あの日、あのとき、あの場所。家族みんなでただショッピングモールに向かうために歩いていただけなのに、目の前によくわからないなにかが現れて、理解が及ぶ前に家族は自分の周りに横たわっていた。次は自分の番だ、と身動きが取れなくなっていると、あかいろが目の前を通りすぎる。気づいたら、よくわからないなにかは動かなくなっていた。
「大丈夫か」
「あ、はい」
綺麗なあかだ、と交わった視線の先に在る眼を見て思った。もしかしたら、無意識に現実逃避をしたかったのかもしれない。なまえの足元に広がるあかは綺麗だと思えなかったから。せめて自分の瞳にはきれいなものを映したかった。
「もうすぐ救援がくる。それまでに今から言う場所に行けるか」
「だいじょうぶ、です」
「気をつけて行けよ」
「はい、」
覚束ない足元ではあるがなんとか教えられた場所に向かって歩いていく。途中騒々しい音や家屋の崩れる音、いろいろなものが聞こえたけれど、それらを気にしている余裕なんてなく、示されたものに縋るようにただ指示された場所を目指した。
言われた場所――近場の小学校――に到着すれば、忙しなく声を出して避難者を案内している男性が目に映る。今更だけど、あのよくわからないなにかと目の前の彼らはなんなのだろうか。ふらふらとした足取りのまま、目の前の男性に近づいていけば、こちらに気づいたらしい男性が駆け寄ってくる。
「怪我人だね? 医務室へ隊員に運ばせよう。連れて行っても?」
「あ、はい」
「こっちにも怪我人がいる! 手の空いているものは彼女を運んでくれ!」
男性の声でなまえに気づいたらしい同年代の男の子がなまえに近づいてくる。足の下に腕を入れられて、所謂お姫様だっこと呼ばれる横抱きの態勢にされた。こういう状況でなければ、もっとときめきを感じられたかもしれない。動くたびに揺れてそのせいで痛みが身体に走り、思わず眉間にしわを寄せて目を瞑ってしまう。痛みをやり過ごす努力をして見たけれど効果は見込めなかった。
「いた、」
「ごめん。もうちょっとで医務室着くから」
「ううん、こっちこそごめん」
五分くらいだろうか、それくらい歩いてくれていたような気がする。
着いたよ、という声に目を開ければ、目の前に怪我人がところ狭しと座っていたり寝かせられている光景が目に入った。さっきのよくわからないやつのせいで、こんなに怪我人が出たのだろうか。
「じゃあ、おれもう行くから」
「ありがとう、ございました」
「うん」
背中を見送って同じような歳なのにすごいなぁ、と思う。看護師らしき人に声をかけると、順番に診察して重度のひとから病院に運んでいるのだと言った。なまえはそこまで重度の怪我じゃないので、ひとまずそこらへんに座っておくように言われる。言葉に従ってひとがいない場所になんとか腰を下ろして、そのまま気づけば意識がどこかへ飛んでいっていた。
次に目を覚ました頃には病院で、叔母夫婦がベッド脇の丸椅子に座っているのが見える。視界がいつもと違う見え方をしていた。白と黒と灰色でしか目の前を認識できない。意識を失くす前の世界はとても色鮮やかだったのに。
容態がどうなっているのかわからないまま、あのよくわからないなにかは近界民だというのだと説明をする叔母夫婦の話に耳を傾けた。こちらの様子がどこかおかしいことを察したらしい叔母がナースコールで看護師を呼ぶ。慌ててやってきた看護師にそのまま眼科と脳外科に連れて行かれた。
検査の結果、色覚異常だと言われた、と叔母は言う。簡単に言うと目の異常らしい。もう少しきちんと検査をしてみないとわからないが、原因はあのよくわからないなにかに関係しているだろう、と言われたそうだ。なんにしろすぐに治るかもしれないし、治らないかもしれないらしい。自分のことなのに、自分のことのように感じられなかった。
§
夜に雨、というのは世界の色が失われたように思わなくもない、と言えば馬鹿にしたように笑ったのは自分と同じくらいの身長をしたクラスメイトで。彼の周囲にいると心地がいいことに気づいてから、無意識に彼のそばに居るようになってしまった自分を嗤いたくなってしまう。あの日に出会った、一応、なまえにとってのヒーロー。それを彼に言うと、そんな大それたものでない、と否定されてしまったけれど。
街の復興が進んでいると言っても、瓦礫が残る警戒区域では、白と黒と灰色で認識することが許されているような気がして心地がいい。暗い中できらり、と赤が灯った気がする。ひとが近づいてきた気配がするが、振り向きはしなかった。
ぱらぱら、と降る雨を傘が受け止めて、水滴の弾かれる音が耳を刺激する。
「またおまえか」
「こんばんは、風間くん」
すぐ隣で声が聞こえて、視線を動かして傘越しに隣を見る。見知った姿がそこにあった。むしろ、彼に会いに来たのかもしれない、なんて。
あの日助けてくれたヒーローが、隣のクラスの男子生徒だと気づいたのは、病院から退院して学校に登校するようになったからだ。
色彩がうまく認識できない中、彼のきれいな赤い眼だけはおかしくなった自分の視界で、正常に色として存在していた。それが嬉しくて彼に付き纏うようになって、気づけばそばに居ることを許されたような気になって久しい。
風間には自分の異常の話はしていなくて――学校の教師などから伝わっている可能性はあるかもしれないが――、それに気づいている素振りも見せてこないので、火に吸い寄せられる蛾のように風間の近くにいた。
「ここは警戒区域だ」
「知ってるよ」
「――死にたいのか?」
「もしかしたら、そうかもね」
三門市に住んでいる人間からすればあの日は地獄で、人生が一変した人間も少なくない。
少なくとも、なまえは一変した。家族がいなくなって、叔母夫婦は引き取ってくれると言ったけれど、どうしてもこの土地を離れたくなくて、わがままを言って一人暮らしをさせてもらっている。ボーダーに入れば寮などにも入れる、と聞いたけれど、あいにく入隊試験で落とされたのだから仕方がない。元々そういうものと戦う才能が自分にあるとは微塵も思っていなかったけれど。未成年が暮らしていくには世間はそこまで甘くなかった。
住んでいた家は多少外壁が崩れたくらいだったので、原型を留めたまま残っていたし、その家にひとりで住んでいる。帰っても誰もいない家というのはひどく寂しいものだと知ったのは、こんなことになったからこそだ。
「風間くんも近界民に家族を殺されてるんだって?」
「まぁな」
彼のクラスメイトがベラベラと吹聴しているのを小耳に挟んで聞いたので、てっきり怒りを買うかと思ったがそうではなくて肩透かしを食らった気分になる。
「すんなり教えてくれるじゃん」
「おまえの状況は俺が一番知ってる」
「それもそうだ」
風間は息絶えたなまえの家族を見ている。自分が知っているからなまえにも開示した、とでも言うのだろうか。
「ねぇ、どうやったら、孤独と分かり合える?」
「そんな日は一生来ない。やり過ごし方を覚えるだけだ」
「そっか、」
いつかこのひどく胸を騒つかせる寂しさをやり過ごせるようになるのだろうか。気が遠くなるほどとても先の未来のように思った。
ぼうっと虚空を見つめていると、傘を支えていない方の手を取られる。
「帰るぞ」
「うん」
勝手に風間のことを同志のように思っている、と告げれば否定されるだろうか。怒られるだろうか。それとも呆れるだろうか。前を歩く自分と身長が変わらないはずの彼の背中をじっと見つめる。男の子だなぁ、と思った。父のようには大きくはないけれど、なまえよりは大きく見える背中に安堵を覚える。
この寂しさに殺されてしまいそうになる世界で、孤独を誰かと分け合いたかった、と言えばまた笑われそうだ、と思った。
§
夕やけ小やけの赤とんぼ、と歌う声に耳を傾けながら、手元にある参考書を解いていく。大学は推薦で決まってはいるものの、勉強するに越したことはない。
授業が終わり掃除の当番も終えてから、夕陽に染まる教室には、風間と彼の机を挟んで向かい合うように座ったクラスメイトがいるだけだった。チクタク、と微かに聞こえる教室に備え付けられた壁掛け時計の音と、互いの呼吸だけを感じる。
「蒼也くん」
「なんだ、もう歌うのは終わりか」
「うん、満足した」
視線を参考書に向けたまま続ける会話は心地よく、そんな自身の態度にも会話の相手であるなまえは気にしていない様子だった。いつものことなのでお互い特に頓着はない。
「数学の課題っていつまでの提出だっけ」
「明後日」
「うへぇ、まだ手つけてないや」
「さっさとやっておけよ。俺は当日助けんからな」
「最悪先生を脅すから平気」
「……ほどほどにしてやれよ」
「はいはあい」
返事から真剣味を感じないので、おそらく明後日には目の前の女に言いくるめられている担当教諭の姿が見られるだろう。本人はいつも否定するが、頭の良い女だというのは間違いない。そうでなければ、癖のある後輩の加古がなまえに心酔するはずがないのだ。
二宮や来馬もたまになまえと会話をしているところを見かけるので、ほどほどにボーダー関係者と交流を深めているのだろう。
「蒼也くんは市大だっけ」
「あぁ、そういえばお前はどこに行くんだ? まだ聞いてなかった気がするが」
「一応市大から推薦は貰ってるよ」
「でもそこまで乗り気でもないんだろう」
「だいせいかあい」
なんだかんだお見通しだね、なんて言葉を続けるなまえにたまたまだ、と言葉を返した。飄々としている目の前の彼女と距離感が近くなったのは、もう随分前のことになる。近界民に襲われているところを助けて、そこからまるで猫が懐くように風間の視界に入るようになった。そんな話を知らない加古などはなんでなまえが風間といるのか、と疑問をぶつけられたこともある。
不思議な関係だという印象を第三者は抱いているのは知っていたが、それを説明するのもなにか違う気がするし、風間自身どのように説明をするのが最適解なのかわからない、というのが正直なところだ。
「行く先が決まったら教えろ」
「気が向いたらね」
にんまり、と目を細めて笑みを浮かべる姿は年相応とは思えず、まるで大人の異性を相手にしているような錯覚を覚える。たまにこういうことがあるから、困るのだ。目の前のなまえに女性的ななにかを感じることなどこれまでなかったのに、卒業式の日が近づく度に目の前の彼女が、知らない人間になったように思ってしまう。本人になにかあったか聞いてもなにもないよ、と返されるので、それ以上の言葉を連ねることはできなかった。
「孤独のやり過ごし方をわかったような気がするからね、わたしも」
「……なにか言ったか?」
「なんにもないよ」
いつか言った話をなまえが覚えているとは思っていなくて、覚えていないふりをした。自分の孤独は自分でしか処理できない、というのが風間の考えだ。だから、なまえの求めていることには気づいたけれど、応えることはしなかった。向こうも途中から察していたようで、付かず離れずの距離を保ち続けた。
それがきっかけになったのかどうかはわからないが、彼女は彼女なりに孤独のやり過ごし方を見つけたのだろう。
「蒼也くん、ありがとう」
「俺はなにもしていない」
「それはそうかもね」
またこれまでのように過ごすのだ。きっと、卒業までこの距離でいるだろうし、卒業してからもこの距離でいることが想像できた。
それが自分たちに適した距離だと風間は思っている。
惚れた腫れたで周囲が騒ぐこともあるけれど、それは風間もなまえも知ったことではない。たまたま彼女の家族を見送ったのが風間だったから、なまえのことが気になるだけであって、そこに恋情はなかった。どちらかと言えば庇護欲に似たなにかでなまえのことを気にかけているだけだ。
孤独と共にあることが当たり前になったなまえが、いつか誰にも何も告げずにどこかに行ってしまいそうな気がしている。だから、彼女の進学先を気にするし、そこで健やかに過ごしていればいいのに、と思うのだ。別に風間の目の前にいる必要はないし同じ大学に来いと言うつもりもない。なまえの人生だから決定権はなまえにある。
けれど、同じ大学であれば彼女に懐いている加古が彼女のことを気にかけるだろうから、それはそれで好都合だと思う自分もいるのだ。
自分の見ていないところでしあわせいてほしいと思うし、自分が遠くから確認できる距離でしあわせに過ごしていてほしい、と相反する感情が自分の中で渦巻いている。
「お前は、」
「ん?」
「生き残ったことを悔いているか?」
「どうだろう」
なまえは手元のシャーペンの動きを止めて、考え込む素振りを見せた。それから考えがまとまったのか口を開く。
「過去に戻れるのならば、あの日に戻って両親を救いたいとは思うけれど、そうしたら蒼也くんと仲良くなることはなかっただろうから、どちらをどうする、って結論づけるのは難しいかな」
あの日確かにたくさんのものを失ったけれど、そのあとに多少とは言え得たものもあるから、悪いことばかりでもなかったよ、と笑う。
本心で言っているのか詭弁なのか分からず、真意を探るようにじっと見つめることしか風間にはできなかった。