※男主
ひとが死ぬときというのは、もっと劇的なものだと思っていた。けれど、実際のところはそんなことはないようで。その日は十連勤明けで一日休みのはずだった。連勤の最後にアイヌの呪霊連合に顔を出すというクソみたいなイベントをブッ込まれ、仙台の出張からそのまま道入し、か細くなっていた神経がさらに擦り減ったところだ。
アイヌのおっさんたちは相変わらず本島で起こっていることには我関せずのくせして、自分たちに危険が及ぶことがないように情報を探ることには余念がないのでたちが悪い。五条への愚痴を永遠に聞かせられて神経が擦り減らないほうがおかしいだろう。
「あ゛ー……きもちいー……」
アイヌのおっさんどもの相手がようやく終わって、空港に早々に向かう。用意されたチケットを空港で受け取ってそのまま土産を物色した。甘いものは苦手な彼女のために甘すぎず、作業の合間に食べられそうな個別包装のものを探す。
土産も購入し終わり、搭乗手続きをして機内に乗り込んだ。変にハイになっている脳を鎮めるために蒸気で温めるアイマスクをして座席に座る。後ろにひとが乗り込んできたらと思おうと、リクライニングは倒せなかった。
成田空港で降りたって――ここで羽田で降りる飛行機のチケットを手配してくれない辺りに自分のポジションを自覚せざるを得ない――、迎えに来てくれていた伊地知の運転する車に乗り込んだ。しばらく伊地知の心地のいい運転の車に揺られていると、持っていたガラケーが震える。微睡に身を委ねようとしたところに水を差されてなんとも言えない気分になった。不機嫌を隠さずに、ぱかり、と携帯電話を開けると呼び出してきた人間の名前が目に入った。思わずため息が出てしまうのは許されたいと思う。
「はい、みょうじです」
「 男なまえか。今戻ってきているところだな? 」
「はい。なんですか、夜蛾センセー」
「 渋谷に二級の呪霊が一体出た。お前に対処を任せたい 」
「えー、五条とかの方が近いんじゃないですか?」
「 生憎、悟は出張で九州だ 」
「へーへー。最強様はお忙しいですねぇ」
「 場所はこれからメールで送る。頼んだぞ 」
「はあい」
言葉の応酬が終わるころにはさきほどは感じなかった疲労感が身を襲う。はぁ、このまま家に帰って眠れると思っていたのになあ。ひとが居ないからって働かせすぎじゃない?悪徳企業かよ。
「いじちー」
「はい」
「渋谷で降ろして。任務が入った」
「わかりました」
二級が一体ならまぁこの眠気に負けそうになっている身体でもなんとかなるだろう。呪力はまだ残っているし。
「あーあ。硝子ちゃんにお土産持って行きたかったのになぁ」
「なに買われたんですか?」
「六花亭のバターサンド」
「あぁ、あの高いやつ」
「それ」
「ほんとみょうじさんって家入さんのこと好きですよね」
「好きだよー。硝子ちゃんは絶対に俺のことを好きにならないからね」
「はぁ、」
バックミラー越しに不思議そうな視線を寄越してくる伊地知には気づいかないふりをして、窓の外に視線を向ける。高速に乗ったため、代わり映えのしないコンクリートの壁と追い越していく車だけが目に映った。
首都高を走っていた車が渋谷に到着するなり、スクランブル交差点で降ろされる夜蛾センセーから届いていたメールに記載されていた住所に向かって歩いて行った。駅前から少しいけば、代々木公園が見えてきて。近づくたびに呪霊の気配が強くなっていくのを感じる。ううん、この強さ的に本当に二級か?と思わなくはない。
伊地知に見送られて周囲に帳を降ろされる。呪具を手に取って呪霊の気配が強い場所を目指し足を進めていけば、形容し難いほど悍しい容貌をした呪霊の姿が目に留まった。
呻くようになにか囁いている呪霊の声を無視して、出会い頭に愛用の呪具である散弾銃に呪力を流し込んで呪術を撃ち込む。
不快な音が耳を刺激して呪霊に呪術が当たったのを確認した。消滅していく呪霊を眺めながらその場に蹲る。流石に十連勤からの任務はきつい。
「あー、伊地知に連絡して帳を上げてもらわない」
と、と紡ごうとした言葉は音にならなかった。空気だけが口から漏れ出る。心臓に衝撃を受けて、それから痛みと赤いもの。
「ぁ゛ッ」
ごふっ、と口からも赤いそれが飛び出した。視線を自分の首から下に降ろせば、心臓に穴が開いているのが目に入る。どうやらしくじってしまったらしい。だから連勤はろくでもねぇ。生きて帰れたら絶対に上の人間を訴えてやるからな、と呪術連合への恨み節を唱えることも忘れない。このあと硝子の元に行くという使命があるのに、それを阻止する奴は須く死んでほしいなぁ。
周囲に視線を動かせば、さきほど祓った呪霊とは違う呪霊がいるのがわかった。そうか、こいつか、俺の心臓を盗ったのは。
呪霊はまだどくどくと動いている俺の心臓を手に持っていて、もう握り潰す直前と言ったところだった。
「ちくしょっ」
俺の反応を楽しんでいるのか、心臓を掴んでいるそいつはニタリ、と不気味な表情を浮かべる。笑っているのか身体を震わせて、それから心臓に力を入れた。ぐちゃり、と握りつぶされたそれを見ていることしか出来なかった。あるはずの器官がなくなった身体から力が抜けて仰向けにその場に倒れ込んだ。ヒュー、だのゼー、だの喘鳴に近い呼吸をすることしかできない。
「男なまえ!」
聞こえたのは、だれの声だっただろうか。遠のいていく意識で想ったのは硝子ちゃんに六花亭のバターサンドを渡せなかったなぁ、とかそんな他愛もないことだった。
次に目を覚ませば、そこは見慣れた高専の手術室で。目の前には泣きそうな好きな人がいた。
「しょぉこ、ちゃ、ん」
「しゃべるな。みょうじ」
「おれさ、しょ、こ、ちゃん、のこと、すき、だ、よ」
「……知ってる」
「し……ってる、か」
「君はわたしのことばかりだからな」
「そ……、か、な」
「そうだよ」
こんな風に言われてしまうと愛用している呪具を選んだ理由すらもバレていそうだなぁと思う。きみの名前に通じるものがあるから、この呪具を選んだと言えばまた呆れたように笑うかな。それとも少しは照れたりしてくれるのかな。
「も、ぅ……たすか、ら、ない……んで、しょ」
「……今は人口心肺を君に繋いでいる」
「じゃぁ、もぅ、む、り……だね……」
学生時代に彼女と話したことを思い出す。硝子の反転術式は傷ついた臓器を癒すことはできるけれど、無くなった臓器を生成することはできない。だから今、心臓という臓器自体がない俺を救う方法はないんだと理解するのは容易いことだ。誰かを看取るたびに内心傷ついていることを知っていたから、どうか俺だけは君の前で死なないで居ようと決めていたのに。死ぬなら現場で跡形もなく死にたかったなぁ。
「みょうじ、」
俺の名前を読んだ硝子の表情から嗚呼、終わりが見えたなぁと思ってしまったのだ。他人の命の終焉というものは斯くも儚く呆気のないものだと知りたくもなかった。
油断していた己が悪いと言われてしまえば、ぐうの音も出ないが。二級が二体もいるなんて思わねーよくそが。
「しぬなッ」
いつもはどこか達観として落ち着きのあるきみが俺という瑣末な存在に感情を揺さぶられているという現実に、淡くて暗い感情を覚える。少しは硝子の心の中に棲むことができていたんだろうか。そうだったらうれしいと思う。
「しょうこ、」
最後の力を振り絞って彼女の頬に触れる。いつもは俺よりも低い体温だと思っていたのに、今の彼女は俺の指先よりも温かい。
「すきだよ」
そして意識はそこで終わりを迎えて暗転する。