影浦/ガラスの靴なら割ったけど

 お好み焼きかげうらで提供されるメニューの材料である野菜の大半は、店が位置している通りの裏にある八百屋の『みょうじ』で仕入れている。先代からの付き合いもあり、気づけば親子三代での関わりがあった。
 八百屋の店主には影浦家の次男坊と同い年のひとり娘が居り、プライベートでも家族ぐるみでの付き合いがあったため、影浦となまえは幼馴染みとしてニコイチのセット扱いをよくされている。
 高校生になっても変わらずニコイチ扱いされていることに、物申したくなることもあるが、そんなことを言えば冷やかしの対象になるのは目に見えていた。大人というのは思春期や反抗期の子どもをからかって遊ぶ傾向がある、というのをひしひしと感じている。通過儀礼だと言ってしまえばそれまでだが、避けられるものは避けたいと思うのだ。

「雅人なにしてんの」
「……店番」

 そりゃ見たらわかる、と返事をしたのは件の影浦の同い年の幼馴染みのなまえである。ボーダーに行く予定もない影浦に店番をするように言って、兄は急遽不足した材料を買うために外に出た。
 父と母はそれぞれ町内会の集まりだか婦人会の集まりだかに行っているため、元々朝から居ない。そのため、家でダラダラしていた影浦に店番が降り掛かってきた。
 客が入ってきたらわかるように、調理場の隣の休憩場所として使っているスペースにもたれ掛かって北添に借りた雑誌を読んでいると、勝手口がノックされる音と時間を置かずにガラリと開けられた音がする。こんなことをしてくるのは慣れ親しんだ仕入先の人間だけだ。昔から付き合いのある魚屋のジジイでもきたか、と思って勝手口に視線を向けると見慣れた姿が目に入る。
 星輪女学院の制服に身を包んでキャベツがたくさん入ったダンボールを抱えている姿はなかなかにシュールだ。
 幼馴染みのなまえは六頴館高校に進学するかと思いきや、自分の子をお淑やかに育てたかった彼女の父が彼女を星輪女学院に入学させた。影浦より勉強ができるタイプであるなまえは親の言うままに星輪女学院を受け、しれっと受かって居たのは三年ほど前のことである。
 小南や木虎の制服姿をたまに見かけたことがあるとはいえ、なまえの制服姿は何度見ても慣れない。お嬢様、という雰囲気がありありと感じ取られるその姿に、違和感しか覚えないのだ。
 昔から影浦とつるんでいたため入学当初は慣れない無理、なんて泣き言を言っていたのを覚えている。
 それが三年目にもなればごきげんよう、なんて影浦が言われたら寒気が走る挨拶を平気で言えるようになっていた。ちなみに、なまえが影浦に嫌がらせをするとき――主に影浦が怒らせてそういう事態が発生する――、お嬢様口調で喧嘩を売ってくるので腹立たしい。
 雅人さんなにをおっしゃっているんですか、なんて言われた日にはえも言われぬ気味の悪さに鳥肌が立った。
 慣れているなまえはそのまま勝手口から中にずかずかと入ってきて、いつも材料を置いている定位置にダンボールを置く。それからダンボールの中から伝票を一枚取り出し、影浦に差し出した。影浦もそれを受け取り、休憩スペース置かれている電話台のペン立てからボールペンを一本取り出し、〝影浦〟とサインをする。サインを済ませた伝票をなまえに一旦返し、彼女は受け取った複写式になっている伝票の一番上だけを剥がして納品書として影浦に渡した。

「雅人が店にいるの珍しくない?」
「ンなことねーよ。お前が店に来てなかっただけだろ」
「それはそうかも。最近忙しかったし」
「俺ぁ兄貴が帰ってくるまでの代打」
「なるほどね」

 刺さってくる感情は痒くはない。昔からサイドエフェクトのせいで癇癪を起こしがちだった影浦のそばに居続けたのは、家族以外ではなまえだけだ。
 不快な感情との付き合い方がわからなくて周囲に当たり散らし、なまえにも当たることは少なくなかったけれど、それでも彼女はそばにいた。それが稀有なことなのはさすがにもう理解している。
 大事にしろ、と言ったのは兄だったか母だったか。その言葉を守ろうと意識はしていないが、なまえはたしかに影浦にとって特別だった。
 お兄ちゃん帰ってくるまで待ってようかな、と言いながら休憩スペースにある空いている椅子に座る。すぐに帰るのかと思いきやそうではないらしい。彼女は一人娘で兄弟がいないが、兄弟同然で育った影浦の兄のことをお兄ちゃん、と呼ぶ。
 沈黙がなまえと影浦の間に走るが、各々好きなことをしているのでさして気にはならない。ときどき彼女のスマートフォンが震えている音がするから、友人とでも連絡を取っているのだろう。
 高校生になって所属しているコミュニティが完全に分かれてしまってから、彼女の友人関係のことを影浦が知ることはないし、なまえも同じだ。

「ボーダー楽しい?」
「あぁ、最近入ったやつが面白い」
「よかったねぇ」

 たまにこうして探りを入れられることもあるが、どちらかというと世間話のようなものなので深く追求をされることはない。

「そういえばさ、雅人ならお礼にもらうのって何がいい?」
「あ? なんだよ、急に」

 突然切り出された話題にこちらが本題だったか、と納得がいく。話を聞けば電車通学の際に、駅で気分が悪くなって困っていたところに助けてくれた三門第一の生徒がいるらしい。助けてもらったときに生徒手帳まで落としてしまい、それをわざわざ星輪女学院まで届けてくれようとしたそうで、そのお礼をしたいとのことだ。生徒手帳はそのとき持ってくるのを忘れたから、また今度という話になり連絡先を交換してまた会う約束をしている。その際にお礼をしたいということだ。お礼をする相手が同い年の男子だったので、参考までに影浦に聞いたようである。

「菓子とかでいいんじゃねぇの」
「やっぱその辺が無難だよね?」
「おー」

 試しに相手の男の名前を尋ねれば、聞いたことのない名前だったから影浦とは関わりのない界隈の人間なのだろう。
 ボーダー関係であればかろうじてわかるが、そうでないということは普通の生徒なのだろうし、同じクラスや隣のクラスになったこともないのだろう、とあたりをつけた。
 他人と関わることは進んでしないが、さすがに体育などで一緒になったことがあればわかる。

「雅人の言う通りお菓子にする。ありがと」
「ん」

 なまえが納得したところで、影浦の兄が帰ってきたので話はそこで終わりとなった。

 
   §
 

 学校の屋上で昼食であるおにぎりをボーダーの面子で食べているときに、ふと思い出して北添に話しかける。影浦から作戦や課題以外の話題を振られると思っていなかったようで、北添は驚いた顔を見せた。たまにはそういう日もあるわ、とぼやく。

「おいゾエ、――って知ってるか?」
「あぁ、A組の子だよね。あんまり評判は良くないって聞いたことあるけど」
「そうなんか」
「んー、女の子ヤり捨てては揉め事起こしてるらしいよ」
「ふーん」

 碌でもない男に引っかかりそうになっているかもしれない幼馴染みを思い浮かべて、ため息がひとつ溢れた。なまえは制服さえ着ていればお嬢様っぽく見えなくはないし、ぽやぽやと人が好さそうな顔をしているのは嫌と言うほど知っている。彼女の中で良い人という位置つけられている人間に、ああだこうだ言うべきではないのは承知しているが、気になるものは気になるのだ。

「なんでまた急に?」
「別になんでもねーよ」
「あ、わかったなまえちゃん関係だ」
「うるせーうるせー」

 ニヨニヨとした何か言いたげな笑みを浮かべる北添を黙殺して、手元のおにぎりに齧り付いた。

 
 放課後、クラスの掃除当番であったことをすっかり忘れて帰ろうとしたところを女子に注意され、忘れていた罰としてゴミ捨てを命じられる。
 渋々言われるままにゴミを捨てに行こうとしたところで、水上と村上に見られてなんとも言えない感情を向けられているのがサイドエフェクトでわかり、胸糞が悪い。あいつら基地に行ったら覚えてろよ、と内心で吐き捨てる。個人ランク戦ふっかけて絶対首を叩き斬ってやると意気込んだ。
 ガサガサと鳴る満杯になったゴミ袋を両手に持って、校舎裏にあるゴミ捨て場に向かう。ゴミ捨て場に到着するとゴミを整理している老年の用務員がいて、ゴミを手渡した。これで影浦の仕事は終わりだ。さっさと水上と村上と基地にでも行こう、と考えながら教室に戻っていく。途中の校舎に入る手前にある踊り場で、下世話な話をしているのが影浦の耳に届いて足を止める。普段であれば、知らんふりをして気づかれないように通り過ぎるところであるが、内容がそれを許さなかった。
 家族と同じくらい耳に馴染んだ名前が彼らの口から出てきたし、下世話な話題の中心になっているのが理解できる。話している人間の姿を視認したところで、彼らの手になまえの生徒手帳があったのが見えた。影浦に可愛いでしょ、と嬉しそうに生徒手帳にゆるいイラストのオオカミのステッカーを貼ったものを見せてきたのを覚えている。なんでオオカミなんだよ、と聞けば楽しそうになんででしょう、と答えながらにこにこと笑っていた。四人の男子がおかしそうに笑っている姿に苛立ちを覚える。

「こんなかわいい星輪の子とヤれんの羨ましいわ」
「だろ。具合が良かったらお前らにも回してやろうか」
「最低かよ。でもアリだな」
「おっとりしてそうだから丸め込んだらいけんじゃね」

 不愉快だな、と言うのが真っ先に抱いた感想で、衝動のままそいつらに近づいていって、主犯らしき男子の頬を拳で殴った。換装体ではないのではっきりとした痛覚に一瞬顔を顰める。

「なんだよ、ってC組の影浦じゃん」
「あぁ、あのボーダーで罰則ばっかり受けてるって噂の?」
「学校でも罰則食らいたいのかー?」

 突然殴られたことで主犯の男子から怒りやら不満の感情が肌にちくちくと刺さって気持ちが悪い。しかし、大事な幼馴染みのなまえがこいつらにいいようにされようとしていると思うと、それ以上に気分が悪い。

「わりぃな。お前らがターゲットにしようとしてたやつ、俺の大事なやつなんだわ」

 おとなしく生徒手帳を返せばこれ以上は殴らねーけどどうする、と殺気を放ちながら言うと、殺気に当てられた男子たちは尻尾を巻いて逃げていった。
 生徒手帳は床に投げ出されていて、それを拾ってついた汚れを落とす。手帳を開くと見慣れたなまえの澄ました顔写真が貼られたページが見えた。

「かわいくねー顔だな」

 生徒手帳を閉じて制服の胸ポケットに入れる。ズボンのポケットに入れてあったスマートフォンが震えたので、ポケットから取り出して待受画面を見ると村上からまだ戻ってこないのか、と催促のメッセージが届いていた。
 これ以上二人を待たせるのも申し訳ないし早く戻るか、と足早に教室に向かう。基地に行って個人ランク戦がしたくてたまらなかった。

 
 ボーダーから家に帰ってから兄になまえの生徒手帳を預かったから返しておいてほしい、と渡そうとすると、今から持っていけば、と提案をされる。ついでになまえの家に持っていって欲しいと回覧板を渡された。
 ダシに使われているな、と思いながら、おとなしくそれらを持ち店の勝手口から外に出て、裏の通りにある彼女の家を目指す。
 徒歩十分もかからない距離にあるなまえの家である八百屋は、二十一時を過ぎていることもあって閉店していた。
 店の裏に回って玄関の方に行き、インターホンを押せば彼女の母が出たので回覧板持ってきた、と言えば中に入ってと家に招き入れられる。
 玄関を開けたところで中学のジャージ姿のなまえが姿を見せた。

「雅人。どうしたの」
「回覧板とこれ」

 回覧板となまえの生徒手帳を差し出せば、驚いた顔をしてから彼女が受け取る。
 何か言いたそうにしている気がして先手を打って影浦から言葉を発した。

「なんだよ。知り合いだっつったら代わりに預かっただけだ」
「んーん、ありがとう」

 相手からなにか聞いているのかいないのかわからないが、影浦に刺さる感情はいつもの変化のない穏やかなものだった。

「雅人くん、持って帰ってほしいものがあるからちょっと待っててー」
「おー」

 なまえの母がなにかを準備しているらしく、台所の方からガサゴソと音が聞こえる。またお裾分けかなにかだろうな、と当たりを付けていると、なまえが影浦にリビングで待ちなよ、と連れていかれた。なまえの父はどうやら風呂を上がったところらしく、リビングに現れた影浦を見ながら雅人くんいらっしゃい、なんて言いながらドライヤーを持って洗面上に消えていく。
 持って帰るものの準備が終わるのを手持ち無沙汰に待っていると、なまえが学生証のステッカーをこれ見よがしに見せてきた。やわい感情が皮膚を刺激して、影浦で遊んでいることが分かる。

「おめーよぉ」
「なんでオオカミかわかった?」
「しらねー」
「えー、雅人ってほんと察しが悪いなぁ」

 おおかみと言えば、と問いかけられて、動物だろ、と返事をすれば大きなため息を吐かれる。刺さる感情から馬鹿にされていることは理解できた。

「ケンカ売ってんなら買うぞ」
「売ってませーん。雅人のにぶちん。ばかたれ」
「あぁ?」

 一触即発でけんかでも始まろうとしたところで、なまえの母が声をかけてくる。持ち帰るのものの準備が整ったらしい。受け取るものを受け取ってさっさと帰ろう、と台所に向かえば、彼女の母に袋に入れた大きな南瓜を二つ渡される。話を聞けば、付き合いのある業者が品種改良をしたとかで、配って感想を聞いてほしいと頼まれたそうだ。ずっしりとした重さのそれを受け取って、玄関に戻る。靴を履いているところで、なまえがまた話を蒸し返して言った。

「答えがわかったら教えてね」

 なんなんだ、と思いながら、おー、と返事はする。挨拶をしてなまえの家を出て、背中に刺さる感情からなまえの言いたかったことを推測するしかなかった。