誰にもあげたくないのに

※「ふるえるまぶたが願うもの」の五条サイド

大人が入れ替わり立ち代わり目の前に現れるのはいつものことだった。その日もよく知らない大人たちにへこへこと頭を下げられながら、くだらない時間だな、と考えていると、頭を下げてくる大人たちの後ろから同い年っぽい顔が整っている女の子が姿を見せる。緊張しているのか、頬が赤くなっていて。まるで先日世話係に見せてもらった金魚のようだと思った。
女の子は彼女の親らしい大人に背中を押されてもじもじと指先を遊ばせながら近づいてくる。じっといじらしい姿を見つめていると、おそるおそるといった様子でやおら視線を上げた。

「あなたが悟さま?」
「だれだよ、お前」
なまえ
なまえ?」
「うん」

こくり、と頷きをひとつ返してきたが、そのあとなにかが続くわけでもなかった。どうしたものか、と思考を巡らせていると、世話係でふたりで遊んできたらどうですか、と声をかけてくる。同い年の子どもと遊ぶことなんて――しかも異性など余計に――滅多にないので正直扱いに困った。とりあえず目の前でもじもじとしたままのなまえの手を取って外に連れ出す。

「どこいくの?」
「庭」

掴んだでをぐいぐいと引っ張って、自身が気に入っている庭に到着する頃にはなまえの息が上がっていた。つらかったなら言えばいいのに、と口に出そうとして、頭を振ってやめる。おそらく彼女も口酸っぱく逆らうな、と言われていることだろう。一応異性には優しくしてやろうと思って、声をかけた。

「だいじょうぶか」
「だいじょうぶ、です」

すーはー、と何度も呼吸をして身体を落ち着けている彼女を見る。自分と同じようなサイズの人間には初めて会ったな、と気づいた。基本的に家から出ることを許されない立場ではあるので、関わる人間は自分よりも大人に限られる。彼女の両親が気を利かせて彼女を連れてきたのか、俺に取り入る隙を見つけたくて彼女を連れてきたのかはわからないが、おそらく後者だと考えるのが妥当な気がした。彼女自身はただ同い年の子どもと遊ぶとでも言われて連れてこられたのだろうが。

「おちついた?」
「もうだいじょうぶ。ありがとうございます」
「そんな話し方じゃなくていいのに」
「でもお父さんとお母さんが目上のひとだからちゃんとしなきゃだめって」
「いいから。俺とお前これからともだちな」
「ともだち?」
「そう」
「わかった!」

呼吸が落ち着いたところで声をかけると問題ない、と言葉が返ってくる。ついでに話し方が気に入らないので辞めさせることにした。やっぱり両親に言われていたようで。これから友だちな、と言うと彼女の眼が嬉しそうにらんらんと輝いて嬉しそうに笑う。

「ここで遊ぶの?」
「そう。見てろよ」

庭にある桜の木に登る。春はとうの昔に過ぎ去ってしまったので、今は緑が生い茂るだたの木になっていた。枝をひとつひとつ掴んでどんどん上に登っていく。たまに地面を見下ろして、なまえの方を見るとはらはらとして俺を見ているのが分かった。別にいつもやってることだから大丈夫だっての。

「悟くん、あぶないよ」
「だいじょうぶだって」

ある程度の高さまで来たところで身体の向きを変えようとする。すると、ずるっと足を滑らせて木から落ちた。身体を地面に打ち付けて痛いという感情しか考えられなくなっているところに、泣きそうななまえの声が聞こえてくる。

「悟くん?!だいじょうぶ!?」
「いってぇ」

そのまま地面にうずくまっていると、なまえが焦ったように大人を呼びに行ったのか足音が遠のいていくのが分かった。変なところを打ったのか変な汗が背中を伝っていてちょっとやばいかもな、なんて意識が薄れていく中で思う。
結局、まぁまぁ大怪我を負っていた。その後、木登りをすることは禁止とされることになったのは仕方のないことだろう。なまえに礼を言おうと思って彼女のことを世話係に聞こうとすると、こちらの方から伝えてきますから、と直接会うことは叶わなかった。

▽ ▽ ▽

「いい加減素直になったらどうなんだ?」
「俺は素直だけど?」
「本当にそう思っているのか?」
「は?」

一触即発、とでも形容されそうな殺伐とした雰囲気が傑との間に漂う。傑が言わんとしていることはわかっていた。しかし、こちらから彼女に近づこうにも避けられているのだからどうしようもないのだ。

「あんまり空気が悪いままだと勉学にも支障が出るから、ほどほどに仲直りしてくれよ」
「わぁーってるよ」

彼女――なまえに再会したのは呪術高専に入学してからのことだ。登校初日に俺を避けるように端の席に座った彼女は、最後に会ったときよりもずっと綺麗に成長していた。昔の面影を残しつつ大人の美しい女性になりつつある彼女の姿に目を惹かれたのが正直なところで。幼いときも顔が整っているとは思っていたが、大人になると美しさが完成しているように感じる。じっと彼女を初対面のときのように見つめていると、嫌そうな顔をされて視線を逸らされた。それに僅かな苛立ちを覚える。

なまえ、だよな?」
「お久しぶりですね、五条さん」
「……その話し方やめろって言っただろ」

授業が終わるなり出て行こうとするなまえを捕まえて話しかけた。嫌そうな雰囲気を隠すことなく表に出してくる彼女に違和感を覚えながら、以前と同じ注意をする。

「で、なに」
「いや、久しぶりに会えたから声かけただけ。あのあと全然会わなかったし。元気だったか?」

悟としてはただ単に世間話をしたつもりだった。幼少期の自分の失態のフォローの礼を伝えたかったのもあるが。なにも彼女の琴線に触れるようなことをした覚えはないのに、目の前の彼女は怒りを露わにしていた。

「ほんと、反吐が出る」
「は?」
「あんたみたいなやつが一番嫌いって話」

強い負の感情を向けられているのが分かる。そんな感情を向けられる覚えは全くなくて。かみ合わない会話のまま、なまえは不機嫌を隠さずに腕を放して、逃げるようにどこかへ行ってしまった。

「なんなんだよ」

独り言ちた言葉は誰に聞かれるわけでもなく空気に溶けて消えた。

変わってしまった彼女の素行に目を光らせていると、朝帰りは多いしときたま香水臭いこともある。その理由を断片的にではあるが硝子から聞かせられたときに、自分にできることはなにもないのだと見せつけられただけだった。特殊な術式を持つ彼女が夜の街でなにをしているのか知ったときは反吐が出る、と嫌悪感を覚えたが。それを硝子に言えば仕方のないことだし悟には関係のないことでしょ、と咎められて、それ以上なにも言えなかった。
和解をしようにも向こうがこちらを嫌っているので、手の施しようがない。どんな風に言葉をかければ彼女に届くのか全くわからないのだ。
異性と接触していなきゃいけないなら俺でいいだろ、と思ったのは一度や二度じゃない。

「だったらそれを伝えればいいんじゃないか?」
「はぁ?」
「悟は自分の感情に鈍いのかあえて気づかないふりをしているのかわからないけれど、素直にならないとなまえはこのまま悪い方向に転がっていくだけだろうね」
「どういうことだよ」
「なんで自分でいいだろって思うのか、そこを考えたらどうだ?」

和解を促し続ける傑に自分の胸中を語れば、そんな発言で会話を締められた。なんで俺でいいだろ、って思うかなんて考えたこともなかったことに気づく。最初はただのクラスメイト兼昔馴染みだからかと思ったが、なまえがよく知らないおっさんったちと夜を過ごしているところを想像すると我慢ならなかった。幼いときの眼を輝かせていた愛らしさが脳裏に焼き付いていて、それに囚われていることを自覚する。今更気づくとか馬鹿すぎ、と自分の愚かさを嗤った。俺ならもっと大事にしてやれるし、呪力を分け与えることだってできるのだ。なまえに自分を選ばせるにはどうしたらいいのか考えるところから始める。

「まずは好きだって伝えるところからかな」

自分の想いが彼女にすぐに届くとは思っていない。長期戦になるのは目に見えている。でも、負けるつもりも逃がすつもりも毛頭ない。ほしいと思ったものは手に入れる、という考えしか今のところ浮かばなかった。自分の手中に収めた彼女があのころと同じように笑ってくれたら、ほかに言うことはないんだけど。それは気が遠くなるほど先の話だろう。