夢の詰まったキャンディボトル

たまたま街を歩いていたら、見知らぬおじさんに声をかけられた。向いてるからやってみないか、とそそのかされて、気づけばシン・陰流の師匠に弟子入りして刀を振るうようになって。流されるままに東京都立呪術高等専門学校に入学していた。それまで呪霊の呪の字も信じていなかったわたしが、急にそんな世界に飛び込んだところでやっていけるはずもなく。高専を卒業したあと、わたしは他のみんな――硝子ちゃんや五条くん――とは違う一般的な道を進むことにした。
卒業した後は、奇跡的に大手の不動産会社に就職し、東京都内の営業所に営業事務として働いている。パワハラやセクハラが蔓延しているけれど、わたしよりも営業の女の先輩の方が酷い目に合っているから、わたしがされていることなど序の口だと我慢していた。
呪術界から足を洗ったのでもう硝子ちゃんたちと関わることはない、と働き出した当初は思っていたけれど、なぜか五条くんはわたしの元に毎週足を運んでいる。毎週金曜日の夜になると彼はわたしの住むアパートの前でしゃがみこんで帰りを待つようになった。忙しいだろうに、こんなところにいてもいいのだろうか。

「五条くん、また来たの?」
「僕のこと、そうやって邪険にするのなまえと硝子くらいだよ」
「嫌なら来なければいいのに」
「嫌とはだれも言ってないでしょ。はい、お土産」
「わ、今週もキルフェボンのタルト?いいの?」
「いいのー」

差し出された見慣れた紙の入れ物を受け取り、鞄から鍵を出して家の施錠を解除する。彼を招き入れるのはもう数えきれないほどになっていた。招き入れられた彼も慣れた様子で洗面所で手を洗ってから、わたしのベッドに勝手に寝転ぶ。わたしは台所でもらったタルトをいそいそと取り出して皿に乗せた。食器の用意と紅茶の準備も忘れない。毎週金曜日の夜二十二時にやってくる呪術界最強の男と夜遅くにわたしの部屋のローテーブルを囲んで紅茶と一緒にタルトをつつく。なんて贅沢なんだろうなぁ。真意はよくわからないけれど。もしかしたら、数少なくなった同級生を気にしてくれているのかもしれない。
――という話を、久しぶりに会った硝子ちゃんにしたら、美人な彼女には相応しくない形容し難い表情を浮かべられた。まるで甘いお菓子を無理やり食べさせられたようなときのような表情だ。

なまえ、本気でそう思ってる?」
「?うん」
「はは、可哀そうで面白い」

悟が、という言葉が続いて話の流れがよく分からず首を傾げてしまう。なにかおかしいことを言っただろうか。硝子ちゃんはまれにわたしには理解できない話をする。歌姫先輩とかがいるときは通じているみたいだから、わたしの頭が悪いだけかもしれないが。

「そうだ、今日はいつものお店にキャンディ買いに行くんでしょ?そのあと服でも買いに行く?」
「あ、先に服見に行きたい。硝子ちゃんに選んでほしい~」
「なんでまた。珍しいじゃん」
「職場の若手でバーベキューすることになったんだよねぇ……正直、乗り気ではないけど」
「あら」

驚いた顔をしてから続いてなにかを企んでいる顔をした硝子ちゃんに連れられて、いつも買いに行く洋服のブランドよりガーリーな店に入った。女の子満載と言った様子の店頭に尻込みしてしまいそうになる。硝子ちゃんはわたしの内心を読んだのか腕を掴んでそのまま店の中に引きずり込まれた。

「いやぁ、なまえは好きじゃないだろうけど、こういう店の服似合うと思ってたんだよねー」
「似合わない。似合わないよ。こういうところが似合うのは歌姫先輩……」
「確かに歌姫先輩も似合うけど、アンタも似合うから安心しな」
「ひぇ、」

グループデートの服を探している、と硝子ちゃんが店員さんに言ったせいで、女性二人に囲まれて着せ替え人形にされた。目まぐるしく入れ替わる服装に疲労感がすごくある。結局、トップスはブラウンのプチハイリブニットとビスチェのニットセットで、ボトムスはデニムのテーパードパンツになった。これならスニーカーにも合わせやすいし、バーベキューにも適しているだろう、とのことだ。

「どうなったか是非聞かせてよ」

硝子ちゃんはそれはそれはとても楽しそうにしたり顔で言った。職場のただのバーベキューだからなにも起こらないと思うんだけどなぁ。目的を果たしたので次はわたしのお気に入りの輸入品を扱う店に向かった。洋服を買ったショップから歩いて二十分ほどのところにその店はある。高専時代から定期的に通っているそこは、もう慣れ親しんだ場所で。店に入るなり店長に声をかけられる。

「いらっしゃい。いつもの?」
「うん。ボトルひとつお願い」
「かしこまりました」

店奥から店長が取り出してきてくれたのは、高さ十五センチほどの瓶に入ったキャンディの詰め合わせだ。ピンクにブルーにイエローにイエローグリーンの色とりどりのキャンディが瓶の中に所狭しと入っている。学生時代からこれを食べるのが大好きだった。いやなことがあったり、うれしいことがある度に食べていたそれは、大人になった今でも手放せずにいる。なかなかカラフルな色合いなので、夏油くんや五条くんがよくそんなもん食べられるな、と言ってきたこともあった。輸入品なので身体に悪そうな色なのは仕方がない。
代金を支払ってボトルを紙袋に詰めてもらい、店をあとにする。次は硝子ちゃんが付き合ってほしいと言っていたカフェに向かった。

硝子ちゃんと買い物に行った日のあとの金曜日も五条くんはやってきた。今日はキルフェボンのタルトではなく、タカノのケーキだ。どういう心境の変化なんだろう、なんて考えながら、いつも通り五条くんを部屋に招き入れた。そういえば、いつもは上げている髪を下ろしていて、目隠しも取って代わりにサングラスをしている。まるで学生時代に戻ったみたいだな、と思った。部屋に入り、五条くんがいつも通りベッドで寝転ぶんだろうな、と思っていると彼が部屋の中で立っているのが視界に入る。

「五条くん?どうしたの」
「あんな服持ってたっけ?」

五条くんは指差した方向を見ると、明日のバーベキューに来ていく洋服を指差していた。そうだ、服のしわを伸ばそうと昨日から出してあったことを思い出す。

「あぁ、この間の日曜日に買ったの。明日の職場のバーベキューで着ていく服がないって硝子ちゃんに相談したらあれがいいよって」
「……明日出かけんの?」
「え、うん。職場のバーベキュー」
「なんで?」
「うん?」

むしろなにがなんで?とこっちが言いたい。そりゃあわたしだって普通に働いているのだ。今回のように職場関係の付き合いだってある。特に断る理由もないから――本当はそこまで行きたくないけど――行くことにしているだけで。円滑な人間関係を築くためには避けて通れないものだと理解している。

「俺がいるだろ」

いつしか〝僕〟と言うようになっていた彼の、その一人称を久しぶりに聞いた。てっきりもう使わないのだと思っていたのだけれど。俺がいると言われても。なにか勘違いされているような気がする。別に職場のバーベキューであって、合コンに行くわけじゃないんだし。

「五条くんは友だちでしょう。職場の人だって友だちと同じくらい大事だよ」
「オマエ……俺がただの友だちにこんなに貢物すると思ってたの……」
「違うの?」
「違うに決まってる」

ケーキを取り出す準備していたわたしの元に五条くんが近づいてきて、それから左手を握られる。少し動けば鼻がぶつかってしまいそうなほどの距離に真剣な表情をした五条くんがいて、目が逸らせなかった。

「ただの同級生のためにここまでしないけど」
「そ、そうなん、だ」

近い距離に彼の美しい瞳があって目を逸らしたいのに逸らせないし、返答も思わずどもってしまう。

「すきだから、ここまでしてるんだけど」

見つめあったまま言われたそれをきっかけに顔に熱が集まった。耳まで赤くなっているんじゃないか、と思えるほど、自分でもわかる程度には顔が熱い。

「わたしだって、だれもかれも部屋に招き入れたりなんて、しないよ」
「……返事は?」

わたしの返答ではお気に召さなかったらしく催促されて、ぐるぐると熱が集まる頭をなんとか落ち着かせようと深呼吸をする。

「わたしもすき、です」

ようやく返答に満足したらしい五条くんはそのままわたしをぎゅうぎゅうと抱きしめる。身体が痛いほど抱きしめられて、愛を感じると同時にちょっと早計だったかな、と思わなくはなかった。
定期的に会う同級生から恋人、というものになってもそんなに関係性に変化はない。会う回数が増えたり、連絡を取ることが増えたり。そんな些細な変化があったくらいだ。そういえば結局職場のバーベキューには行けなかったことを硝子ちゃんに報告すると、だろうね、と笑われた。わたしと悟――と呼ぶように言われた――がそういう風になるだろうと思っていたよ、と。硝子ちゃんはいつでもなんでもお見通しだと思う。

その日は久しぶりに仕事で結構大きなミスをやらかした。朝から上司や先輩からの罵声がわたしに降りかかる。取引先への入金額を間違えてしまったわたしが悪いし、わたしのせいで上司や担当営業の先輩たちが先方に謝りにいかなければいけないのは重々わかっている。でも正直、入金に関しては一人じゃ怖いからずっと担当営業にこの金額で入金しますよ、と書面は提出していたのだ。内容に問題がなければ押印をもらうようにしていて。その間違えた取引先への入金書類も担当営業からの押印はされている。わたしだけのミスと言われるのはなんだか違う気がした。もちろんわたしがそもそも間違えなければいい話なのは分かっているけれど。もやもやとしたものがずっと胸にあるような感覚だ。
なんとか事態に収拾をつけて帰宅する頃には日付変更線が変わるか変わらないか、といったところだった。とぼとぼとした足取りで家に到着すると、見慣れた姿がわたしの部屋のドアの前でしゃがみこんでいるのが目に入る。

「悟?」
「あ、なまえお帰り」
「今日金曜だったっけ?」
「そうだよ。カレンダー見てなかったの」
「ちょっと、仕事でやらかして。そういえば時計もカレンダーも見てないし、朝から何も食べてないや」
「なにやってんの」

大きなため息を吐かれた。呆れられただろうか。でもミスのリカバリーをするのでいっぱいいっぱいになってしまって、ほかのことをおろそかにしてしまっていた。自分のダメさ加減を再認識してまた落ち込んでしまう。傾いてしまいそうになる身体を悟は抱き留めて、わたしの鞄を漁って鍵を取り出した。手慣れた様子で部屋の鍵を開けて、そのままわたしごと部屋の中に入っていく。
靴を脱がされ、洗面所で手を洗うように言われてその通りにした。悟は持ってきていたらしいケーキの箱を台所まで持って行っているようだ。手洗いとうがいを終え洗面所を出ると部屋で悟が両手を広げて待っていた。なにをしているんだろう、と思っているとそのまま手招きをされる。近づいていけばそのまま抱きしめられた。そして囁くように発された彼の声が耳を掠める。

「甘やかしてあげようか」

そう言ってポケットから取り出して悟が差し出してくれたのはカラフルなアメ玉で。わたしが高専時代から一番気に入っているものだ。瓶詰めで新宿の輸入品を取り扱う店くらいにしか置いてないそれを、わざわざ彼が買ってきてくれたのだとわかる。

「行ってきてくれたの?」
「新宿歩いてたらたまたま店の前通っただけ。そういえばなまえここの店でよく買ってたなって。瓶の方は台所に置いてあるよ」
「ありがと……」

ぐしゃぐしゃと髪の毛をかき混ぜられる。いつもなら乱されて怒っているところだけれど、今日は心地よく感じた。凹んだ精神に恋人のハグはよく効くなんてファッション雑誌で呼んだことがあるけれど、ほんとその通りだな、と実感する。

「いつも仕事頑張っててえらいからね。たまには労ってあげようかと」

そう言って抱きしめたまま悟は優しくわたしの頭を撫でた。それが心地よくて眠気が誘われる。今日はとても疲れたから余計かもしれない。

「眠いの?」
「うん、」
「いいよ。疲れたなら寝ちゃいな」

その言葉に甘えてわたしの意識は落ちていった。
翌日、朝起きると悟と同じベッドで眠っていたし、化粧を落とし忘れたなぁ、なんて思っていたのにすっかり化粧も落とされていた。
できる恋人というのは後ろで眠っている男のことを言うのかもしれない。ベッドから起き上がって、シャワーを浴びることにする。シャワーを浴び終わるころには悟も起きているだろうし、そうしたらちゃんとありがとうって伝えなきゃいけないな、と思う。悟のおかげでまた来週からも仕事が頑張れそうだ。