二日ほど前から取り掛かっていた関東近郊での任務を終えて、在来線を乗り継いで都内に戻ってきたころには陽が傾きかけている時間帯だった。橙から群青に色を変えようとしている空を眺めていると、持っていたスマートフォンが震える。振動がすぐに終わらなかったことにより、電話での着信を告げていることを理解した。スマートフォンをスーツの胸ポケットから取り出し、ディスプレイを確認するといつも送り迎えをしてくれている補助監督の名前が表示されている。小さくため息を吐いて通話ボタンを押せば、申し訳なさそうな彼の声が耳に届いた。
「どうしたんですか、伊地知さん」
「七海さん。お疲れ様です。……任務が終わったばかりだというのに、大変申し訳ないのですが……」
「新しい任務ですか」
「はい…………」
こちらを慮って申し訳ないという色を前面に押し出した声で言われてしまっては、こちらも断ることはできない。伊地知は自身の後輩でもあったし、邪険にするわけにもいかない。これが天下の五条悟からの着信であれば見なかったふりをするところであるが。
任務の詳細を聞けば場所は新宿のライブハウスで、調査で判明しているのは二級程度の呪霊が確認されているとのことだった。それだったら自分じゃなくてもいいのではないか、と思っていると、電話の向こうの彼が話を続ける。
「七海さんにお願いするには低級なのでは、と言ったのですが、どうも調査結果を鑑みるに、日によって強さが変わると言いますか」
「強さが変わる?」
「はい。人を襲うときと襲わないときがあるんです。その呪霊」
「そうですか」
些か不可解な点があるような気がするが、一番殺傷能力が高いときが二級だったそうなので、念には念を入れて上級術師に依頼することになったらしい。
「それが終わったら一週間休んでくださっていいそうので」
「気前がいいですね」
「立て続けにお願いしているので、それくらいは、との上の意見です」
「わかりました。今ちょうど山手線に乗り換えるところだったので、そのまま新宿に向かいます。場所等の詳細を送っておいてください」
「承知しました。わたしもこれから現場に向かうので、現場でお待ちしています」
「着いたらまた連絡します」
通話を切って、ちょうど目の前にやってきた電車に乗る。新宿までは二十分ほどかかるだろうか。乗り換え検索アプリを使用して到着時間を確認する。ついでに送るように告げておいた伊地知からの任務の詳細のメールを確認した。場所やどういった事象が確認されているか、等の情報が記載されている。目に留まった文字列に若干嫌な予感を覚えたが、それが当たらないように祈るばかりだ。
新宿に到着する頃には橙の空がすっかり群青に染まっていて、飲み込まれてしまいそうな感覚が胸中を通り過ぎる。地図アプリを頼りに送られた住所に向かう。新宿駅の中央東口改札から出て、歌舞伎町方面の出口の階段を上がれば右手には交番やら大手家電量販店が見えた。地図の指示通りに進んでいけば八百屋の隣の道を通過し、まっすぐ歩いていけば横断歩道が視界に映る。それを越えてまたまっすぐに進んでいけば繁華街に入っていき、特撮怪獣映画に登場する怪獣の頭が見えた。怪獣の頭がある複合施設を目指して足を進めると広場に到着する。一階に黄緑と青がトレードマークのコンビニを見つけて、その隣に目的地があることを確認した。
ライブハウスは今日もなにか演目があるようで、広場には幅広い年齢層の同性の姿が目に入る。なんとなく演目について察した。自分が関わりあうことはない分野だが。
「七海さん」
「伊地知さん。お疲れ様です」
「お疲れ様です。話はしてあるので中に入りましょう」
「わかりました」
遅れてやってきた伊地知に連れられてライブハウスの入り口のスタッフに話をし、中に通される。今のところ呪霊がいる気配はない。やはり補助監督による調査通り客の中に呪霊が憑いている人間がいるのかもしれない、と見当をつける。リハーサルをしているらしい若い女性のパフォーマンスが視界の端に入ったが、気に留めることなく関係者にヒアリングをした。やはり特典会とやらをしているときが今までも一番危なかったそうで。実際に特典会が行われる時間に現場を押さえるしかなさそうだという結論に至った。特典会というのはライブの後に行われるそうで、それまでは待機でとのことだ。
よければライブでも見て行ってください、と関係者に言われたが、興味があるわけもなく。犯人らしき男の犯行でも追うか、と思って空間全体を見渡せる後方を陣取った。
「あれ?おにいさん新規さんですか?」
「いえ、私は仕事の付き合いで」
いきなり隣に人に立たれたかと思えば、物怖じすることもなく話しかけられる。人の好さそうな笑みを浮かべている女性だ。外の広場で見た際には男性ばかりだったが、女性もいることに驚いた。今のところ、彼女しか女性は確認できていないが。
「えー!ピュアマリちゃんたちに新規さんが付いたかと思ったのに……残念」
「貴女はよくここにいらっしゃるんですか?」
「はい!ピュアマリンのリーダーのミナちゃんを推してるので!大体の現場にはいます!」
「推し……?」
「あ、贔屓にしてるってことです」
「あぁ、なるほど」
こういう世界には独特の用語があるというのは理解している。猪野くんもたまに推しではないけど、この女優さんが好きで、みたいな話をしてくるときがあった。目の前の彼女はいろいろな話をしてくる。メンバーは全員で何人いて、それぞれメンバーからがあって、それから各メンバーの立ち位置やどういったファン層が多いかなど。ここまで来ると一ファンではないのでは、と思ったが、内心にとどめておいた。
「そういえば、最近物騒なことがあったと先ほど近くを通ったファンの方が言ってたんですけど、貴女は知ってますか?」
「あぁ、ミナちゃん推しの〝タケダ〟の話ですね」
「〝タケダ〟?」
聞き返せば目の前の女性は詳細を教えてくれた。タケダという先ほど彼女が贔屓にしていると言ったメンバーのファンで、高額なプレゼントなどを送る代わりに特典会とやらで過剰なファンサービスを求めてくる人間がいるという。そこだけを聞くと度が過ぎるファンがいるもんだ、と思って終わるが、それで話は終わらないらしい。
「タケダって、自分以外にミナちゃんがファンサービスするとキレるタイプなんですよね。推しは自分のものだと思ってる独占欲が強い上に妄想が激しいタイプ」
「ちなみにあなたは?」
「わたしは同性なので彼女たちに恋だのなんだのはないですし、かわいい女の子が頑張っている姿を見て自分が元気をもらうタイプのファンですかね。あとかわいい子にお金を払って気分良くなりたいだけなので」
「なるほど。ちなみにその〝タケダ〟さんの顔はわかりますか?」
「えぇ。何度もバトってるのでお互い名前も顔も割れてます」
「どの人か伺っても?」
「あそこの音響前で陣取ってる黒い服に黒のキャップ被ってる男ですよ」
女性が指を差した方向を見ると、確かに該当する服装の男がいた。顔はよく見えないが、禍々しい雰囲気を纏っており、おそらく黒だろう。呪霊の姿は目視できないが、そのうち動きがあるはずだ。標的を見失わないために特徴を覚える。
「ありがとうございます」
「いえ、じゃあもうすぐ開演なのでわたし前行きますね。おにいさんも楽しんでくださーい!」
子どものように手をぶんぶん、と大きく振って楽しそうに人混みに消えていった彼女と会うことはもうなさそうだ。おそらく黒と思しき男を見失わないようにライブ中もステージなどはみることもなく動向を見張った。先の女性に教わった通り特定の女性しか見ていないようで。ライブ中に特に動きもなく問題なくステージは終わったようだった。
次は犯人が動くことが想定される特典会とやらが始まるらしい。列を形成したところで、タケダという男の雰囲気が豹変する。禍々しさが悪化したかと思えば、彼の周りに黒い靄のようなものが現れ、その靄の中から呪霊が顔を出した。人間のような見た目であるが顔をぐちゃぐちゃに切り裂かれたような不気味な風貌で、呪霊が見えている人間は周囲の反応を見るにいないらしい。犯人の番が来る直前にミナというアイドルの女性の背後に回れば、ちょうど犯人の番の前は容貌が整った若い男性だった。その男性がミナと握手して、それから記念撮影をするらしい。
「ケーくんまた来てくれたんだ?今日はどんなポーズにする?」
「ミナちゃんに会いたくて来ちゃった。今日は恋人繋ぎしたいんだけど大丈夫?」
「もちろんだよー!手貸して!」
目の前でカップルのような距離感で戯れる男女の奥で、犯人は憎悪の色を隠さずにふたりを見ていた。アイドルと男性の肩が密着したところで犯人の叫び声が聞こえる。
「調子に乗んじゃねぇぞ!ミナ!」
犯人の側に顕現していた呪霊がアイドルに襲い掛かろうとしたところで、自身の武器の大鉈を隠し持っていた背中から取り出し振りかぶろうとした。その瞬間にアイドルと呪霊の間に割って入る人間の姿が見える。
「ミナちゃん逃げて!」
振りかぶろうとした大鉈の動きを止めず呪霊を叩けばすぐに呪霊は消失した。人目につく前に大鉈を隠し、割って入ってきた先ほどの女性を見れば犯人を取り押さえているところで。スタッフが駆け寄って男は取り押さえられたまま奥に連れていかれた。女性に話しかけようと近づこうとすれば、彼女はアイドルに駆け寄ったところだったので様子を見る。見た感じ怪我をしている様子もないので、安堵の息を漏らした。専門の自分がいるのに一般人に怪我をさせたとなると始末書に発展しかねない。
「なまえちゃん!」
「ミナちゃん大丈夫だった?ケーくんさんも」
「俺たちは大丈夫です」
よかったぁ、なんて言っていた女性は、安堵して腰が抜けたらしく、その場に座り込んだ。なまえちゃん、と呼ばれているところを見て、そういえば名前すら聞かなかったな、と思った。女性たちに近づき、なまえ、と呼ばれた彼女に手を差し伸ばせば、お礼を言いながら手を取られる。
「ありがとうございます。変なのはいなくなったんですか?」
なんでもないように彼女の口から出てきた言葉に思わず固まってしまう。そんな素振りなかったというのに、見えていたというのか。掴まれている手を引き上げて彼女を立たせる。
「見えていたんですか?」
「あぁ、あなたも見える人なんですか?」
質問に質問で返されて、その内容に彼女が見える人であるという事実を示していた。
「貴女お名前は?」
「みょうじなまえです」
「七海さん、スタッフの方が奥で話を聞きたいと」
「わかりました。みょうじさん。あなたも一緒に来ていただけますか?」
「え、チェキまだ撮ってないんですけど」
「それが終わってからで構いません」
じゃあ大丈夫です、と返答する目の前の女性はミナちゃんとやらに今日のステージの素晴らしさについて熱く語り、それから姉妹のようにべったりとくっついて記念撮影をしていた。伊地知に目線で状況説明するように訴えられて、簡潔に話す。おそらく数ヶ月続いていたという騒動についても詳しく知っているだろう、と見当をつけていることまで話せば、さすがに納得したらしい。成人男性二人が成人女性が若い女性と戯れ終わるのを待っているという異様な光景が繰り広げられていると思うと、どこか居心地が悪かった。
騒動のあとやはりみょうじという女性は犯人の起こしていた騒動をすべて把握していて。バトった、と言っていた経緯もそのうちに含まれていたようで、詳細を報告書に起こすことができたので伊地知は感謝しているようだった。もちろん七海も詳細を把握することができて感謝している。
彼女は呪霊というものだとは思っておらず生霊だと思っていたらしい。まぁ、呪霊と関わり合いになるような界隈に居なければそう思うのも致し方ないだろう。
任務が終わり彼女ともうかかわることはないだろう、と思っていた――が、然うは問屋が卸さないらしい。
なんの因果か彼女の生活圏と自分の生活圏が被っていた。いつもカスクートを購入しているベーカリーに行けば、先日会った彼女の姿があったのだ。私の姿に気づくなり突撃され、そのままベーカリーに併設されているカフェエリアに連れ込まれた。
「七海さんのおかげで今日も推しは健やかに過ごしてくれてる……この感謝を伝えるためには土下座するしか……?」
「即刻やめてください」
再会してからかれこれ三十分は同じことを言っている。耳に胼胝ができそうだ、と思いながら、彼女が礼だと言って注文してくれたコーヒーに口をつけた。
「いやでも七海さんがあの気持ち悪いやつを祓ってくれたからミナちゃんは今日もステージの上でキラキラと輝いてくれてるんです」
「貴女が私に感謝してるのはよくわかったのでもう結構です。それに報酬は事務所さんの方からいただいています」
「ミナちゃんが生きてくれてる、わたしにはこれ以上ないくらいの幸せなんですよッ」
「話聞いてます?あと四つん這いになったまま地面に手を打ち付けないでください」
人の話を聞いていないこの感じ。どこぞの目隠しをなさっている先輩を思い出して何とも言えない気持ちになる。あの人のほうがまだ理性はあるからましか。でもあのひとはあのひとで愉快犯なところがあるしな、などと考えている間にもみょうじさんのマシンガンのような話は続いた。
「そうだ!七海さんにも課金すればいいんじゃ……ッ?!」
「名案でもなんでもないですからね、それ」
「お金を捧げる以外に感謝の仕方を知らなくて……」
「大丈夫なんですかそれ」
「今の所ミナちゃんにしか貢いでないので大丈夫です!案外高給取りなんでわたし!だから七海さんにも課金させてください!」
「だからもくそもないですしいやです」
「え~課金~したい~させて~」
「じゃあコーヒー」
「え?!」
「コーヒー奢ってください。それでいいです」
「コーヒー一年分奢りますね!」
「そんなには要りません」
えー、なんて言って満足していなさそうなみょうじさんを無視して、コーヒーと一緒に注文していたカスクートを手に取って口に運んだ。今日もこの店のカスクートは美味しい。