振り向かないでって言ったのに

「ったく!なまえのやつ!」

なまえの病室を出て、外を歩いていると龍や力があとを追ってきた。思わず悪態をついてしまうのも仕方ない。いつもそうだ。なまえは思ってることがあるはずなのに絶対言わないし、自分には意思がないです、みたいな態度ばかりで腹立つ。少なくとも一年生の二学期まではあんなんじゃなかった。どうしてあんなふうになっちまったんだ。

「まぁまぁ、西谷落ち着いて」
「これが落ち着けるかってんだ力!」
「ノヤっさん熱いな~」
「茶化すんじゃねぇ龍!」

病院のエントランスを抜けて少し歩くと、河川敷があった。そこにみんなで腰かける。なまえは何がしたいのかわからない。俺みたいな馬鹿が考えても仕方ないんだろうけど、考えずには居られない。なまえは自分がバレー部に必要ない人間みたいに思ってるけど、俺たちは微塵もそんなこと考えていない。たとえあんまり部活に来られなくても、あいつは俺たちの仲間なんだ。悶々と考えていると、力が口を開いた。

「多分さ、」
「ん?」
みょうじも混乱してるんじゃないかな?まだ」
「混乱?」
「うん」

憶測の話だけどさ、と力は続けた。今回の騒動でなまえがどういう状況だったかは俺たちにも周知された。なまえが部活に来られなかったのは急に母親が家から消え、授業料や生活費が入らなくなった。そのお金を稼ぐためにバイトをしているんだと。それだけ聞くとなまえは母親を憎んでいるかもしれないけれど、実際は母親のことを待ってたんじゃないかって。母親を待ち続けてようやく戻ってきたかと思うと暴力を振るわれて、大怪我をさせられて、そこで意識が途絶えて、起きたら何もかも終わっていて。自分がみょうじの立場だったら情報処理が追いつかないと思う。そして、そこに立て続けに自分を引き取ってくれる人の話や転校話で余計に頭の中がこんがらがってるんじゃないか?

「俺は少なくともそう思うんだけど」
「でもよ、」
「だから、このままでいいなんて言ったんじゃないかな。みょうじは普段考えすぎちゃうから、これだけたくさんのことが一気に起こって、もう考えるのに疲れたんじゃないか?」
「だから流されるままだって?」
「そうかもねって話」

力の言うことは一理あるかもしれない。今一番大変なのは俺たちじゃなくてなまえで、現状に疲れてるのも事実なような気がしてきた。あいつはさっき病室で下手くそに笑ってたもんな。あーだこーだ考えるのは好きじゃねぇ!

「俺ちょっと行ってくる」
「おう」
「今度は暴走すんなよ~」
「うっせー!」

力たちと分かれて病室に戻る。走ってなまえの病室を目指していたら看護師さんたちに怒られた。一刻も早くなまえのところに行ってやりたかった。大きな音を立てて、なまえの病室の扉を開けると、なまえはベッドから外を眺めていた。気付いたら陽が傾きかけている。音に気付いてこちらを向いたなまえの目が大きく見開かれた。それからまたへたくそに笑って。それが泣いているように俺には見えた。

「どうしたの、西谷。忘れ物?」

何でもないように言うなまえに近づいて行って、ベッドの脇に置いてある椅子に腰を下ろした。それから手を握る。身長の割に小さな手だ。

なまえ
「なに?」
「言いたいことがあるなら、言えよ」
「急に、なに言ってるの、」
「どんなことでも聞いてやるから。おばさんの話でも、おばあさんの話でもなんでも。思ってること全部俺に言ってくれ。何もできないかもしれないけど、聞くことはできるから。だから、なにも考えないのはやめてくれ」
「西谷、」

じっとなまえを見ると、ぽつりぽつりと小さな声で話しだした。まるで自分の頭の中を整理するみたいに。おばさんは昔あんな風じゃなかった。一年生の頃は幸せだった。何も考えずに部活に熱中出来て、本当に楽しかった。おばさんが家に帰らなくなったのは自分のせいだ。おばさんを壊したのは自分だ。だからなまえはずっとおばさんを待った。誰にも迷惑をかけないように自分でアルバイトして学費と部費を稼ごうとして。結局学費しか稼げなかった。部費が払えないなら部員で居る資格はないと思った。部活に行かない期間が増えれば増えるほど俺たちとの距離が開いた気がした。そうこうしている間に二年生になった。新入部員が入った。嬉しかったから話しかけた。部活にはまた行けなかった。もう辞めてしまおうかと思った。部活も学校も。でも潔子さんの言葉に支えられてなんとか保ってた。気付けば谷地さんが入部した。ますます自分なんかの居場所がないなって思った。本当はもっと俺たちと居たかった。でも自分は邪魔になるからって。今年は全国を狙えるチームなのに、自分が邪魔になってるって思った。だから退部届を出した。退部届を出した日に何もかも失くしたって思った。今だってなにも手元には残ってないと思ってる。おばさんに大けがさせられて、目が覚めたら全部終わってた。もうおばさんには会えないと言われた。次々といろいろなことを言われた。死んだ親父さんのおじいさんとおばあさんが現れた。暮らそうって言われた。嬉しいとかは思わなかった。でも一人で生きていくことはできないから、言葉に甘えることにした。そしたら白鳥沢に編入することを勧められた。いろんなことを考えるのが面倒になったから言われるままに従った。本当は、

「本当は?」

なまえが言いづらそうにしているから、その先を続けるように促した。さっきまで交わらなかった視線が交わる。

「みんなと一緒に居たい。全国で勝つみんなを見ていたい。昔みたいに、みんなの近くで」

真っ直ぐな眼で言いきった。

「そうしたらいいじゃねぇか」
「でも、今頃あたしなんかが戻っても迷惑だし、役に立たないし」
「そんなことねぇ!」

驚いた表情を浮かべるなまえを見ながら最近の部活の話をする。一年生たちはなまえに勉強を教わりたそうにうずうずしているし、潔子さんと谷地さんはなまえのつけていた過去のスコアブックを片手に唸っている。わかりやすいスコアの付け方のコツはなまえに教わってね、って潔子さんは谷地さんに言っていた。俺たちだってお前のことが心配で全員で見舞いに来るし、大地さんたちは毎日なまえが元気かどうか、気にしている。

「お前の居場所はずっとある。お前が気付いてないだけだ」
「にしのや、」

なまえが目に一杯の涙を浮かべて、その涙を握ってない方の手で拭ってやる。

「どこまでもついてきてくれるんだろ」
「その約束、まだ有効……?」
「当ったり前だろ!ずっと有効だ!!」

いつかの約束をなまえが覚えていてくれてよかった。嬉しくて両手でなまえの顔を包み込んだ。

「だから、あたしなんかとか言うな。言いたいことを溜め込むな。どんなことでも俺が聞いてやるから」
「うん。あたし、烏野にずっと居たい」
「俺たちも待ってる。すぐに帰って来られないかもしれくても良いから、絶対戻ってこい!」
「うん……っ。おばあさんたちに話してみる」

決意を固めたなまえの手をぎゅっと握りしめる。

「頑張れ」
「頑張る。西谷も合宿がんばって」
「おう!」
「西谷、」

振り向いてくれてありがとう、そう言って笑ったなまえの笑顔は、一年生の頃の距離が開く前の表情を連想させた。