※男主
あの腐った屋敷から飛び出して、次にやってきたのはコンクリートジャングルかと思いきや、少し都心から離れた森で。都立呪術高等専門学校はその特異性から市街地から離れた山間にあるのだと、入学してから初めて知った。特に不満等があるわけではない。京都にいたときだって不便さで言うとさして変わらないし、高専の方がまだ都心へのバスが出ているだけマシだと思う。京都にいたときは自由に使える交通手段がなくて困ることが多かった。
「お嬢」
「あ?」
「柄悪く見えるからやめなはれ、っていつも言うとるでしょ」
午前中は座学で、午後は実戦形式での実習。教室に入るなり自分の主人である真希に声をかけると、柄悪く返事をされる。出会ったときから男っぽい態度をなさっていたから、今更言っても意味がないのかもしれないが、言い続けたらいつか変わるかもしれないと思って注意をするのはやめなかった。
「んで、なんだよ」
「俺、今日の午後の授業と明日一日休みますんで」
「あ?任務か?」
「いいえー。お呼び出しですよ、御本家からの」
「お前も可哀想だな」
「そう思うんなら、認められるくらいすごい術師にはよなってくださいよ」
「へーへー」
「そうやってすぐ聞き流すー」
暖簾に腕押しとはまさにこのことだ。聞いているんだかいないんだかの自身の主に、俺言いましたからねー!と声をかけて、自分の席に座る。一時間目はなんの授業だったか。隣の狗巻を見ると国語の教科書を机に置いていたから、おそらく国語なのだろう。同じように教科書と便覧を机の上に取り出した。
本家に呼び出されるというのはこれが初めてではない。真希のことは一切本家に近寄らせないくせに、真希の動向を探ろうと俺のことは否応なしに呼び出すのだから、相変わらず腐っとるなぁ、と思うのだ。素直に認めたったらえぇのに。呪術界というのは年老いてる爺婆様ほど頭が固くてよろしくない。まぁ、そんな連中にぺこぺこと頭を下げることしかできない自分もクソ野郎であることには変わりないが。
一般科目の教員が来るまでこのあとのスケジュールについて考えていると、ぐいっと何者かに耳を引っ張られた。しかも先日開けたばかりのピアスを刺激するように。引っ張られた痛みで思わず顔が歪んで眉間にしわが寄る。誰やの、と思って振り返れば、へそを曲げているらしい真希の姿が視界に映った。こういう子どもっぽいところがたまに出てくるのが、まだまだ子どもだなぁ、とも思うし、そういう風にしてしまったのは自分なので罪悪感はある。
「マールブランシュの茶の菓」
「はいはい。分かっとりますって。お嬢はほんまあそこの菓子好きやなぁ。ほかの甘いのはあんまりやのに」
「忘れんなよ!」
「かしこまりました」
俺たちのやりとりを見ていたパンダがマールブランシュって?と聞いてきたので、京都の有名なお菓子だよ、なんて答えている間に一般科目の教師がやってきた。席について、おとなしく机に向かう。どいつもこいつも素直とちゃうねんなぁ。まぁ、御当主様は真希が奮起しているのをみて面白がっているっぽいけど。
午前の授業を終えて、高専の制服から屋敷でいつも着ている使用人の着物に着替え、帰省の準備を終えてから食堂に向かった。新幹線で食べてもよかったけれど、ガタガタと新幹線の揺れを感じながら食べるのがそこまで好きじゃないのと、高専の食堂の味付けの方が好きだからだ。
食堂に到着すれば、珍しく一年生の面子と俺と乙骨以外の二年生の面子が揃っていた。
「あれ!?みょうじ先輩出かけるの?」
「そんなとこやね」
「着物姿初めて見ました」
「まぁ、洋服の方が動きやすくて楽やしな。高専の制服とかジャージばっかり着てた気するわ」
「そういうちゃんとした格好してたら先輩もまともに見えますね」
辛口評価な釘崎のことは放って置いて、食堂で日替わりメニューを注文する。配膳されたのはアジフライ定食だった。トレーを受け取り、真希たちが座る机に向かえば、空気を読んだ狗巻が真希の隣を開けてくれる。ええやつやなぁ。ガタタ、と音を立てて真希の隣に座れば、相変わらず機嫌が直ってる気配はない。昔はもっと天真爛漫とした感じやった気がするねんけどな。
「お嬢。すぐ帰ってくるさかい」
「……あいつらに余計なこと言うなよ」
「わかっとるて。俺が今までお嬢が不利になるようなことしたことある?」
「ない」
「せやろ?やから大丈夫やって。いつも通りぱぱっと済ませて戻ってくる」
「茶の菓」
「何回も言わんくても忘れてへんて」
真希の形のいい頭をぽんぽん、と数度撫でればようやく元の機嫌に戻ったらしい。ほかの本家の使用人に見られたら身分を弁えなさいと怒鳴られていることだろう。東京校に来てよかったとしみじみと思った。京都校に居たとしたら周りの目も何もかも面倒くさいことは想像するに容易い。あそこは禪院家が侵食しすぎている。
「男なまえ」
「おん?」
そんなことを考えていると名前を呼ばれて、呼んできた真希を見れば、嫌そうな顔をしながら言う。
「行ってこい」
「……行ってきます」
あの屋敷に居たとき、逆のことはよくあったけれど、こうやって真希にいってらっしゃいと言われるのは心地が良いと思う。そろそろ午後の準備をしないと、と言って真希や後輩たちは食堂をあとにした。その背中を見送って、アジフライ定食にありつく。十分ほどで定食を食べ終え、食堂の返却口に食器を返却した。そのときに調理の人たちにごちそうさまでした、と言うのは忘れない。
少しの着替えを詰め込んだボストンバッグを肩から掛けて高専を出る。高専のロータリーのバス停でバスが来るのを待った。時計で時刻を確認するとあと十分ほどで定期便が来るはずだが、一服するくらいの余裕はありそうだ。袖に入れてあったハードボックスの煙草とライターを取り出す。一本取り出して口に含み、ライターで火をつけた。か細い煙が出たのを確認して煙草とライターを袖にしまう。
「不良はっけーん」
「あ゛?」
人がいない静かな空間に突如明るいおちゃらけた声が聞こえて、条件反射にあおるような返事をしてしまう。昔の名残がたまに出てきてしまうからいけない。
「男なまえさ、真希に口悪いって怒るけどオマエのせいじゃないの」
「分かってるから注意してるんですよ、五条先生」
「そう。あぁ、これから京都だっけ。大変だね直系のお付きは」
「まぁ、自分が好きでやってることやし」
「健気だ。さすがみょうじ家の人間」
五条先生の言葉に俺はあいまいな笑みを返すことしかできない。
自身が真希の付き人になったのはもうだいぶ昔の記憶だ。真希が小学校だかに上がってすぐか、二年生に進級したころだったと思う。俺は孤児でホームレスのような生活をしていたときに今の保護者であるじい様に拾われた。じい様には孫がおらず、このままでは禪院家の付き人というポジションを守っていたみょうじ家が終わってしまうことを危惧していて。そんな折にみょうじ家の前にぶっ倒れてた俺を拾って自分の後継とした。じい様の子どもである俺の兄――俺を養子にする際、じい様は自分の子どもの子どもではなく、自分の子どもとして迎え入れた――の立場の人間は、呪霊が見えなかったし術式が使えなかったのだ。そんな人間が禪院家に仕えることができてもせいぜい下働きで。みょうじ家の立場を失いたくなかったじい様はどこの馬の骨ともわからない俺を呪霊が見えるし術式も使えるという理由だけで引き取った。食いっぱぐれたくない幼い俺からしたら神様のようなひとだ。
「気を付けてね」
「えぇ。お気遣いおおきに」
口に含んでいた煙草が残り少なくなったので、口から離して地面落とし、かかとですり潰して火を消した。五条先生は煙草を取り上げるでもなくそのままじゃあ、僕授業あるから、と校舎に戻っていく。何しに来たんだかあのひと。
遠くから聞こえてきたバスの走行音でもうすぐこちらにやってくるのだと理解した。三分ほど経過したころには目の前にバスが停まったので、乗り込んで運賃を払う。空席だらけの座席の中で一番後ろの端っこに座り、ボストンバッグを抱きかかえた。発車したバスの窓から外の景色に視線を移す。窓に反射した自分の姿を見て、耳から血が出ていることに気づいた。五条先生教えてくれてもよかったんちゃうんか。袖に手を突っ込んでポケットティッシュを手探りし、それっぽいのを出せば予想通りポケットティッシュだった。一枚取り出し、血が出ている右耳のピアスに当てる。さっき真希に引っ張られたせいで血が出たのだろう。
このピアスは二年に進級すると同時に真希に開けてもらったものだ。自分で開けようとしているところを真希に見つかって、なら自分が開けると主張したので言う通りに開けさせた。開けてから二ヶ月ほど経つのに一向にホールが安定する気配がないのは、彼女がことあるごとに引っ張っているからだろう。禪院の本家からなにかアクションがある度に彼女はこのピアスを触ってきた。まるで俺の存在を確かめているように感じる。そんなことしなくても、真依よりも真希を選んだんだから今更裏切ったりするわけないのに。