嵐山/ガラスの靴を履いててほしい

 嵐山の恋人であるなまえの左手の薬指にはなにも嵌っていない。付き合って一年目の記念にペアリングをプレゼントしたにもかかわらず、だ。もともと嵐山が拝み倒して始まった関係であるので、仕方がないことかもしれないが、やはりすこし寂しさのようなものは感じる。自分も立場上どうしても堂々と嵌めることはできないけれど、それでも毎日チェーンに通したリングをネックレスのように首からかけるようにしていた。なまえも同じようにしていることは知っているけれど、本来あるべき場所に嵌めて欲しいというのは、嵐山のわがままなのだろうか。
 はじめてなまえを見たとき透明だな、と我ながら意味のわからないことを思ったのを覚えている。そこに居るようで居ないような、そんな存在感の彼女のことがどうしてか気になってしまった。気づけば目でなまえのことを追っていて、生駒や弓場に唆されてお近付きになって友達という関係に収まって。なまえ自身、藤丸の友人ということもあり、近付くのはそう難しくなかった。弓場経由で嵐山はなまえのことが気になっているらしい、と伝えれば、姉御肌の藤丸は彼女と話す場を用意してくれた。藤丸には紹介してもらうときに再三泣かすような真似はするなよ、と釘を刺されたのはいい思い出だ。

「なぁ、あの指輪気に入らなかったか?」
「え、なに急に」

 お互い空きコマである木曜日の三限目に、大学のキャンパスからすこし離れた場所にあるラーメン屋へ、なまえと二人で行くのはいつものことだ。店内には見慣れた愛想の悪い店主しかおらず、他の客がいないことに安堵した。この店を愛用しているのも大学構内の喧騒から遠のくことができるからかもしれない。
 なまえと会うのは大学構内のカフェや歩いてすぐのところにあるおしゃれなカフェではなく、女の子たちが好みそうじゃないところに行くことが多かった。そういう場所に行くとどうしても周囲の視線が嵐山を捉えてしまうし、それに伴って彼女の存在まで捉えられてしまう。そういったことは避けられるなら避けよう、というのがなまえからの提案で、嵐山もそれに了承した結果がこの状況だ。
 人目を気にしなくていいので適当なテーブル席に座って、メニュー表を眺めながらなまえに話を続ける。

「だってずっと着けてないだろう?」
「着けてるよ、ほら」

 首元から細身のチェーンを引っ張り出して目の前に揃いのリングが揺れる。すぐ取り出せるようにしてくれていることを嬉しいとは思うが、それでは物足りない。確かに着けてはいる、着けてはいるけれど。

「そうじゃなくて、指に」
「あぁ、」

 嵐山がそう言うと、なまえはようやく合点がいったという表情を浮かべた。

「嵐山くん」
「はい」

 真剣な声で名前を呼ばれてぴっ、と背筋を伸ばし、居住まいを正す。傍から見れば奇妙な光景であることは想像するに容易い。

「あなたの大学生以外のご職業は?」
「ボーダーのA級部隊の隊長です」
「その部隊はボーダー内でどういった位置付けですか?」
「広報の一端を担っています」

 まるで就職活動の面接のような会話を展開され、困惑しながらも今までの広報活動の経験が功を奏したのかなんなく答えていく。この問答にどういう意図があるのだろうか、なんて考えていると、目の前のなまえがため息をついた。

「そんな嵐山さんに最近女ができたのではないか、とネット上で言われているのはご存知ですか?」
「え、」
「そういうことだから、見えるところにあからさまにはつけません。はい、この話は終わり」

 おじさーん、味噌と半チャーのセットお願いしまーす、と今までの空気を全力で壊すように嵐山の存在を無視して、無愛想な店主に注文をしている姿が目に映る。はいはい、なんて答えている店主に自分は味噌大盛りとご飯大盛りで、となまえに続くように注文をしたけれど、その声は弱々しかったような気がしなくもない。あからさまに落ち込んでいると彼女がしょうがないなぁ、と言いながら頭をなでてくる。

「嵐山のことはちゃんとすきだからそれでいいじゃん。ペアリングもすごく嬉しかったよ。指には着けないけど」
「それはわかってるけど、」

 指輪を贈ったのは着けてほしいからで、目に見える場所に彼女の所有権を主張できることをとても魅力的に思ったからだ。ネックレスでいいのであれば、最初からネックレスを贈っている。嵐山ほどじゃないよ、といつも笑われるけれど、藤丸や同じ学科の生駒から話を聞く限りなまえの周りにはなんだかんだ人がいて、彼氏が途切れたことはないらしく、嵐山が今のポジションに収まっていられるのは、タイミングが良かっただけの話だけだ。
 月見のように一歩引かれるような美しさというよりも、愛嬌があると形容されることが多いなまえは、異性からすればちょうどいい存在だったのだろう。
 そういう対象にされやすかった。嵐山はなまえだからこそいいのだ、とはっきり言うことができるが、彼女に告白した当初は他の男と同列に考えられていたのは未だに根に持っている。半分泣き落としのように嵐山の想いを理解させて、なまえがようやく折れたところで付き合った。

 
   §
 

 自分の彼女を透明、と形容すると大体人間は首を傾げる。諏訪なんかは透明どころかどどめ色だろ、なんて失礼なことを言うけれど、嵐山は確かに透明だと思ったのだ。相手によって自分の色を変えることのできるなまえは透明なのだ。
 なまえとは学部は違うけれど一般教養の科目のクラスが同じで、たまたま授業中にグループワークを行うことになったときに知り合った。
 同じグループのひとたちは一般教養だから、とやる気もなく最低限のレポートが出せればいいだろ、なんて言いながらだらけていて、興味がある分野でグループワークなんて楽しみだな、と思っていた自分とは意識の差があり、なんともいえない気持ちを抱く。せめてもうひとりくらいやる気のある人がいれば、と思っていたところで、ずっと黙っていたなまえが声を上げた。

「せっかくのグループワークなんだから、やれることはやろうよ」

 ここで同じグループになったのもなにかの縁だし、とだらけたメンバーに笑みを浮かべる。さすがに数少ない女子がやる気になっているのに、自分たちがやらないのは男としての矜持が刺激されたのか他のメンバーもやる気を出し始めた。
 グループワークの役割を分担していって、彼女と二人でフィールドワークのペアを組むことになり、嬉しくないと言えば嘘になる。少なくとも真面目にやろうとしてるなまえを見て好感を持った。

「やる気のあるひとがもう一人いてよかった

 二人でフィールドワークに出かけた際にそう言えば、隣を歩くなまえは嵐山から視線を逸して言ってのけた。

「ごめん。わたしはやる気があったんじゃなくて、嵐山くんがやりたそうにしてたから後押ししただけ」

 この分野はそんなに興味ないから期待させてごめんね、と困ったように笑った。その笑顔が自分の胸にとすっ、と刺さる。
 また同時に、視野が広く周りをよく見ている人なのだと思った。真面目な理由でああ言ったわけじゃないとわかっても、なまえを嫌いになることもないまま、どちらかといえば好感が募っていく。
 案外彼女は自分の意思というのを持っていない。それは相手に寄り添っているとも取れるし、自分のことは置き去りにして目の前の安寧だけを優先しているとも取れる。
 なまえの自衛方法を否定するつもりはないし、嵐山もそういうことをせざるを得ないときはあるので、ひとのことをどうこう言える立場ではない。大人になれば、社会人になれば必要になることを嵐山たちはすでに行っているに過ぎないのだ。そこまで大人びなくても、なんて言う過去の彼女もいたが、嵐山がいるフィールドはそう言う場所で、ささいな言葉がおおげさに広げられる可能性が大いにある立場だ。自分の迂闊な行動が自分の隊のメンバーに広がって迷惑をかけてしまう可能性すらある。そういうことを考えると、やはり角は立てずに済むなら立てずに済ませたい。だからなまえの透明さが嵐山にとって、とても居心地がよかった。
 フィールドワークで必要な資料を集め終わり、みんなで日程調整してどこかでレポートをまとめよう、と話をまとめてグループのメンバーでメッセージアプリのグループを作る。そのときにおそるおそるなまえに友達を申請したら許可と共に可愛らしい猫のスタンプでよろしくね、と返された。
 じわじわとほんのりと温かいものが胸の中を掠めて、そわそわと落ち着きのない気持ちになる。知り合いとしての時間をすこしずつ重ねていく中で距離がぐっと縮まったのは、彼女から藤丸の話を聞いたからだった。なまえの女性の交友関係はそこまで広くなく、共通の知り合いがいるなんて微塵も考えていなかったが、まさかの接点が急に降って湧いて驚いたものだ。友人になってなかなか切れない恋人が切れたときにようやく滑り込んだ嵐山は、生駒と弓場曰く、かなり必死だったらしい。嵐山あんなに必死になることあんねんな、と言ったのは生駒で、いつもの嵐山らしくなくて面白かった、と言ったのは弓場である。ひどい友人もいたものだ。
 彼氏がいた頃のなまえは、彼氏に関するものを身に着けていたことが多く――彼女らしくないティーシャツだなと思ったら彼氏のものだったり――、嵐山と付き合っている今のなまえはなにも身に着けていない。そのせいか、未だに告白をされている、と聞いたのは藤丸経由の弓場からだった。
 そういう話を小耳に挟むとやっぱり見えるところに贈った指輪をしてほしい、と思うのは正当な理由なのではないだろうか、と考えずにはいられない。

 
 非番の日は、大学からすこし離れた奥まった路地に面しているチェーンのコーヒーショップで落ち合って、デートをするのがいつものことだった。四限目が休講になった嵐山は、コーヒーショップにやってきて外が見える窓際の席に座る。大通りと大学の近くに同じチェーン店があるからか、穴場のその店は同じ大学の学生は少ないようだった。どちらかというと教授や忙しそうにしている大学院生が来ている印象がある。
 ここで一度東と遭遇したときは驚いたけれど、なまえがいないときだったので気にしないことにした。
 コーヒーを飲みつつ来週提出のレポートをしていると、店先に待っていた姿が見える。手を振ろうとしたところで、見たことのない男がなまえに声をかけていた。慌ててコーヒーを飲み切って荷物をまとめ店の外に出る。出たところで彼女と声をかけている男の会話が嵐山の耳に届く。

「だから、これから待ち合わせがあるので」
「ほんの少しでいいからさ~。同じ学科のよしみでお茶でもしようよ」
「彼氏いるから結構です」
「またまた、嘘でしょ。それっぽいの全然身に着けてないじゃん」

 どうやら同じ学科の男に声をかけられているらしかった。二人に近付いて行って、男の手がなまえの肩に馴れ馴れしく触れようとしたところで、その手を払い彼女を自分の腕に抱き留める。男は突然現れた嵐山に驚いて目を見開いていた。

「俺の! 彼女なので!」

 にっこり、と広報活動の際に浮かべる笑みを浮かべつつ、はっきりとそう言い放ってやると、男はさきほどまでの勢いをなくしてすごすごとどこかへ行ってしまった。下手に揉めごとにならなくてよかった、と安堵していると腕の中のなまえがため息を吐いたのが分かる。呆れているのかもしれない。

「今の人、一般教養で嵐山と同じの取ってるよ」

 広められちゃったらどうするの、と言うなまえに、なんでもないように笑って言う。

「別に、やましいことはなにもないからいいさ」

 俺だって一人の男だから彼女くらいほしい、と言えば、また盛大にため息を吐かれた。呆れられるようなことをした覚えはないので気にしないことにする。
 抱き留めていた身体を放して、それから自分の右手となまえの左手を繋いだ。いつもよりすこし冷たい手を温めるようにぎゅっと力をこめる。顔を彼女から逸らしたままずっと思っていたことを告げた。

「やっぱり見えるところに、着けてほしい」
「え?」
「指輪」
「……仕方ないなぁ」

 繋いでいた手を一度放され驚いて隣のなまえを見やると、彼女は首からネックレスとしてつけている指輪を外して、チェーンも外した。それから指輪を嵐山がずっとつけてほしいと思っていた左手の薬指には嵌める。

「これで満足?」

 呆れた表情はそのままに見せつけるように手を嵐山の眼前に掲げた。

「あぁ、満足だ」

 見ることはできないけれど、きっと自分は今とても幸せそうな表情を浮かべているんだろうな、と嵐山は思った。
 やはり、自分の恋人が自分のプレゼントを見えるところにつけてくれる、というのはとても嬉しいものだな、と噛みしめる。同じように嵐山も身に着けることができればよかったが、おそらくまたなまえに怒られてしまうので、提案は飲み込んだ。
 仕切りなおそう、とコーヒーショップに戻って先ほどまで嵐山が座っていた席と違って店内の奥の席に座る。ちょうど空いていてよかった。なまえを待っている間に座っていた窓際の席でもよかったけれど、やはり人の目につきやすい場所ではあるから避けていた。
 奥まった死角になっている二人掛けの席は、いつも愛用している特等席のようなものである。ひとの視線を気にせずに話すことができて、なまえもキャンパス内にいるときよりも肩の力が抜けているように思った。自分以上に人の視線を気にしているなまえが、嵐山と付き合い続けてくれていることに、ことあるごとに驚く。一応、嵐山のことをなまえも好いてくれているということなのだろう。
 一度、なまえと三門市のショッピングモールでデートをしていたときに、たまたま迅と遭遇したことがあるが、嵐山の顔となまえの顔を交互に視て、それからふーん、と楽しそうに笑った。真意が聞きたいような聞きたくないような。本当に悪い出来事が起きるときは、アドバイスをしてくるので、そうじゃないということは悪い未来ではないのだと勝手に判断する。
 彼女と俺の未来がどう視える、と聞いてしまえたら楽だけれど、そういうことはしたくなかった。
 これからも彼女と一緒に生きていく未来は自分で掴み取りたいと思うのだ。