美味しいものが食べられるなら、それに越したことはないのだ。
一旦家に帰宅してメイクを落とし、ひと眠りする。アラームはかけておいたので十一時には起きられるはずだ。夏油先輩と会うだけだし服装は紺の仕事では着ないワンピースでいいだろう。カジュアルめのコーディネートを思い浮かべて眠りについた。

▽ ▽ ▽

なまえ
「夏油先輩昨日ぶりですね」
「今日は地味なんだな」
「まぁ、オフなんで」
「なるほどね。じゃあ、行こうか。フルーツパーラーでいいんだっけ?」
「はい。ゴチになりまーす」

約束の時間の十分前に新宿に到着し、待ち合わせ場所に向かうとすでに夏油先輩は到着していた。昨日の袈裟とは行ってシンプルな黒のシャツにジーンズという装いだった。袈裟で来られたらどうしよう、とは思ってたからいいんだけど。二人並んでフルーツパーラーまで歩いていき、平日の日中ということもあって人はそこまでおらず、すぐに席に案内された。こういう場所だとあまり呪霊を見ないからいいなぁ、と思う。
目当てのフルーツパフェと紅茶を注文して、先輩はローストビーフサンドウィッチとコーヒーを注文した。頼んだメニューが来るまでぼうっと店内に視線を泳がせていると、夏油先輩が話かけてくる。

「で、お願いなんだけど」
「なんですか?」
「あんなところ辞めてうちの組織に入らない?」
「呪詛師の仲間入りはごめんですね」

そんなことだろうとは思っていた。夏油先輩が今更わたしに接触をしてくる理由なんてそれくらいしか思い当たらない。

「でも禪院家は君も憎いと思うけど?」
「禪院家は嫌いですけど、今はもう家を出た身なので」
「禪院の子どもの様子は見に行ってるのに?」
「――そんなことまで調べたんですか?ストーカーかよ」
「取り込みたい対象がいたらちゃんとその周囲は調べておかないと」
「そーですかぁ。でもなんで今更なんですか?」
「少しは考えが変わってないかなと思って」

灰原が死んでしばらく経った頃に――夏油先輩がだんだんおかしくなりだした頃でもある――、先輩から非術師のことをどう思うか聞かれたことがある。とある人に聞いたのだという。呪術師から呪霊は生まれない。だから、非術師こそが要らない存在なのだはないか、と。それまでに話していた先輩の思想とまるっきり正反対の話をし始めたのでよく覚えている。

「変わりませんよ。わたしは呪術師を辞めましたけど、非術師は憎んでないんで」
「昨日も呪霊を祓っていたもんな」
「ああいう場所だから、集まりやすいんですよ」
「そういうところを狙って選んだくせに」
「うるせーよ」

呪術師という世界を飛び出したくせに、結局非術師に囲まれながら彼らに害がある呪霊を祓っている現実は確かに矛盾していると思う。それに気づいたとき、同時にわたしはきっと禪院家が嫌だったのだと自覚した。身動きが取れなくて、息苦しくて、満足に術も使いこなせなくて、死にかけの爺たちにいいように使われるのに嫌気がさしたのだ。父もいなくなり、甚爾も死んだ今わたしを禪院家に縛り付けるものはもうなにもない。

なまえは根本的なところで呪術師なんだよ」
「そーかもしれないですね」
「まぁ、なまえがこっちに来てくれるとは思ってなかったからもういいよ」
「じゃあなんで誘ったんすか」
「あわよくば?こっちに来てくれないかなって気分で」
「いい加減だなー」
「今日は久しぶりに会えた後輩とお茶に来ただけだからね」
「ごちそうさまです」

元々、キャバレーで働く予定は微塵もなかった。適当にバイトして食い繋いでいけばいいかな、なんて思っていたのに。あのキャバレーの前を通過したときに、今よりひどい状態で、呪霊が住みついて誰か死んでもおかしくないような空気だったのだ。それを見て見ぬふりすればよかったのに、なんとなくできなかった。接客なんてしたこともないのに、あの店に飛び込んでいろいろなことを学んで、汚いところも見て。溜まっていたものを少しずつ祓っていけば、店の中の空気がよくなって、いざこざも減ったように思う。そのときに、呪術を学んでいてよかったな、とほんのちょっとだけ思ったのだ。
中途半端なわたしは禪院家の人間を殺すわけでもなく、父の仇の呪詛師を殺すわけでもなく、ただ、その場から逃げだした。二度とあんな家の敷居を跨ぐか、と思って逃げたはずなのに。今更甚爾の子どもの世話をしてるんだから笑えて来てしまう。

「お待たせしましたー。フルーツパフェとローストビーフサンドウィッチになります」

店員が持ってきてくれたパフェに舌鼓を打ちながら、夏油先輩と他愛もない話をする。どういう仕事をしているかとか、仕事で会った面白いひととか。そういうくだらないことを話していると、学生時代に戻ったような気分になる。
あれもこれも捨てきれないわたしは、やっぱりどこまでいってもいつまで経っても、中途半端なのだ。