※男主
なんとなく、あの男は死なないものだと思っていた。
出会ったときから五条や夏油とは方向性の異なる変な人間で、そんな彼が嫌いだったことは一度もない。
軽口で愛を囁いてくることに対していささか思う所がないわけではないが、まぁ一種の愛情表現なのだろうと思えば受け流すことはできた。彼の愛は軽いようで重い。
呪術界において、明日も生きているという保証はどこにもない。なんなら、昨日まで笑い合っていた後輩が次の日には死体として目の前に現れることもざらにある。
そんな中、みょうじ男なまえという男は死なないとどこかで思い込んでいた。五条や夏油に比べると二級のまま普通に呪術師として生きている彼の任務は危険度が二人よりも低いものだし、いつも五条とは違った意味で飄々としていたから、彼は死から遠い人間だと勝手に認識して。
明日もくだらない愛を囁いてくるのだろう、とそう思い込んでいた。
そんな男が、目の前で横たわっている。
本来ならば心臓があるはずの場所に、拳より一回り大きい穴がぽっかりと開いていた。
さきほどまであったか細い息も聞こえて来ることはなく、手を尽くす前にすべて終わってしまって。自分の術式はやはり無力だと久しぶりに見せつけられる。
この男は死なないと思っていたのだ。だって、いつもそういう雰囲気だったから。死というものは彼には全然似合わなくて。普通の呪術師であればどことなく死に近い独特な雰囲気をみんな宿らせている。けれど、みょうじにはそれがなかった。そのせいというのは間違いだと分かっているけれど、彼が死ぬとは微塵も考えていなかった。
高専に来たときには身内がいなかったみょうじの遺体は、引き取りにくる人間もおらず、夜蛾先生が懇意にしているの火葬場で処理された。
煙突から煙がたなびいていくのが目に入る。悲しいも辛いもなんの感情も浮かばなかった。そこにあるのは〝無〟だけだ。
「硝子」
「五条」
ぼうっと煙突から出てくる煙を眺めていると背後から声をかけられ、振り返れば見慣れた同級生の姿。みょうじを連れてきてくれたのは五条で、みょうじを襲った呪霊はその場で祓ったらしい。
「僕たちだけになっちゃったね」
「そうだな」
「あ、これ。伊地知から預かった」
「なに、」
隣に並んだ五条に差し出されたのは北海道では有名な銘菓の紙袋で。紙袋を受け取り中を見れば、甘いものが得意ではない私でもまぁ食べられなくはない代物だ。いつか買ってきたときにこれならば嫌いじゃない、と溢していたのをしっかりと聞いていたらしい。
「現場に送ったのが伊地知だったんだって。そのときに硝子に渡すんだって話してたってさ」
「そう」
まさか渡される遺品がお菓子だとは考え付かなかった。最後の最後まで死を感じさせない男だと思う。
そういうところが、嫌いじゃなかったけれど。明日にもひょっこりと姿を見せて声をかけてきそうだ、と思ったところで、そんな現実が有り得ないことを自覚して頭を振る。
「先生が遺骨はどうする?ってお前持っとく?」
「いらない」
「わかった。散骨までしてって伝えとく」
「ん」
みょうじとは別に恋人でもなんでもなかった。愛を囁く人間と囁かれる人間。ただそれだけだ。
彼に恋をしていたと思う瞬間は一分一秒もなかったし、親愛の感情ならあったかもしれないが、それも同じ時間を過ごした仲間だという意識が強い。
だから周囲にそんな風に扱われても困るのだ。
喪服のポケットから煙草とライターを取り出し、煙草の箱から一本取り出す。それからライターに持ち替えて、取り出した煙草に火をつけた。
「男なまえも辞めたらって言ってたから辞めたらいいのに」
「いいんだよ。これで最後だから」
ふうん、と興味がないとでも言うような返事をして、五条はもう行くから、と一言残してその場を後にした。
再びぼんやりと煙突を眺めると煙が一旦なくなっている。次に燃やされるのが彼なのだろうか。
出会ったときには硝子に対してもじもじとどこか遠慮した態度だったみょうじとの距離が近くなったのは、彼が任務で大怪我をして帰ってきたときのことだ。そのときはまだ三級で、まだそこまで難しい任務にも関わっていなかったのに、今回のように引きが悪くて自分の階級より上のレベルの呪霊に遭遇した。それで大怪我を負って高専に運び込まれたのを覚えている。
「ごめんね、家入さん」
「構わないよ。私の術式の練習にもなるし」
「そう言ってもらえるとありがたい」
「君はなんていうか、ドジだな」
「はは、そうかもしれない」
「何か焦ってる?」
その言葉を発したのはなんとなくだった。
「なんで?」
硝子の言葉に感情を失ったように静かな視線を返した。いつもどこか飄々とした雰囲気を纏っている彼とは異なる静寂のような雰囲気を纏わらせたことで、言葉を迷う。
「どこか、焦っているように、見える」
探るように言葉を紡げば大きなため息を吐かれた。
「やだなぁ。見透かされてて」
困ったように笑ってそういったみょうじは人間らしいと思った。
「五条とかさ、夏油がすごいやつじゃん?」
だから、置いてかれたらだめだって焦っちゃって、と言葉を続けた。言いたいことはわかる。五条も夏油も二級呪術師として同年代の中では飛び抜けた実力を持っていた。硝子も同じような方向性の術式を使う立場であったなら、きっと焦りを感じていたと思う。
「君は君のままでいいんじゃないか?」
「そうかなぁ」
「同じ立場じゃない人間と比べて自分を過小評価するのは良くないよ。きっと君も経験を積んだら彼らに追いつけるよ」
「だといいけど。うん、でも、ありがとう」
さきほどまで浮かべていた困った笑みじゃなくて、穏やかに笑う顔を初めて見た気がした。こころの奥が少しあたたかくなったような気がするが、気のせいだろう。
「硝子ちゃん、」
「なんだ?」
「って、呼んでもいい?」
「ふは、好きにしなよ」
「うん、好きにする」
それからしばらくして感情表現がまぁまぁ豊かになったみょうじは硝子に愛を囁くようになった。
けれど、そこに恋情が乗っていないのは明白で。子どもが母親に愛を伝えるようなもののように受け取っていた。彼も硝子に感情を返してほしいとは思っていないようだったし、五条や夏油は二人のやりとりを見てもまたやってる、と笑っているだけだ。
甘い関係ではなかったし、苦い関係でもなかった。穏やかで、透明な関係だったと思う。
居なくても困らないけれど居ると少し穏やかな気持ちになれる、そんな存在だった。
彼が他人に意見をすることは余りなくて、そんな彼が一度だけ硝子に苦言を呈したことがある。同じ任務にあたり、帰りに喫煙所に寄らせてもらって一服していると、そんな硝子の姿を見ながらなんでもないように言った。
「硝子ちゃん煙草吸うの辞めたらいいのに」
「君に迷惑はかけてないだろ」
「硝子ちゃん自身の身体に毒って話」
「いいんだよ」
「えー」
そんな会話をしたのももう遠い過去のことだ。若いうちから煙草を吸うと将来の死亡率が、なんてどこで聞き齧ったのかわからない知識をうだうだと言ってくるみょうじの顔に煙を吹きかけてやる。そうすると咽せてしばらく黙るので、黙らせるためによく使う手のひとつだった。
「硝子ちゃんの副流煙に殺される」
「本望だろ?」
「そうだね」
即座に肯定の解答をされて思わず閉口してしまう。彼は彼でどうしようもないくらい馬鹿な人間だと思った。
その後、一応みょうじがうるさかったから一日五本吸っていた煙草を三本にまでは減らしたのだ。禁煙する気は毛頭なかったけれど、本数くらいは減らしてやるか、と硝子なりの譲歩だった。
しかし、もう硝子の身体を気遣って喫煙を注意する人間もいない。
「君が居なくなったら誰も止めてくれないのにな」
一本丸々吸い終わって、吸い殻を地面に落とし靴で踏んで火を消す。残っている煙草ごと箱を握り潰して、ライターと一緒に近くのゴミ箱に捨てた。