心音再生

※「誰にもあげたくないのに」のつづき

最近、五条の様子がおかしい。今までわたしに対して侮蔑の視線を向けることが多かったのに、近頃はそうではないようで。やたらと食事や遊びに誘われるし、寮や食堂でも絡まれる。絡まれ方も前のように嫌な感じではなく、普通に同級生のような扱いで急な態度の変化に違和感を覚えた。

「硝子ちゃあん」
「なに、また五条に絡まれたの」

五条に絡まれたあとのわたしが硝子ちゃんの部屋の前まで行って声をかけると、彼女の部屋に暖かく迎え入れられる。視線が生暖かい気がするのは気のせいだと思うので頭の片隅にその考えは追いやった。最近夏油も硝子ちゃんもなんなら七海くんすら謎の視線をわたしに向けてくるから困る。なんなんだ、一体みんなして。
硝子ちゃんの部屋はわたしの部屋よりも殺風景だ。無駄がないと言えばそれまでだけれど。最低限の必要なものだけ揃えられ、余計なものを置いていない彼女の部屋に、わたしが外に遊びに行ってきた際に取ってきたぬいぐるみを我が物顔で置いている。アンバランスな雰囲気があるかもしれないが、それには気づかないふりをしておいた。耳の長いうさぎの大きめのぬいぐるみを抱きしめて硝子ちゃんのベッドにゴロンと寝転がる。ファンデーションがベッドにつくからやめて、と怒られたので渋々身体を起こしてベッドに腰掛けた。ピンクにブラウンの模様が入ったうさぎのぬいぐるみの耳をパタパタと動かしながら、うんうん唸っていると硝子ちゃんが部屋の窓を開ける。タバコを吸うらしい。名前も知らないおっさんたちと夜を過ごすことが多いから、別にタバコの匂いは気にならない。硝子ちゃんのタバコはチョコレートみたいに甘い香りがして好きだ。確かマルボロのブラックメンソールだと以前聞いたように思う。過去にかかわったことのあるおっさんたちが大体マイセンやセッタだった。

「最近の五条どうしたの?頭でも打った?」
「私からは何も言えないかな」
「……ってことは、何か知ってるってこと?」
「さぁどうでしょう」

煙草の煙をふかしている硝子ちゃんが窓際においてある椅子に座って吐く息だけを外に流す。外は軽く風が吹いていたようで、彼女の顎のラインで整えられている髪を撫でた。わたしも硝子ちゃんみたいに短くしようかなぁ、なんて現実逃避をする。

「五条に絡まれるのが嫌なの?」
「五条に絡まれて外に行けないのがいやなの」

五条に絡まれるようになってから、夜の任務がやたらと入るようになった。五条とペアだったり夏油とペアだったり。まるで見張られているようで気分が悪い。おかげで夜遊びもできなくてわたしの中の呪霊の強さが何も変わらないままだ。呪霊を取り込んで、取り込まれた呪霊はわたしの中で蠱毒の生き物のように共食いを始める。そして最後に残った呪霊は一番強力な呪霊に変化するのだ。ここ数週間はその新しい呪霊の収集に行けて居ないのが現状で。おかげで体内に留まっている呪霊の強さが更新されることなく、もう何ヶ月も同じ強さのままを保っている。このままでは二級止まりの任務しか受けることができない。一応登録は準一級なのに。任務なんて今までなかっただけに、五条の手回しを感じる。

「別におっさんたちと寝なくなったんだからよくない?」
「でもこのままだと行ける任務が限られるし、なんかの任務で呪霊が負けたらわたしが終わるんだけど」
「五条や夏油がいるから大丈夫でしょ」

なんでもないようにけろり、と言ってのける硝子ちゃんの言葉にぐっと口を噤んでしまう。それはその通りなのだ。二級の任務でも夏油や五条が同伴なので基本的に危ない場面にあうことはない。でもそれはそれでどうなのよ、と思う自分もいるわけで。おっさんたちと夜を過ごさなくなったことで確かに精神衛生面ではとても穏やかに過ごせているとは思う。実際、顔色の悪さもマシになった、と歌姫先輩に言われたばかりだ。
良いことはあるが、悪いこともなくはない。体内に閉じ込めている呪霊が暴れて仕方がない状況で。強さを更新しないことで最後に取り込んだ呪霊がわたしを飲み込もうとしているのだ。こういうのを避けるために呪霊の収集を行っていたわけで。あまり長く同じ呪霊を体内に取り込んでいると、わたしの呪力が弱まったときに乗っ取られかねないという不安は残る。体内に呪霊と閉じ込めるということはそれなりに呪力を消費するのだ。蠱毒の真似事をしている間は呪霊たちも生き延びるのに必死でなまえのことを気にする呪霊は少ない。けれど、ひとつの呪霊がトップとなり、それがずっと身体の中で居座り続けると自我が芽生え術者の身体を乗っ取ろうとするのだ。実際、中学生の頃に一度呪霊に身体を乗っ取られかけた。そのときは父が側にいたので事なきを得たが、今同じ状況になって対処できるかどうかはわからない。

「わたし、呪術師向いてないのかなぁ」
「まぁ、性格的にはそこまで向いてないと思うよ。五条の言葉を借りるならなまえはイカレてるんじゃなくて、イカレてる環境に生まれたから耐性があるだけでしょ」
「確かにそうかも」

硝子ちゃんの言い分は一理ある。わたし単体で見ればそこまでイカレてはないと思う。どちらかと言うと自分は後輩の灰原くんとかみたいにあっちよりの人間だろうな、と自負している。そもそも五条や夏油、硝子ちゃんの同級生たちがイカレてるだけだ。

「また今日も任務でしょ。気をつけなね」
「うん」

うさぎの人形を抱いたまま、この話は終わらせて課題の話に話題を変えた。今日も二十一時から任務が入っている。場所は神奈川だと聞いているので、補助監督が送り迎えをしてくれるだろう。二十時には硝子ちゃんの部屋を後にして自室に戻り、任務に行くための準備をする。

二十一時に正面ロータリーに集合、という話だったので時間の五分前に指定された場所に行けば、すでに今日の同伴者が到着しているようだった。すらりとした高い身長に真珠色の髪色が目に入る。今日の付き添いはどうやら彼らしい。

なまえ、遅いよ」
「まだ時間じゃないでしょ」
「五分前行動って先生よく言ってんじゃん」
「うるさい」

会話だけ聞けば本当にただの同級生のように錯覚せざるを得ない。彼がどういう考えで接しているのかはわたしにわかるわけはないが、距離は保っているから大丈夫だろう。初めて会ったときのような距離感に戸惑いと居心地の悪さを覚えて仕方がないが、わたしも我慢することを覚えた。
運転を担当してくれる補助監督が遅れてやってきてそのまま車に乗るように言われる。いうことを聞いて五条と一緒に後部座席に乗り込んだ。ここから都道を使って目的地である峠に向かう。車に揺られること一時間と三十分。目的地の峠に到着した。補助監督の説明によると元々、心霊スポットとして有名な場所であるらしいが、特に行方不明者などが出ていたわけではないらしい。ところが、ここ一ヶ月の間に十人行方不明者が出ているのだという。被害者はみんなこの峠に肝試しに行くと言って姿をくらましているそうで。おそらく呪霊が絡んでいると見込んで、補助監督が事前調査を行ったところ黒であることが分かったらしい。おそらく二級レベルの呪霊なので、なまえに任務が回ってきたわけだ。
補助監督が帳を下ろしたのを確認し、呪霊の発現を確認できている場所に向かえばすでに禍々しい雰囲気を漂わせており、呪霊の気配も強く感じる。本体はどこか探るように視線を周囲に巡らせるとより一層気配が強い箇所があるので、そちらに近づいていった。距離を一歩また一歩と詰めていくと、ゆらり、と空気が揺れる。うめき声と共に呪霊が姿を現した。芋虫のような形状に目は八つ。身体の側面からは今まで被害にあったであろう人間の腕や足などが飛び出ているようだ。

「キッモ」
「ほんとにな。俺は見てるだけだから」
「わかってるわよ」

攻撃を仕掛けるために体内に閉じ込めている呪霊を顕現させる。呪力で手持ちの呪霊を支配してコントロールをし、目の前の芋虫のような呪霊に攻撃を放った。攻撃は効いているようで、芋虫の呪霊の動きが鈍くなる。このまま止めを刺してしまおう、と何度か攻撃を重ねていると、急に呪力でのコントロールが効かなくなった。呪霊はわたしに向かって攻撃を放ってくる。それをなんとか避けて、再び呪霊を支配しようと呪力を込めても手ごたえがない。――まさか呪力が切れたか。
こちらの状況を把握したらしい手持ちの呪霊がわたしに向かっていくつも攻撃をしてくると同時に、今回の任務の対象である芋虫の呪霊もいつの間に回復したのかわたしに向かってくる。だから、夜遊びはやめたくなかったのに。こんなことになるなら任務をサボってでも夜の街に繰り出すべきだったな、と思っていると、芋虫の呪霊が目の前ではじけ飛んで消えた。この消滅の仕方をするのはひとつの術式しか思いつかない。

「なにやってんの」
「五条、」

背後から声をかけられて、振り返れば呆れた表情を浮かべる五条。そのまま目の前の彼はわたしの使役する呪霊まで五条の術式で消滅させてしまった。呪霊がいなくなったことで身体への負担は軽減され身体が軽くなったが、術師としては丸腰状態になってしまう。自分を常に守っていた壁のようなものを失ってしまって不安が胸を駆け巡った。

「いつもならこんなのすぐに祓えるじゃん」
「……呪力が切れたのよ」
「はぁ?間抜けかよ」

言われた言葉に反抗する言葉は持ち合わせていないので、ぐうの音も出せない。けれど、そもそも呪霊収集の邪魔をしてきたのは五条なわけで。怒りがふつふつと自分に湧き上がってくるのが分かる。

「五条がわたしの夜のあれを邪魔しなかったらこんなことになってないんだけど?」
「俺のせいにするなよ。お前の実力不足じゃん」
「わたしの術式がどういう仕組みかも知らないくせに」
「知ってるよ」

五条の回答にぴたり、と自分の動きが止まった。知っている、と言ったのかこの男は。わたしから話したことは当たり前だがない。あと詳細を知っているのは硝子ちゃんと近しい親戚だけだ。硝子ちゃんが五条のことを嫌っているわたしの術式をばらすとは思えない。――と、なると実家か。

「父に聞いたの?それとも叔父?」
「お、大正解。なまえの叔父さんに聞いたら教えてくれたよ」

こういうとき、五条家の傍流である自分の家柄が憎い。ご本家に言われたらぺらぺらと話す口の軽い身内に腹が立つ。よくもあんなおぞましい術式の詳細をこいつに話してくれたもんだ。

「おめでとう。これでなまえの中の呪霊がいなくなったね」
「……はぁ?」

にこやかに、嬉しそうに、愉快そうに笑う五条が言った言葉を理解できなくて、条件反射に言葉を返す。

「俺が今日を待ってたって言ったらどうする?」
「最低」

待ってたってなんなんだ。何を待ってたというんだ。わたしの中から呪霊がなくなることを待ってたってこと?わけがわからず、頭の中が混乱に染まっているのが自分でもわかった。

「忌まわしい呪霊はなまえの中からキレイすっぱりなくなって、元のなまえに戻れたねって話」
「なに、言ってんの」

穏やかだけど狂気が孕んでいるような視線を向けて五条が言い放った。わたしの困惑に気づいているはずなのに、素知らぬふりをして浮かべられた笑顔が初めて出会ったあの日のことを想起させるような笑顔で、胸が郷愁に満たされるのが分かる。

「二人とも大丈夫ですか?無事に終わったようですし、高専に戻りましょう」

任務が終わったことを察したらしい補助監督が帳を開け、わたしと五条に声をかける。車に乗るように言われて、なんとなく五条と距離を取りたくて助手席に乗ろうとすれば、行きと同じように後部座席に連れ込まれた。これからまた一時間半は車に揺られるかと思うと憂鬱でしかない。

窓の外に流れる景色を見て苦痛の時間をなんとか耐え抜いて、高専に到着するなり女子寮に逃げようとしたが、五条に捕まって男子寮に連れ込まれる。男子寮の部屋は女子寮と大差ないと聞いてはいたけれど、五条の部屋のベッドはわたしの部屋に備え付けられているものとは比べられないほど大きい。絶対特注だと思う。そんなことを考えていないと頭の中がパンクしそうだった。五条の部屋に連れ込まれて、そのまま彼のベッドにわたしの身体に沈められる。肩を五条に押さえられて身動きが取れない。

「なにすんの、」
なまえが今まで名前も知らないおっさんたちとしてきたこと」
「正気?」
「なんで?」
「寮だし、周りに聞こえるんじゃないの」
「残念。隣の部屋の傑も七海も出張だよ」

逃げる術はないらしい。なんとか策を張り巡らせてこの状況を打破しようにもなにも思いつかなくて困る。潔癖そうなのに、知らないおっさんたちと夜を過ごしたわたしとそういうことをする、なんて言い出す五条の頭が正気じゃないとしか思えない。さっきの呪霊にでも呪われて頭でもおかしくなったのだろうか。

なまえがなにを考えてるかなんて想像つくけど、俺は正気だしこれからやろうとしてることをやめるつもりはないよ」
「なんで……」
なまえをリセットさせたかったんだよね」
「リセット?」
「そう。好きだった初恋の女の子がほかの男に抱かれてるなんて気分悪いし、それをきっかけに収集してる呪霊がオマエの身体の中にいつまでもいるのも不快だし」

恐ろしいことを言われたような気がして自分の耳を疑った。

「待って、五条。わたしのこと好きなの?」
「そうだよ?気づかなかった?」
「全然」

あの態度でわたしのこと好きなのかな、なんて思う鋼の精神は申し訳ないが持ち合わせていない。だからと言ってなぜヤる流れになってるのか理解はできないが。相変わらず固定されて自由を奪われた身体ではろくな抵抗すらできない。

「これからやることやって、なまえは生まれ変わるんだ。今までの夜のことは忘れて、俺のことだけ考えてればいいんだよ。呪霊の収集方法も傑とほかの方法が思いついたからそれに切り替えてね」
「なんで勝手に決めてんの」
なまえは名目上婚約者になったんだよ。これでやることやったら名実ともに俺のものだ」
「は?」

突拍子もないことを言われて、思わず目を見開く。驚きでろくに言葉を紡ぐことすらできない。

「だって少し考えればわかるだろ?本家の俺が傍流の丁度いい年齢の娘に興味を示してしていることを明るみにしたらどうなるかなんて」

確信的な笑みを浮かべて五条は楽しそうに言う。確かにその通りだ。本妻になることはないにしても妾くらいには周囲は考えるだろう。そしてわたしはそれに選ばれたと。とんでもないことをしてくれたもんだと、さっき一度収まった怒りがまたこみ上げてくる。

「さいっあくっ」
「昔のかわいいなまえも好きだけど、そうやって悪態ついてるところも好きだなぁ」

抵抗もむなしく鼻歌でも歌いだしそうなほど楽しそうにしている五条とわたしは結局夜を共に過ごしてしまったわけであるが、多くは語らないでおこうと思う。翌日に自室に戻れば、隣の部屋から硝子ちゃんがドアを少しだけ開けて、隙間からにやにやとした表情を浮かべてわたしを見ていた。さては知ってたな。硝子ちゃんに怒る気力すらわかなくて疲労感に導かれるままに自室のベッドに倒れこむ。授業なんて今日はもう知らない。受けてられるか。夜蛾先生にごめんなさい、と謝罪の念を送りつつ、昨日の夜のことなど忘れてしまいたいと思いながらそのまま眠りについた。