なるべくなら足を運びたくない場所に足を踏み入れれば、ずっと世話になっていたばあやに捕まりそのまま老害たちが蔓延る屋敷の奥の部屋に連れていかれる。襖を開け、ばあやはどうぞお入りなさい、と言って、わたしが部屋の中に入るまで監視しているのか、一挙手一投足すら見逃さないという視線で見ていた。彼女のこういう視線が昔から苦手だったのだ。物心ついたときにはばあやと宗家に取り込まれ、それからゆっくり息をできたときなど甚爾といたときくらいで。この息苦しい空間が大っ嫌いだった。
しぶしぶ部屋の中に足を踏み入れれば、見知った老害たちが罵声を私に浴びせる。浴びせられる理由はわかっているし、どうってことはない。
「伏黒恵の様子を見るように言っただろう」
「見てきたじゃん」
「ならばなぜ伏黒恵が五条に取り込まれているのだ……!」
「お前は本当に役立たずでしかないな。いつになったら宗家の自覚を持ち、この家の繁栄のために生きるのだ」
「あいにく宗家の血筋じゃないもんで」
「十種影法術を使えるお前は選ばれたのだ。なぜわからない!」
「わかりたくもねー。そんなにわたしが気に入らないならこの家から追い出せば?甚爾みたいに」
「その名を口にするな!悍ましい……」
高専を卒業して、自分の意思でこの家を出たことは後悔していない。わたしの存在を踏みにじったのはこいつらで、甚爾の存在を踏みにじったのもこいつらで。――お父さんを殺したのもこいつらだ。
そんな家に愛着や感謝などの感情が湧くと思っているこいつらに反吐が出る。自分たちだけが正しいと思い込んで、それが周りにも正しいと思い込んでいる、過去の栄華に取り憑かれた老害たちにわたしの気持ちなど理解できないだろう。
恵にはこういう思いをしてほしくないと思ったから、嫌いな五条に任せたのだ。五条の元であれば禪院にいるよりはましな待遇のはずだから。津美紀とも引き離さずに済むだろうし。
老害たちの誹謗中傷を聞き流して、しばらくすると何も聞いていないなまえに気づいたのかため息を吐かれた。お前らの話なんて聞くわけねぇじゃん。
「もういい。お前にはこの家に戻ってもらう。今まで好き勝手させていたが、伏黒恵が手に入らないのであればお前が動け」
「へーへー」
「直毘人の補佐に就いてもらう」
「うへぇ。わたしが御当主の補佐?正気か?」
「正気じゃい。この家のために身を粉にして働け」
そしたら伏黒恵の件は宥恕する、とニタリと笑った老害の一人にグーパンでもかましてやろうかと思ったが、そうすると今までのことが水の泡になるのでぐっと堪えた。
もう今日は下がってよい、と言われたのでそそくさと部屋の中を出ていく。こんな空気の悪いところにいつまでもいてられるか。
御当主の補佐になるということは衣食住もこの屋敷で過ごせということなのだろう。部屋の外で待っていたばあやが、なまえさんのお部屋はこちらですよ、と案内してくる。
一応多少の慈悲があったらしく、屋敷の離れにわたしの部屋は作られていた。池になにもいないかと思えば二匹の錦鯉がいて、黒と赤の鯉がゆったりと泳いでいる姿は仲睦まじい様子でこころが和む。離れはそこまで大きくなく、中に入れば手入れがされていないのだろう、埃っぽさで思わず咳き込んでしまった。こんなところに居住をしろなんて嫌がらせ以外のなにものでもない。離れの掃除は見兼ねたばあやがしてくれるようなので、住める状態になるまで時間を潰してくるように言われた。お言葉に甘えて、屋敷の外に出ようとすると結界に弾かれて出ることは叶わないようで。老害たちは本気でこの家からわたしを出さないつもりらしい。相変わらず腐った家だ。
やることも見当たらないので屋敷の中を当てもなく散策する。出会う人出会う人に会釈をされ、わたしのことを知っている人間は両手を前に重ねてうやうやしく頭を下げた。そういう行動をされるのが嫌なんだよなぁ。声をかけてくる人間は適当にあしらって、それから人気のない方に歩いていく。
「お前誰?」
恵と同い年くらいの少女に声をかけられた。目つきの悪さが誰かを想起しそうになるが思い出せない。しかし呪術師の家系の餓鬼はなんでどいつもこいつも年上にタメ口なんだ。そういう教育を親から受けてんのか?この場にいるから禪院の子であることは明白なのですんなりと自身の名を名乗る。
「なまえだよ」
「あぁ、逃げた人」
「そうそう。よく知ってんね。アンタは?」
「真希」
「……そう、アンタが」
噂に聞いていた御当主のご息女にここで遭遇するとは思っていなかった。確かに呪力はあまり持っていなさそうだ。でも、この子の感じどことなく甚爾に似ている気がした。もしかして天与呪縛かな。
「なまえはここで何してんの?」
「引っ越してきてんだけどさー与えられた離れがね、ひとが住める状態じゃなくてな。きれいになるまで暇つぶし中」
「ふぅん」
「真希はなにしてんの?」
「逃げてる」
「逃げてる?」
一体何から逃げているのか、と問いかけようとしたところで、背後から声をかけられる。
「真希!あんた!また!」
ヒステリックに叫ぶ女性は真希に似ていて、おそらく親族か何かだろう。真希に近づくなり彼女の頬を打った女性は、真希の手首をつかんで引きずってどこかへ連れて行った。その背中を見送りしかできなくて、自分の矮小さに若干胸が痛む。
真希がかわいそうに見えるのはきっと恵と同い年くらいだからで。恵と関わることがなければこの家に戻ることもなかったし、真希に対してこんな感情を抱くこともなかっただろう。めんどくさいことになってしまったなぁ、と思った。
糸が切れた風船のように漂っていた甚爾みたいに生きたかっただけなのに、それはどうやらできない性分みたいだ。この家への未練なんて微塵もなかったはずなのに、ここに自分から縛られるわたしは滑稽でしかない。
ばあやの鳥の式神がわたしの肩に留まる。どうやら部屋の準備は終わったらしく、呼びに来たようだ。
与えられた離れに戻れば、先ほどの埃っぽさはいくらかましになっていた。内装は白で統一されていて、長時間いると気が狂いそうだなぁ、と思う。かといって今まで自分が使っていたものをこの家に持ち込むつもりはなかった。一人暮らしの部屋に置いてきたお気に入りのカラーボックスも廃棄するしかないだろう。大家に電話して処分するようにお願いしよう、と見当をつけながら、ばあやに下がるように指示した。渋々、と言った様子で出て言った彼女を見送って、ようやく深呼吸をする。やっと一息吐けた気分だ。
食事はばあやたちが用意するそうなので、手持ち無沙汰なのが実際のところで。こんなところでできることなどたかが知れていた。
私用携帯を使ってもいいがどこで盗聴されているかもわからないから、通話自体に問題があることは想像がつく。過去の依頼主にメールで今後はもう依頼が受けられない旨を送って、全員の連絡先を削除した。無駄な詮索をされる前に証拠は隠滅するに限る。
しばらくうだうだと離れで過ごしていると、離れの戸をノックされた。陽も傾き始めたところだったので、おそらく夕食の時間だろうか。はあい、と返事をすれば戸をがらり、と開けられた。そこにいたのは昼間に見た彼女の姿で。
「真希……?」
「飯、持ってきた」
「あ、あぁ、ありがとう。ばあやは?」
「ジジイに呼ばれたから代わりに持ってけって言われた」
「そうか」
部屋の座敷に真希が持ってきた膳を置かれて、その膳に手を付けずに真希が下がるのを待っていると、真希が不思議そうな顔をする。
「食べないのか?」
「真希が下がったらね」
「お前が食べ終わるの見とけって言われた」
「そっか」
おとなしく目の前の膳に手を付ければ、昔いやというほど食べさせられた味で、料理人は変わっていないらしい。黙々と食べていると、真希はじっとわたしの姿を見つめるばかりで、なにかを言うわけではなかった。居心地の悪さを覚えながら、早く食べてしまおう、と思ったところで、静まり返った空間にぐーっと大きな音が響く。
音の主を見れば顔を赤く染めて、顔を背けていた。うん、真希以外にお腹の音するわけないもんな。
「……食べる?」
「え?」
「まだ食べてないんでしょ?いいよ。わたしもこんなにたくさん要らないから」
「怒られるし、いい」
「いーから。子どもが遠慮なんてしなくていーから」
真希を手招きして隣に呼び寄せて腰を下ろさせる。口元にほぐした焼き魚を運んでやればおとなしく口に含んで咀嚼した。やっぱりお腹減ってたんじゃん。
「誰にも言うなよ」
「言わないよ。真希は残しそうなわたしの残飯処理をしてくれただけ。いいね?」
「ん、」
恵にはこんな風に食べさせることがなかったからなんだか新鮮だなぁ、とどうでもいいことを考えながら真希にご飯を食べさせた。