※人体の欠損表現有り
一級術師との合同任務を終えて、寮に戻ってくるなり野薔薇に捕まって雑誌を渡された。可愛らしい女性がにこやかに微笑んでいる女性誌だ。表紙にはモテテクについてだの、スイーツ特集だの、情報が羅列されている。
「なにこれ」
「なまえさん~これに載ってるスイーツビュッフェ行きたいから付き合ってくださあい」
「媚びっ媚びじゃん」
どちらかというと野薔薇は真希に傾倒している節があると思ってるんだけどな。珍しいこともあるもんだ。いつもより媚びてる態度があからさまな野薔薇にそういえば、唇を尖らせながら言い訳をしてくる。
「だって、真希さん捕まらなかったんですもん」
「あー、甘いものそこまで好きじゃないもんね、真希」
「だからあとはなまえさんだけなんですよ~お願いしますっ」
「はいはい。いいよ。リストあとでラインに送っといて」
「やった」
今し方任務から帰ってきたところだからお風呂に入らせて欲しい、と野薔薇に告げれば快く自室に戻っていった。ほんと早くさっぱりしたい。自室に戻って荷物を置き、ジャージに着替えて浴場に向かう。
風呂から上がって、髪を八割方乾かしたところで髪の毛を乾かすのをやめて、そのまま着替えをランドリー室に持っていって洗濯乾燥機に服を突っ込んだ。乾くまで四十分くらいはかかりそうなので、持ってきていた野薔薇の雑誌を持って食堂に向かう。
食堂に入ってすぐのところにある自販機でイチゴミルクを購入して、誰もいない食堂で適当な長テーブルにひとりポツンと座った。野薔薇が貸してくれた雑誌を広げ、隣にさっきのイチゴミルクを置く。どのくらいそうしていたかわからないけれど、人の気配を感じて視線をあげると虎杖くんの姿が見えた。
「あ、なまえさん」
「やっほー。虎杖くん。こんばんは」
「ばんはー」
虎杖くんにゆるゆると手を振ればこちらに近づいてきて、そのままテーブルを挟んだ向かい側に座った。すこし今日の任務がどうだったかとか、洗濯が終わるのを待っているとか、そういう会話をして、言葉のラリーが途絶えたところで手元の雑誌に意識を戻す。目の前の彼はというとでろん、とテーブルに突っ伏していた。今日の授業が余程疲れたらしい。お互い洗濯が終わるまではここから動けないのがつらいところだなぁ、と思う。
時計の針の音とすこし遠くに聞こえる洗濯機が回る音だけが、わたしと虎杖くんの二人しかいない空間に響いた。向かい側で変わらずでろん、と溶けている虎杖くんを視界に端に入れながら野薔薇がくれた女性誌を読む。対象年齢が大学生とかそこらのような気がするけれど、眺めている分には時間潰しになってちょうど良い。この雑誌のスイーツ特集のページに記載されている店舗に行きたいらしいので情報を確認する。野薔薇もだいぶ東京に染まってきたとは思うけれど、たまにふとおのぼりさんな一面を見せてくるので油断ならない。ここに行きたい、あそこに行きたい、と言って誘ってくれるのは良いけれど、目的地がかなり離れているものを同日に回ろうとするから困るのだ。
先輩さぁ、と声をかけられて目の前で溶けていた状態から人間に戻ったらしい虎杖くんに声をかけられる。視線を彼の方に向ければ交わった。どこか痛そうな表情を浮かべて視線を逸らされたかと思い、逸らされた視線の先を追えばわたしの欠陥がある手を見ている。別にそんな顔をしなくていいのに。
「不便じゃないの?」
「薬指ってね、案外使わないんだよ」
「そんなもん?」
「そんなもん」
わたしの左手の薬指は高専に来る前になくなってしまった。原因はわかっているし、どうしてこのままになっているのかも理由はある。呪霊に喰われてしまったのだ。詳しい話は五条先生に聞いただけだから真実かはわからないけれど、その呪霊はわたしに恋をしていたそうで。呪い殺すこともできただろうにその呪霊はなんとわたしの左手の薬指に執着したらしい。
薬指がなくなることになったきっかけは当時中学生だったわたしに彼氏ができたということだ。思春期なんて惚れた腫れたで騒ぐのが当たり前だからわたしも世間一般に則って――周りに流されてとも言うかもしれない――彼氏を作ったのだ。同じクラスのメガネをかけた誠実ないい人だったと今でも思う。そんな彼が怪我をしたのだ。最初は小さな傷から始まって、だんだんと大きな怪我をするようになって。おかしいと思っていたところに家が神社だという後輩に校内で話しかけられた。センパイ、そのやばいやつと早く縁切った方がいいですよ、と。
最初はなにを言われたのかわからなかったけれど、当時の彼氏が車にはねられて全治一ヶ月になったところで、声をかけてくれた後輩の家の神社に駆け込んだ。そして呪術高等専門学校を紹介され、流されるままに呪霊を祓う依頼をした。例の呪霊は祓われるその瞬間にわたしの薬指を持っていったのだ。
そこにあったはずの感覚がなくなって、次は頭がおかしくなるほどの痛み。左手から真っ赤な血がどばどばと流れていたことに気づいたのは、すべてが落ち着いてからのことだった。家入先生のところに連れて行かれて、治療が終わって初めて自分の薬指がなくなったことを自覚したのだ。この件をきっかけにわたしは呪霊が見えるようになり、なんの因果なのか元々備わっていたらしい呪力が開花したそうな。全部五条先生の言い分だから、どこまで真実かはわからないけれど。
「親指や人差し指は使うけど、薬指がなくて困るのは箸を持つときとかそれくらいかな。本のページだって捲れるし、こうやって虎杖くんの頭を撫でることもできる」
野薔薇から借りた雑誌を一度閉じて右手で虎杖くんの頭を撫でる。自分の髪とは異なった少し硬い髪質の頭を撫でながら感触を楽しんでいると、虎杖くんが撫でていたわたしの手を掴んだ。顔は平然としているけれど、耳が赤いのが見えたから照れているのかもしれない。すこしのいたずら心が刺激されて、わたしの手を掴んでいる彼の手を掴み返してそれから互いの小指を絡ませる。
「こうやって、指切りだってできるよ」
「……でも婚約指輪とか結婚指輪はできないじゃん」
「外国では右手につけるところもあるんだって」
「ふーん」
「なに、不貞腐れて。虎杖くんわたしに指輪でも買ってくれるの?」
「いつかね」
「そっかぁ」
なんとなく、好かれているんだろうなぁ、とは思っていた。野薔薇から――あとたまに珍しく伏黒くんからも――交友関係を詮索されることがあったから。後輩たちよ、調査はもっと上手くやったほうがいいよと思ったのは胸の内にしまったままでいる。
あの呪霊はもう居なくなったのに、誰かを好きになる気持ちになれなかった。真希にこの話をすると彼女は脳筋なので鼻で笑われて終わったけれど。真希はおうちを見返すまでは恋愛とかしなさそうだもんな。
「なんで呪霊は左手の薬指だけ持っていったんだろう」
「……さぁね」
どうして左手の薬指に執着していたのかはわからない。もしかしたらわたしと結ばれたいとか思っていたのだろうか。呪霊と生きている人間の間で恋愛が成立するとわたしには思えないけど。乙骨くんは別として。あれはかなりの特殊ケースだと思うんだよね。
「いつかなまえ先輩に指輪あげるから、約束しよ」
「いいのかなぁ」
「なんで」
「虎杖くんの気が変わるかもしれない」
「ないよ」
「ふふ、すごい自信」
こういうことを言い切れるのがまだまだ若いなぁ、と思う。お前が老成しているだけだとパンダくんに言われてしまいそうだけれど。でも、不確かな未来にまっすぐな約束を取り付けようと思えるのは若さだと思うのだ。
「左手貸して」
「うん?」
虎杖くんに言われるままに左手を差し出せば、童話の王子様がお姫様にするように口づけを落とされた。薬指に感触はないけれど、隣の中指と小指に彼の唇の柔い感触があるから、おそらく薬指にしたつもりなのだろう。まさかそんなことをされると思わなくて、頬に熱が集まったのが自分でもわかる。
「約束、忘れないようにおまじない」
「……まさか、ない指に口づけられるとは思わなかったなぁ」
「ないものがあっても、全部好きだからさ」
「ほんと、虎杖くんっていい男だよねぇ」
「惚れ直した?」
「そもそも惚れてないから」
えー、と残念そうな声をあげる虎杖くんから自分の手を引き離して、さきほど閉じた雑誌をもう一度開いてページをぺらりとめくっていく。