朝からなんだかそわそわしているなぁ、とは思っていた。久しぶりにお互い非番で――どこかの誰かさんの陰謀を感じなくはないが――、外に出かけるのもいいけれど家に居たい気分だ、と言ったわたしに合わせて恵も家で過ごすことにしたらしい。好きなお笑い芸人の動画を動画配信サイトで見ていると、隣にどすんと腰を下ろした。さっきまでわたしのベッドを占領してスマートフォンを弄っているなぁ、とは思っていたけれど、それが終わったらしく手持ち無沙汰になったようで。ローテーブルにタブレット置いて動画を見て微動だにしていなかったわたしのすぐ隣に座ったかと思えば、そのまま彼の全体重をかけられる。重すぎてうっかり暴言を吐きそうになる。
ぐいぐいともたれかかってくる恵を押し返しつつ、視線はタブレットの動画から動かさない。いやほんと今いいところだから。これから廃墟の病院から逃げ帰ってボケの人が街灯をやるところだから。一番好きなところだから邪魔しないでほしい。
「恵うっとい」
「俺は鬱陶しくありません」
「今良いとこなんだから邪魔しないでよ」
「そのネタもう百回は見てるでしょ」
「何回見ても面白いから名作なんだっつーの」
あとで構ってあげるから離れろ、と言っても圧し掛かってくる重さが増えるだけで何も変わらない。いや、ほんとなに。
攻防戦を繰り返しながらようやくお気に入りのネタを最後まで見終わって満足する。しかし憩いの時間を邪魔されたことは許していないので、手の甲をつねっておいた。
「なまえさん」
「はいはいなんですか」
「お見合いするんですか」
おざなりに返事をしたことを少しばかり後悔した。その情報どこから聞いたのかすごく知りたいなぁ。どうせ五条だろうけど。真希にはばっちり口止めをしてあるし、なんなら高い口止め料を払わされたのだ。これで真希からの情報漏洩なら二度とうまいもん奢ってやらん。
「誰に聞いたの」
「五条先生」
「あいつほんと口軽いな」
五条悟という人間は出会ったときから――むしろ出会う前からも本当に好きになれない。恵は悪い人じゃないというけれど、あの人の独善的な行動が呪術界を左右するのだから恐ろしいものだ。
すごい人間がずーっと目の上のたん瘤のように視界にちらちらと映り込まれると怒りも覚える。何よりあの人に自分がなにひとつ敵わないのが悔しい。生まれ持った才能が異なるのだから、比較しては仕方がないとはわかっているけれど。
かかっていた体重が軽くなったと思えば、向き合うように身体の向きを変えさせられて目の前には恵の姿。なにかを言いたいらしい彼の口がもごもごと動いている。こういうときははっきり言えってずいぶん昔におばさん教えたよ。
「結婚しませんか」
「寝言は寝て言え餓鬼」
「三十路になったら口の悪さ直すんじゃなかったんですか?」
「寝言は寝て言いましょうね、恵くん」
誰だよ、三十歳超えたら口の悪さを直してちゃんとした大人として振る舞います、なんて言ったの。わたしか。直毘人さんに唆されたからって酔った勢いで約束なんてしなければよかった。次の日には知り合い全員に広まっていて驚いたものだ。
寝言は寝て言え、ときっぱりと否定したことを気に入らなかったらしい恵がわたしの手首を掴んでくる。痛いとは思わない力加減だから昔よりは学んでいるようで。そもそも、自分の担任と一つしか違わない女と結婚しようと思えるのがすごい。平成後半生まれってこんなもんなのか?若者やばくない?
「そもそも十歳以上年上とよく結婚しようと思えるよね」
「好きなんで」
「はあ、そっすか……」
ちょっとジャブのつもりで小馬鹿にした言い方をしてやると、カウンターでストレートを返され、一発KOを食らった気分だ。小学生に上がるくらいはまだ生意気なだけで可愛かったのに。高校生のときには可愛くなくなっていたからすべての原因は五条だろうな。目の前の現実から目を背けたくて意識を遠くの方に飛ばしていたのが気づかれたようで。恵は掴んでいたわたしの手首を自分の方に引き寄せる。距離が縮まるなぁ、なんて思っているとそのまま抱きしめられた。
「アンタにお見合いしないで欲しいんですよ」
「無理じゃん。直毘人さんとかご隠居たちが持ってくるもん」
ほかの人は気づいていないだろうが、少し離れて再会してを繰り返す度に恵が私に対するわがままを増やしていくのだ。甘やかしていた幼少期にだいぶ許容していたものだから、もうすぐ成人男性になるというのにそのときの感覚が抜けないのかたまにめんどくさいわがままが顔を出す。
「だから結婚しようって言ってるじゃないすか」
「んんん?整合性が掴めない」
どこがどう繋がってお見合いと結婚が繋がったんだ。思考を飛躍させるところが五条に似てきたような気がしていい気分はしない。ほんと悪影響しか及ぼさないなあいつ。
「アンタにお見合いを受けてほしくないから、既婚者になればそれもなくなるでしょ。だったら俺と結婚したら解決するじゃないですか」
「うん、よくわからない。だったらべつに恵じゃなくても良くない?」
「俺が人妻に片想いし続けたくないのでだめです」
「はあ、そっすか……」
あれ、このやりとりさっきもした気がする。
しかし恵も冷静になってほしい。わたしはこいつが五歳だか六歳だかのときから知ってるのだ。そんな人間と結婚するという思考を持ち合わせているわけがない。年齢で考えたらまだ七海と結婚するって言った方が現実的だわ。
恵も知っているはずのわたしがまだ独り身である理由を口にする。口を酸っぱくして何度も言ってるはずなんだけどな。伝わってないのかな。
「でもさ、わたし真希が当主になるまで結婚するつもりないから」
「……わかってますよ。ただ、約束だけ先に欲しいだけです」
「ふぅん。随分殊勝なことで」
先ほどまでの割と傲慢の一歩手前な発言を思うと、本人の求めているリターンが小さくて不思議な気分だ。約束をしたところで反故されるかもしれないということにちゃんと気づいているのだろうか。それに、わたしの人生のスタンスとして確実性のない約束はしないようにしている。
「約束はできないかな。ごめんね恵」
「……いいです。待つの得意なんで。誰かさんに十年近く放って置かれてたし」
「えー、そんなひどいことする人いたのー?諦めればいいのにー」
「あんたのことだよ。……諦められるわけ無いでしょうが」
恨み節がわずかに混ざったため息をついて、それから絞り出すような声で言われる。諦めてくれたらわたしもあんたも楽になるのに。
「馬鹿だねぇ」
「あんたにだけは言われたくないです」
「ごもっとも」
しみじみとそう言ってやると、恵は感情の読めない息を吐いた。禪院家の本流に近しいところに位置取りとしている今では、なんの約束もできないししたくない。
わたしの背中には常に緊張感が走っている。耄碌した保守派という名前の老人たちがわたしの行動をじっと見張っていることに気づいていた。少しでも素行の悪いところを見せれば、それなりの家柄の家系に嫁がされることだろう。御三家は対等であるようでそうじゃない。実際は拮抗しているだけなのだ。常にお互いが相手の足を引っ張れるタイミングをうかがっている。そういう老人たちにとっては自分たちの思い通りに動かない駒は切り捨てる存在でしかない。いかに自分が禪院家に仇なさない存在であるかを証明し続けなければならないのだ。
一度やらかしているだけに、何事も慎重に動かなければならない。そうじゃないと彼まで一緒に取り込まれてしまう。それはわたしの本意ではない。
抱きしめられた態勢から恵の胸板を押して距離を開ける。不思議そうな顔をしている恵のこめかみに口づけをひとつだけ落としてやれば、鳩が豆鉄砲を食ったような間抜けな表情に変化した。