高専も任務も休みで、虎杖たちは原宿だかに行くから、と遊びに行った背中を見送って、都内にある津美紀が入院している病院に向かった。いつもなにかの変化があるわけではないけれど、なんとなく月に一度くらいは見舞いに来るようにしていて。ルーティンの一部になっていた。
都内と言っても都心部から少し離れた高専から距離のある病院に向かうのは慣れたものではある。電車を乗り継いで、駅から十五分。最新の設備がある、とは言えないが、呪術協会の息が掛かったその病院に入っていき、三階に上がった。
三階は長期入院患者のエリアになっていて、もう一年以上ここの世話になっている。ナースステーションにいつものように顔を出せば――最初の頃は菓子折りなども持参したけれど、学生が変な気を遣わなくていいと言われた――、見知った看護師長が恵の姿を見るなり声をかけてきた。
「あ、恵くんこんにちは」
「ちわっす、」
素っ気なく挨拶を返したところで、母親を超えで祖母くらいの年齢の看護師長は穏やかに笑うだけだった。用件は何かと先を促せば、あぁ、と言いたいことを思い出したらしい看護師長が話を続ける。
「さっき恵くんたちの親戚の方がいらっしゃってて、お菓子を頂いちゃったの。お礼伝えといてくれるかな?」
「親戚……?」
「あれ、違うのかな?いつも津美紀ちゃんがお世話になってます、って言ってたから。茶髪で恵くんに雰囲気が似てた女の人だからてっきり」
津美紀の母方の親戚か?と一瞬頭を過ぎったが、茶髪で俺に雰囲気が似ている、と言われて見当がついた。茶髪の知り合いなんて、釘崎となまえさんくらいしか周りにはいない。釘崎は津美紀のことを知らないし、この場合考えられるのはなまえさんだけだ。
「あ、あー…………うちの親戚です」
「ならよかった。お礼伝えといてね」
「はい」
まだ多分帰ってないよ、と言われてナースステーションを出ていき、足早に津美紀の病室に向かう。ガラっ、と音を立てて病室の扉を開ければ、先日ろくに話もできなかった人がそこにいた。
津美紀が横たわるベッドの横に置かれている丸椅子に座り、津美紀の髪の毛を撫でていたところだったらしい。窓の外の太陽の
「なまえさん」
「ありゃ、また見つかった。タイミング悪ぃな」
彼女の名前を呼べば気配でわかっていたのか、さして驚いた様子もなく振り返り俺の声に応える。
「知ってたんすね」
「まぁ、ね」
「今まで会いに来なかったくせに」
恨めしそうに言えば、なんでもないようにさらり、と言葉を返される。
「恵に高専で会わなかったら津美紀にも会う気はなかったよ。でも片方に会ったのに片方に会わないのは不公平だろ」
そういえばこういう人だった。津美紀にはでろでろに甘くて、恵には男だろ、とすこし厳しく接する。それを不公平だと思ったことはないが、羨ましいと思ったことはあった。出会ったときから彼女は津美紀に甘かった。
津美紀が髪の毛を乾かして、と強請れば、一度抵抗はしてみせるものの、次の瞬間には言うことを聞いてやっていて。その光景を見るのが嫌いじゃなかった。
「禪院家の人間だったんすね」
「まぁ、一応ね。あんたの父親もそうだったしね」
「うちの父親、あんたの何」
「従兄弟だよ。ただの。でもあの腐った家の中で唯一気が許せる存在でもあった。わたしたちはあの家に要らないものとして扱われてたから」
禪院家には数度だけ顔を出したことがある。もちろん五条先生を伴ってではあるけれど。そのときになまえさんの姿を見ることはなかった。この人のことだからきっと隠れていたのだろう。とやかく言ってくる親戚とも言えない親戚共の荒唐無稽な言い分に苛立ちを覚えたのは記憶に新しい。
そんな世界に、この人は身を投じているのか。しかも一度は家を出たのに、また戻ったというのが信じられない。
「だから、恵のことを頼まれたのは本当。あの人にとって恵の母親だけはこの世界で唯一愛せるものだったから。だからあんたが生まれたときもすごく喜んでた。彼女が亡くなってから歪んで少しまともになってた感覚が更に歪んでたけど」
なまえさんに父親のことを語られてもなにも響かなかった。薄情かもしれないが、恵が覚えている父親の姿などろくでもないものばかりだ。恵が見ていた父親となまえが知っている父親はどうにも乖離が大きいように感じられる。
「俺の世話してたときは禪院家を出てたんですよね。いつ戻ったんすか」
「しばらくしてから。やりたいことが、出来たし」
「やりたいこと?」
「禪院家に戻らないとね、できないことだから戻った。ただそれだけ」
そのやりたいこと、とやらは教えてもらえないらしい。
「俺に手伝えることがあるなら、手伝いますよ」
「恵はそのまま頑張ってくれたらいいさ。立派な呪術師になってくれたらそれで」
まるで親みたいなことを言うな、と思う。それと同時に自分は彼女の内に踏み込ませてもらえない人間だということも感じた。
先日会ってから疑問に思ってたことを投げかける。
「高専で会わなかったら、逃げ続ける予定だった?」
「もちろん」
「一生俺達に会わないつもりだったってことかよ」
「それはそう。前にも言ったけど、あんたは禪院家の術式を持って生まれてきたけど、血筋は禪院家でも実際は禪院家の人間ではない。それに五条の後ろ盾があるんだから余計にうちとしては関わることはいい顔をされないんだよ」
淡々と述べる目の前の彼女に寂しさを覚えたのは、幼い頃の置いて行かれた際の感情が呼び起こされる。また、置いて行こうって言うのか。
「それでも俺はあんたに会いたかったし、あの頃みたいに話を聞いてほしかった」
津美紀が呪われてしまったときも、こころの何処かでこの人の存在を求めていた。恵にとってなまえは初めて頼ってもいい大人なのだと。そう思えたのに。
「もういなくならないでくれよ、」
祈るように、縋るように、座る彼女の前に腰を下ろす。それから、自分のものより一回り以上小さな手を掴んで自分の額に当てる。
「恵はいつのにそんなに甘えたになったの」
「あのころだって、甘えたいって思ってたよ」
「知ってる」
いつも津美紀に先を来されて我慢した目でこっち見てたもんね、と言われて否定はできなかった。恥ずかしい過去を蒸し返されて若干頬に熱が集まった気がするが、知らないふりをする。
「連絡先、」
「え?」
「連絡先教えろ」
「クソガキに教える連絡先はありません」
「……教えてください」
「え~」
「教えてくれないなら真希さんや家入さんに聞きますよ」
「やめんか。他人に迷惑をかけるな」
くだらない言葉のやりとりからか、ころころと変わる表情に懐かしさを覚えて、自身にも笑みが浮かぶ。これで津美紀が目覚めていればもっと良かったのに。
そんなことを考えながら、なまえさんによって差し出されたスマートフォンを受取り、勝手にメッセージアプリを開く。QRコードを読み込んで、友達追加をすればあとは手慣れたもので。
恵のスマートフォンからメッセージアプリを通してスタンプを一つ送った。彼女の端末で同じスタンプが表示されたのを確認し、それから返却しようとしたところ、自動ロックがかかってしまったようで真っ暗になる。
「あ、すみません。画面消えました」
返却する前になんとなくいたずら心が働いてホームボタンを押すと、そこに表示された画像に目を見開く。
「なまえさん、これ」
「あ、変えてなかったか」
表示されていたのは昔に恵と津美紀と彼女の三人で撮った写真の画像だった。あの頃はスマートフォンなんてものはなく、今よりも画素数もなにもかもが悪いガラケーと呼ばれる携帯電話で撮ったものだ。
津美紀がテレビで水族館特集をやっているのを見て、行ってみたいと嘆いていたのを聞いていたなまえさんが、二人を水族館に連れて行ってくれた。
初めて行った水族館に圧倒されたのは今でもよく覚えている。
「……そういうところですよ」
「なにが?」
「なんでもないです」
なんだかんだ彼女の中に自分の存在はあったのだ、と思うと、先日感じた寂しさも和らいだ。