4・観念するには遅すぎた

 嵐山が誕生日なのに防衛任務を入れていた。
 模範的勤務態度にそこまでしなくても、と思っていたけれど、勤務後に自分のところに強襲することが織り込み済みで今日の任務を入れたのだろう。さっき迅に出会ってあーあ、って顔をされたのは絶対このことだったはずだ。わかっていたなら教えてほしかった。勤務中なら話を聞かなくても逃げ切れると一縷の希望を抱いていたけれど綺麗に霧散してしまった。
 任務が終わるなりメディア対策室にやってきた嵐山の姿にすこしだけドキリ、とはした。二〇歳になったからと言って何かが大きく変わるわけではないけれど、それでもどこか成長しているように感じるのは贔屓目があってのことかもしれないが。
 緊張した面持ちでメディア対策室にやってきた嵐山は、自分の姿を見つけるなり近寄ってくる。まるで犬のようだ、と思ったのは内心に留めておくことにした。
 嵐山がメディア対策室のデスクに座っている自分の目の前に立って、それから立ってください、とお願いをしてくる。

「准、今勤務中なんだけど」
「さっき定時過ぎましたよ。ちゃんと確認してからきました」

 ぐうの音も出ない言葉に取り付く島すらない。嵐山から視線を逸らしながら、メディア対策室に備え付けられている時計を見ると、実際に定時は過ぎていた。そこまで見越してこの場に来ていることから察するに、嵐山は準備万端だったらしい。こういうときに根付がいればいいのに、と思っても、残念ながら今日の予定は外出からの直帰なので、この場には嵐山と自分しかいない。
 確かに、今日が嵐山の誕生日でちょっとした誕生日プレゼントなんかも用意はしてある。ご家族でも食べられるようにちょっといいところのお菓子の詰め合わせだ。なんとなく消えものが良いと思ってこれを選んだ。
 もう一度、立ってください、と促されて渋々といった様子で立ち上がる。立ち上がるなり両手を取られて、それから嵐山の両手に自分の両手が包み込まれた。なにを言われるんだか、と内心でそわそわしていると、まっすぐと見つめられる。翡翠色の瞳から目が逸らせない。

「これまでもこれからも、ずっと好きです。俺と付き合ってください」
「…………えー」

 なんとかこの先に待ち受けている結末を変えることができないか考え返事をせずにいると、もう一度両手にぎゅっと力を入れられる。

「約束したのはあなたですよ」
「…………わたしでよければお願いします」

 なまえの返事に満足したらしい嵐山はどうだ、とでも言わん顔をしていた。その姿に呆れてため息が出てしまう。二年間、嵐山が諦めることを願っていたけれど、その願いもむなしくXデーという名の今日はやってきてしまった。

「よくここまで持ったね」
「言ったじゃないですか。これまでもこれからもずっと好きですって」

 喜色満面な様子でそう言ってくるものだからやっぱり大きなため息が出てしまう。まさか自分が九歳も年下の男と付き合うことになるとは思っても見なかった。いや、初めて好意を伝えられたときから徐々に覚悟が決まっていたこともなくはない。
 嵐山は一途な男だと思うし、誠実な男だとも思う。きっと付き合ったら付き合ったで幸せな時間は訪れるだろう。
 けれど、いつか自分に飽きてしまう日がきたら、と思えて仕方がないのだ。どうしたって年齢の差というのはあるものなので。それを軽々とではないしにしろ嵐山は飛び越えてきた。その事実を受け止めて自分も誠実になって素直になるしかないのだろう。
「准って趣味が悪いよね」
 無意識に吐き出していた言葉に嵐山の眉が顰められる。言ってはいけないことだったらしい。

「俺の彼女を悪く言うのはやめてください」
「はぁい」

 彼女、と呼ばれることにむずがゆいというか、形容をしたいような気持ちになる。
 若干の違和感を覚えながら嵐山の告白に了承すると、花がほころぶように笑うので驚いたものだ。
 付き合うことをそこまで喜ばれるとは思わなかったのである。
 好かれているということは態度で充分示されていたし、それを自覚もしていた。だから今のままでも、とすこし思っていたのだ。別に恋人関係にならなくたって、と。そしたらまだ引き返せる、とも。その保険すら許されないらしい。
 嵐山に包まれている手を解放してもらおうと動かしてみるとすぐに拘束は解かれた。
 誕生日に恋人になるというイベントを仕方なしとこなしてこれでおわり、と思っていたところに嵐山から無情にも告げられる。

「このあと家まで送って行っていいですか?」
「なぜ?」

 嵐山と自分の家の方向はそこまであっていない。なんなら嵐山が遠回りしなければならない立地だ。今までだって基地でさようなら、だったのに急な提案に面を食らう。

「せっかく付き合えたので」
「んん?」

 要領の得ない回答に首をかしげる。疑問符が頭の上に浮かんでいるかもしれない。

「これで何の気兼ねもなく外でもくっつけるな、と」
「くっつく必要ある? わたしまだ死にたくないんだけど」

 自分と嵐山が付き合い始めたからと言って、それを口外するのはまた別の話だと思った。嵐山のファンガールズたちに何をされるかわからない。烏丸のファンガールズよりは温厚だとは聞いているけれど。

「基地の外なら誰もなにも言えませんよ」
「えぇー?」

 怪訝な視線を嵐山に向けると胸をこぶしで叩いて笑ってみせた。よほど自信があるらしい。仕方なしにとりあえず制服から出勤着に着替えてくる、と一言残してメディア対策室の奥にある更衣室に入った。
 自分のロッカーを開けて制服を脱いで出勤着に着替える。
 ついでに嵐山に渡そうと思っていたお菓子の詰め合わせの入った紙袋を取り出した。
 ロッカーの中に忘れ物をしていないか確認して、それから身だしなみのチェックをしてからロッカーを閉める。着替え終わってメディア対策室に戻ると嵐山はそのまま待っていたようだ。

「准お待たせ」
「待ってませんよ」
「あ、忘れる前にこれ」
「なんですか?」
「誕生日プレゼント」
「いいんですか? 俺としては付き合えただけでも嬉しいんですけど」
「それとこれはまた別でしょう。お菓子の詰め合わせだからご家族とどうぞ」
「ありがとうございます」

 持っていた紙袋をそのまま嵐山に差し出すと素直に受け取られる。さてメディア対策室を出ようか、と声をかけると手を差し伸べられた。

「なに、この手」
「繋いで帰りたいんですけど」

 折れる気配のなさそうな瞳を無視して文句を口にする。

「えー……」
「だめですか?」
「せめて基地出てからにしてもらっていい?」

 流石に職場でいちゃついているように見えることはしたくない、と告げると、嵐山がそれもそうですね、と納得した。物分かりがよくて助かる。

「基地から出たら手繋ぎましょうね」
「……繋がなきゃだめ?」
「今から手を繋ぎますか?」
「外に出たらでお願いします」

 降参、と大人しく嵐山の言葉に従うと嬉しそうににこにことしていたので、まぁ、基地内で手を繋ぐよりはマシか、という考えになり始める。
 メディア対策室を出て、それから基地の出入り口を通過し、外に出た。
 外に出た途端、むわ、とした熱気に当てられて思わず顔を顰めてしまう。
 昨日まで暑かったけれど今日もまたそれなりに暑い。
 昼間はそれなりにからっとした天気だったので油断してしまった。
 熱気を覚まそうと手で自分の顔を仰いでいると、目の前にさっきと同じように手を差し出される。流石に今度はおとなしくその手を取った。
 いわゆる恋人繋ぎと言われる繋ぎ方をして嵐山とふたり肩を並べて歩く。
 今までとは違って随分と近くなった距離に心臓が落ち着かなくなっているのが分かった。
 自分の方が随分年上なのに、まるで高校生や大学生のときのような気持ちを思い出す。
 こんなはずではなかったのに。なんでこんなに緊張しているんだろう、と内心では混乱していた。自分の緊張が嵐山に伝わっているんじゃないか、と思って嵐山の方を見ると、嵐山も緊張しているのかいつもより表情が硬い気がする。

「准?」
「な、んですか」

 手は汗ばんでいてぎこちなくなっている動きにようやく気付いた。
 自分だけじゃなくて嵐山も緊張しているということに。
 自分自身が緊張していたからか気付くのに遅れてしまった。
 自分と手を繋いだところで、と思っていたけれど、珍しく緊張している姿の嵐山を見るに手を繋いだ意味はあったらしい。

「緊張してる?」
「それは、そうですよ。断られることはないと思ってましたけど、やっぱりこうやって触れ合えると喜びもひとしおですし、いつもどうやって接していたかとかいろいろ考えちゃって……」
「ふは、なにそれ。わたしのこと大好きじゃん」
「大好きに決まってます。じゃないと二年も態度で示してないですよ」
「それもそうか」

 言われたら確かにそうだ、と納得していると、嵐山があの、と話を切り出してくる。

「おねえさんも緊張してますか」
「柄にもなく緊張しておりますよ。なにせちゃんとした恋愛は大学生以来だからねぇ」
「そんなにですか」
「そんなにですよ」

 仕事を始めてからは仕事に面白さを見い出しすぎて恋愛なんて二の次だった。
 仕事関係や友人の紹介で付き合った人も数人いるけれど、どれも長続きはしなかった。最後はみんな仕事とプライベートどっちが大切なんだ、と言ってきたのだ。それは仕事優先だろう。プライベートは正直二の次でいい。
 そう思うと仕事と直結している嵐山は、ある意味どっちにも当てはまる人物なので案外揉めることはないのかもしれない。ボーダーと嵐山はニアリーイコールなので。

「大人ってもっと恋愛してるんだと思ってました」
「一般的にはそうなんじゃない? わたしも自分のことは少数派という自覚はあるし」

 大学時代の友人なんて恋人の変遷がすごかった。彼氏ができたかと思えば一ヶ月で別れてその数日後にまた彼氏ができている、なんてザラだ。自分は微塵もそういう考えが起こらなかったけれど。

「准こそ、彼女居そうなイメージだけど」
「妹と弟が大事なので」
「あぁ、そうね。准はそうだよね」

 嵐山と関わるようになって耳に胼胝ができるほど聞かされた妹と弟の話は、すぐに思い出せる程度には記憶に刻まれていた。

「かなり昔ですけど、〝妹弟とわたしどっちが大事なの?〟って言われて……」
「あー、目に浮かぶわその光景」
「まぁ、家族の方が大事ですよね」
「准はそうだよね」

 自分は家族も恋人も同じくらい大事、というところで着地しそうな気はする。けれど、嵐山の第一は家族なのでそれは疑いようもない。これほど妹と弟を大事にしている男もいないだろう。その彼に家族と自分どっちが大事なの、という女の子は嵐山という人間を見ていないような気がした。そもそも嵐山という人間をちゃんと見ていたらそんなこと言えないはずなのだ。イケメンって大変だなぁ、と思っていると、嵐山が顔を覗き込ませてきた。どこか不安そうな表情になにかと思ってどうしたの、と聞いてみる。

「おねえさんもそういうこと気にしますか……?」

 突然の質問に思わず笑いそうになってしまった。なにを不安に思っているんだか。

「気にするって言ったら別れるの? 准は」
「別れませんし、おねえさんも家族と同じくらい大切にします」
「だったらいいよ」

 まぁ、別れてくれてもいいんだけど、ともう何度口にしたかわからない言葉を口にすると、嵐山が目を見開いた。
 歩いていた足を止め、繋いでいた手を放してから嵐山が両肩掴んでくる。顔を見ると若干の怒りのようなものが見て取れて、やってしまったか、と内心で嵐山の胸の内を察知した。

「それ、これから言うのは禁止ですよ」
「えー」
「俺が傷つくので、禁止です」
「はぁい」

 あまりにも必死な形相にふは、と息が漏れた。何故笑ったのかわからないらしい嵐山が不思議そうな顔をしてなまえらを見て、それから問いかけてくる。

「なんですか」
「いや、准が駄々っ子みたいなこと言うから、かわいいなぁって」
「……かわいいはやめてくださいよ」
「それは無理かな。歳の差もあるからやっぱりこれからもかわいいとは思うだろうし」
「かっこいいって思われたいです」
「かわいいと同じくらいかっこいいと思ってるよ」
「……ならいいです」

 不満があるのかすねたのかわからないけれど、唇を尖らせていじける姿にまた面白くなった。
 流石に今度は笑みを口の中で噛んで殺す。
 かわいいだのかっこいいだのすんなりと言えるようになった時点で、嵐山との関係を受け入れている自分が居て自分でもびっくりしていた。
 熱に当てられ続けるとやっぱり絆されるのだなぁ、と再認識する。
 掴まれていた肩が解放されてそれからまた二人で手を繋いで歩けば、ようやく自分の家が見えてきた。
 もうすぐそこの場所まで来ているので嵐山に告げる。

「ここでいいよ」
「家の前まで送ります」
「三分もない距離なんだけど」
「いいじゃないですか。あと三分くらい。できるだけ一緒に居たいんですよ」
「准がそう言うならいいけど」

 嵐山と手を繋いで家まで帰るってなんだか変な気分だ。付き合っているのだからなにもおかしくはないけれど。まさか嵐山にここまで粘られると思っていなかった。

「准ってさぁ」
「なんですか?」
「やっぱりなんでもない」
「逆に気になりますよ、それ」
「ごめんごめん。ささいなことだから気にしないで」
「余計気になるんですが」

 諦める気配のない嵐山に本当にささいなことなんだけど、と前を置きをして言う。

「准ってしつこいって言われない?」
「言われたことは……ないですね……」
「そうですか……」

 どうやら嵐山に対してこんな印象を持っているのは自分だけらしい。なんというか、この二年間追い回されているような気分だったのだ。
 ようやく家の前まで到着して嵐山と繋いでいた手を放そうとすると、ぐっと力を込められて放せない。

「准?」
「家に上がっちゃだめですか」

 予想外の方向からのお願いにびっくりして目を丸々とさせる。いや、告白されるかな、とは若干思っていたけれど、そこまで前のめりで来るとは。なまえが無言になったのを察したらしい嵐山が慌てて言葉を添えてくる。

「いや、違うんです。そういう意味じゃなくて、もう少し一緒にいたいなって」
「あぁ、そういうこと」

 告げられた言葉に他意がないことを理解してほっ、と胸を撫で下ろした。

「家の中、汚いからだめ」
「気にしませんけど」
「わたしが気にするからダメです」
「えー」

 おどけて抵抗する嵐山になまえも断固して抵抗する。本当に家の中がごった返しているので勘弁してほしい。せめて掃除をした日の翌日に来るか、事前に来たい日を相談してもらわないと困る。

「また今度ね」
「じゃあ、次一緒に帰れるときは入れてくださいね」
「掃除が終わってたらね」

 わかりました、と返事をしたのでそこで安堵する。いろんなことを強行されるようだったら、さすがに別れていたところだ。納得しらたしい嵐山がでも、と話を続ける。

「でも?」
「俺と〝そういうこと〟するのは受け入れてくれてるんだなぁ、ってちょっと嬉しいです」
「うっ」

 自分でも無意識に考えていたことを指摘されて一気に恥ずかしくなる。
 まだ話を続けようとする嵐山の唇を自分の唇で塞ぐ。初めて触れた嵐山のそれは自分のものよりもかさついているような気がした。
 すぐに離して嵐山の面持ちを確認するとよほど驚いたらしくぽかん、と顔に書いてあるように思える。それから我に返ったらしい嵐山は頬を赤く染めてすぐに腕で自分の顔を隠した。

「准ー?」
「……不意打ちはずるいですよ」
「やりかえしてやろうと思って」
「なにに対してですか」
「これまで追いかけまわされた分、かな」

 突然のなまえからのキスに混乱しているらしい嵐山を置き去りにして自分の家に戻っていった。

 観念して嵐山と付き合うようになってから、自分は浮かれていないつもりでいたけれど、少しは浮かれていたらしく木虎に指摘されてしまった。
 次の女性向けの広報イベントの打ち合わせのときに指摘される、というのはなかなかに恥ずかしい。仕事中にプライベートの話をされるってこんなに恥ずかしいものなのか、と驚いてしまう。

「そ、そんなに浮かれてる?」
「今までの仕事中のおねえさんを見てきた側からすると結構分かりますよ」

 ウワーッと叫びそうになった。羞恥で人は死なないというけれど、実際に死んでしまいたい気持ちにはなるのだから不思議だ。
 嵐山隊には嵐山の誕生日の翌日に来月のスケジュールのすり合わせがあったので、そこで報告してある。
 そこからまだ数日しか経っていないなのに、この体たらく。自分を自分で殴りたいと思った。公私混同は自分が許せないので。

「藍ちゃんからみてどこを直せばそれは収まると思う?」
「嵐山さんと距離を置いてみたらどうですか?」
「それは名案かも……!」

 こんなことではだめだ、と思って、木虎の提案に乗り、嵐山に接触は最低限で、と言うと、納得はいっていないようだけれど、了承の返事をもらったので良しとする。自分を恋人である嵐山から物理的に引き離すことで平穏を保つことにした。
 嵐山と物理的に距離を離して以降、木虎や綾辻に印象を聞いたら今まで通りのおねえさんって感じがします、と言われたので作戦は成功していると言えるだろう。他の人にも指摘されることはないので一安心している。
 たまに根付はなにか言いた気にしているけれど。

「嵐山の彼女さんや」
「生駒くん、普通に呼んでくれない?」

 そんな矢先にこれである。
 今まで保っていたものが簡単に崩れる音がした。人が嵐山に頼み込んでなんとか平静を保とうとしていたというのに。なまえの心情など知らない生駒が容赦なく切り込んでいっそ気持ちがいいレベルかもしれない。

「なんで? 嵐山の彼女さんやんな」
「合ってはいるけど今仕事中なんだよね」
「嵐山……! おねえさん認めてくれたで……っ!」
「なにその反応。まさか仕込み?」
「ちゃいますちゃいます」

 嵐山の彼女、と言われることは滅多にない。というか知ってる人も嵐山隊と東と一九歳男子組くらいだろう。そのあたりには話していいか、と二人で決めた。生駒が嵐山と付き合っていることを知っているのはまだいい。けれど、それを口に出されると気恥ずかしいものもあるし、仕事のオンのスイッチが切れそうになるのだ。

「生駒くんって准と仲いいよね」
「めっちゃ仲いいですよ」
「だよね」

 嵐山のファンガールズが怖いので付き合ってることは大々的にしない、という約束を結んで、誰に言うかは二人ですり合わせをした。内情を知っている人間には言うけれど、それ以外だと誰だろう、となったときに嵐山が真っ先に一九歳組には話したいと言ったのだ。それを聞いて、嵐山にとっては同い年の男子は気安い関係なのだな、と思った。

「准も言ったかもしれないけど、秘密にしてね、生駒くん」
「わかってます」

 流石に人が多いところでは俺も言いませんよ、というので、確かに周囲を確認すると人は数人しかいないし、距離があるので自分たちの会話は聞こえていないだろう。

「でもほんま、付き合えてよかったなぁ、嵐山」
「そうかなぁ。今でも乗り換えられそうで怖いけど、わたし」
「一途な男やから信じたってくださいよ」

 嵐山とずっと仲が良い俺も保証します、と言ってのけるのでその言葉を信じることにする。

「そういえば、何か用でもあった?」
 本部の中央オペレーター室へ届け物があってその道中に生駒と遭遇し、声をかけられたわけだが。
 特に用事があるようには見えない。

「いや、用はないです」
「なんだそれ」

 生駒の行動の不可解さが面白くていっそ笑えて来てしまった。
 笑っていると生駒がなんだろう、と言いた気な顔をしてなまえを見ている。

「なぁに?」
「いや、おねえさんも面白くて笑うんやなぁって思て」
「そりゃ人間だから笑いもするよ」
「そういうことじゃなくて」
「じゃあなに?」
「おねえさんって仕事できはるやろうし、いつもきびきびしているように見えるって言うか。案外笑てる姿見たことなかったなぁって」
「仕事中に笑顔はそこまで必要じゃないからね」
「だから、驚いたんですよ」

 生駒の言いたいことはわかる。
 こういうときに浮かれていると思われてるのかもしれない、と見当をつける。

「おねえさんもそんな風に笑うんやなぁって。しかも嵐山のことで」
「口に出されると恥ずかしいな」

 やっぱり浮かれているのが漏れているらしい。
 もっと社会人らしく気をつけなければならない、と気を引き締める。

「だからなんか嬉しゅうなったんです。ちゃんとおねえさんも嵐山のこと好きなんやなって」
「……好きじゃなかったら付き合ってないよ」
「それはそうですね」

 話がひと段落したところでメディア対策室に戻らなきゃいけないことを思い出した。生駒にメディア対策室に戻るね、と声をかけてその場を後にする。生駒と話して思うことだけれど、嵐山との関係を知っている人からはよかったね、と言ってくれるひとが多い。二年も待たせた女なんて、と誰かひとりくらいは文句を言うかと思ったけれど、なかなか好意的に受け止められていると思う。すべてを察しているだろう根付もなにも言ってこないし。小言くらいは言われるかと思っていたのだ。
 こういう祝福を受けるとむずがゆくてしょうがない。あんな人止めておきなよ、とだれか一人くらい言ってほしかった気がする。それでも嵐山が止まったかどうかは怪しいが。
 メディア対策室へ戻っている途中に嵐山隊を見かける。少し距離があるので気付かないだろうな、と思っていると、嵐山の視線が自分のそれを交わった。すると、笑みを浮かべてなまえに手を振ってくる。それに気づいたらしい他の面子もなまえに気付いてみんなで手を振ってきた。これから防衛任務だと聞いているので、話しかけることなく手だけ振っておくことにする。彼らの姿が見えなくなったところで手を下ろす。何も起こらないとは思うが、今日も彼らの任務が無事終わるように小さく祈った。

    §

 ぬくもりを感じてうっすらと瞼を押し上げる。
 朝の光が自分に当たっていることに気づいて目を開いた。
 目の前に裸の嵐山の姿を見つけて自分の身体も裸なことに気付く。
 昨夜の出来事を思い出して頬に熱が集まったのが分かった。嵐山はまだ起きていないらしく、すーすー、と寝息を立てている。
 そんな彼を尻目にベッドから抜け出して、下着だのTシャツだのを拾ってからそれらを身に纏って洗面所に向かった。
 顔を洗って歯を磨く。それらを終わらせたら着替えを取りに部屋に戻ろう、と考えているところで、目を覚ましていたらしい上半身裸の嵐山が姿を見せた。
 下着とズボンは履いてきたようだ。
 鏡越しに目が合う。口を水で濯いでから振り返って嵐山に声をかけた。

「起きたの?」
「さっき起きました。おはようございます」
「はい、おはよう」

 朝の挨拶をしてからキスをする。昨日も何度もしたけれど、こうして生活の中に自然と溶け込んでいる行為に、付き合いたての頃は考えられなかったな、と思う。
 嵐山とそういうことをしたのは昨日で。付き合ってからは一ヶ月ほど経過していた。待たせて申し訳なかったな、と思うと同時に、準備が終わるまで待ってくれていたことに感謝する。なにせ久しぶりのそういうことなので、なかなか決心がつかなかった。実際やってみたら案外痛くはなかったし、痛くないように気を遣ってくれているのは感じ取れたが。こういう気遣いができるのだから、嵐山准という男はずるいと思う。しかし、一度で終わるかと思いきや何度もされてしまって、正直今ぐったりした心持ちだ。自分の体力がなさすぎるのか、嵐山に体力がありすぎるのか、どちらかわからない。防衛隊員なこともあるから嵐山の体力がありすぎる方が有力だとは思うけれど。

「大丈夫ですか? 身体」
「案外大丈夫だけど、正直だるい。今日はもう何もしたくない程度に疲れた」
「すみません、昨日止まれなくて」
「いや、それは、別にいいんだけど……。次からはもう少し手加減してほしいかな」

 なまえが良い、と言った瞬間に嬉しそうに笑ったのになんでだろう、と不思議に思っていると、こちらの考えていることに気づいたらしい嵐山が言う。

「次もあるんだなって思うと嬉しくて」
「准がしなくていいなら、わたしはしなくても、」
「します」
「そうですか」

 遮るように言われたそれに驚きながら、重い身体を動かして朝食を作ることにする。台所に行く前に着替えようと思って居間に戻った 嵐山はさっきの自分と同じように顔を洗ってくるのだろう。歯ブラシは昨日嵐山用として購入したものがあるのでそれを使っているはずだ。
 昨夜、家に来る前にすこし遠目の大きなスーパーに言って下着だの歯ブラシだのを買い込んだ。
 誰かに見られていたら─特に嵐山のファンガールズなど─詰むな、と思いつつ嬉しそうに物を買っている嵐山を見ていると何も言えなかった。男女関係は本人同士の責任なので、外野にとやかく言われてもはねのければいい。
 まぁ、年齢差をちくちくと刺されはするだろうが。自分だって嵐山と付き合うようになるなんて思ってもみなかった。
 初のお泊りでいろいろ買い込むって割と楽しいんだな、とこれまでの恋愛経験では何も思わなかったのに、嵐山とすると新しい気付きを得ることがままある。
 あのときの恋人たちは自分に対してこういう感情を抱いてほしかったのかな、と思った。
 部屋着に着替えてキッチンに向かう。棚にストックしてある六つ切りのパンがあるのを確認して、続けて冷蔵庫を開け中を確認すると、卵とトマトくらいしかなかった。成人男性にこの量はもしかして足りないか、と考える。頭を悩ませているところに服を着た嵐山が現れた。

「どうしたんですか?」
「パンと卵とトマトくらいしかないんだけど、准はそれでいい?」
「なんでもいいですよ」

 本人が良いと言っているのでお言葉に甘えることにする。用意出来たら居間に持って行くので、待っているように告げた。嵐山はそれに素直に従って今に戻っていった。
 まな板と包丁を食洗器から取り出す。まな板の家にトマトを置いて、四つに切った。それを小皿に乗せる。次にパンをトースターに二枚入れてスイッチを回した。出来上がるまでに目玉焼きを作ることにした。
 器に冷蔵庫から取り出した卵を割り入れる。フライパンにサラダ油を敷いて強火の火で熱してフライパン全体に広げる。器に入れてあった卵を入れて焼いた。白身の色が変わり始めたところで弱めの中火にしてそこから三分ほど焼く。その間にパンを入れてあったトースターがチン、と音を鳴らしたのでトースターからパンを取り出して、食器棚から出した皿の上にパンを置いた。
 そうしている間にたまごがちょうどいい頃合いになっていることに気づく。まだ黄身が柔らかい状態ではあるが、白身が固まっていることを確認してそれからパンの上に乗せる。味付けとして卵の上に塩コショウを振った。
 簡易的ではあるけれど出来上がった目玉焼きのトーストとトマト、フォーク二本とマヨネーズを一緒におぼんに乗せる。それを持って居間まで運んだ。
 居間に到着すると嵐山がそわそわとした様子で待っていた。そういえば家に入れることはあったけれど、手料理─と言うほどではないけれど─を振舞う機会はなかったことに気づいた。
 大体外で食事してから家に来ていたので。それに気づいていないふりをして嵐山に話しかける。

「どうしたの准」
「いや、おねえさんの作る料理食べるの初めてだなって思って」
「確かにそうかも」

 居間に置いて在るローテーブルの上に食器を運びながら嵐山と言葉の応酬をする。

「大したものじゃないけどね」
「こうやって朝も一緒に居て、おねえさんの作ったものを食べられるだけで幸せですよ」

 淀みなんて微塵もないのが窺える言葉に眩しく思う。そこまで褒めちぎられるといっそ照れてしまいそうだ。
 嵐山の前にトーストとトマトとフォークを一本、自分の前にも同じセットを置く。マヨネーズはテーブルの中央に立てた。二人でいただきます、と両手を合わせて目の前の料理にありつく。
 自分はトマトから食べて、続いてトーストを食べることにした。嵐山はトーストを食べようとしているみたいだけど、マヨネーズの存在が気になっているらしい。視線をマヨネーズに向けて、問いかけてくる。

「このマヨネーズって……」
「トーストでもトマトで必要だったら使って」

 わたしはトーストにつけるけど、というと嵐山が得心がいったように頷いた。自分がトマトを食べている間に嵐山もトーストにマヨネーズをかけている。たいした手間はかけていないけれど、嵐山の口に合えばいいな、と思った。
 トーストを口に運んで口をもぐもぐとさせる嵐山の目が輝いたような気がする。

「口に合った?」
「美味しいです! 黄身もやわらかくて」
「目玉焼きはこれくらいのやわらかさが好きなんだよね、わたし」
「俺もこれ好きです」
「ならよかった」

 二人でローテーブルを囲いながら食事をする。今までもお菓子をつまんだり、くらいはあったけれど、夜から朝まで一緒にいるのは今が初めてだ。それを再確認するとすこし気恥ずかしい気分になってきた。
 こちらの考えていることなど微塵も気付いていないであろう嵐山が、食事を終えたらしくごちそうさまでした、なんて挨拶をしている。

「もう食べたの?」
「美味しかったです」
「ならよかった……っていうか絶対足りてないでしょ。近くのコンビニでも行ってこようか?」
「大丈夫ですよ」
「いや絶対足りてないって」

 自分の食事も余所にそんな話をしていると、嵐山がなにがおかしいのかふは、と息を漏らして笑う。

「なに?」
「いや、焦ってる? おねえさん見るの初めてだったので」

 なんだかおかしくて、と笑う嵐山には余裕があって、自分には余裕がないような気がした。それがなんだか悔しくて、自分の残っていたトーストを急いで食べる。慌てて食べなくても、と宥めてくる嵐山の前で立ち上がって、ベッド脇に移動してサイドテーブルの上に置いたままの財布を手に取った。

「コンビニ行くよ!」
「今日はなにもしたくないんじゃなかったんですか?」
「准のお腹を満たす方が優先」

 そう言い切って嵐山を置き去りにして家を出た。
 すると、今度は嵐山が慌てて後ろをついて来る。
 二人で家から一番近いコンビニに行って結局朝食の足りない分と昼食も買い込んでしまった。

   §

 二月一四日と言えばバレンタインだ。新生嵐山隊が結成されてからは綾辻と木虎とバレンタインチョコを交換したり、男子陣には上司チョコとして赤い箱に入ったカットするチョコをあげたりするのが毎年の恒例だった─だったのだけれど。

「今年はさすがに本命チョコですよね?」

 毎年恒例となった広報イベントという名のバレンタインイベントを来週実施する。なんの因果か今年は土曜日なので朝からイベントが行われる日だ。
 そのイベントに向けて綾辻と木虎を打ち合わせをしていると、綾辻から今年のチョコ事情を聞かれた。

「〝さすがに〟って言い方」
「毎年義理チョコばっかり渡してたわけじゃないですか」
「それはそうだけど」

 恋人になったからわざわざチョコを変えるというのは、あからさますぎて恥ずかしいものがある。それを理解しているらしい綾辻と木虎に釘を刺された。

「わたしたちにくれる分と一緒に男性向けのもの買えばいいじゃないですか」

 木虎からなんの無駄もない提案に全く敵わない。

「でも、なんか、今更じゃない?」
 一番最初のバレンタインイベントから毎年チョコをくれないんですか、と言ってくる嵐山に赤い箱に入ったカットするチョコをコンビニで渡し続けていた。

「楽しみにしてるから絶対本命チョコあげてくださいよ」
「えぇー」
「いいですね?」
「はぁい」

 綾辻と木虎に念を押されたとなると従うほかない。今年はチョコチップの入ったクッキーのファミリーパックにしようと思っていたのに。
 綾辻と木虎へのチョコを買いに行くときに嵐山のも一緒に買う必要があるだろう。
 仕事を終えて三門市内でも一番大きいショッピングモールにやってきた。ちょうどバレンタインの催事をやっていてその中に足を踏み入れる。
 木虎や綾辻へのチョコは毎年事前に決めてある。目的のショップを探してすこし歩いたところで目的地が見つかった。
 探していたのはWの文字で始まるベルギー王室御用達チョコレートブランドのチョコだ。ピンクの箱に入って白いリボンで巻かれているので見た目も可愛い。
 自分たちでは高くてなかなか手が出せない、と前に言っていたことがあり、昨年もここのブランドのチョコをあげていた。
 パヴェ・ド・ショコラとトリュフの詰め合わせとなっている四つ入りのチョコを二つ買って二人にそれぞれ渡すことにする。
 けれど、嵐山にこれは流石に違うな、と思ってその店では買わなかった。
 あたりも特につけてきたわけではないので、催事場をぐるりと一回りする。気になるものもいくつかあったけれど、どこか違うな、と思って買えずにいた。
 あてもなくぐるぐると催事場をめぐって一つのショップの前で足が止まる。ウィーンが発祥のDの文字で始まるチョコレートブランドだ。
 自分でも何度か食べたことがある。
 いつもなら足を止めないショップの前で足を止めたのはザッハトルテが置かれているのを見てのことだ。チョコを渡すんじゃなくて家まで来てもらって一緒に食べれば恥ずかしさもそこまでないのでは? と思った。
 一度案が思いつくとそれが最良な気がするので人間って不思議なものだ。自宅用に、と言ってザッハトルテと一つ買う。
 自分用にザッハトルテと買うことはないので、選択肢に入っていなかった。
 ザッハトルテの入った紙袋と、木虎と綾辻へのチョコが入った紙袋を持って催事場を出て帰路に着く。
 木虎と綾辻へのチョコも買えたし、嵐山へのチョコ─ということにしておく─も買えたので完璧だ。羽が生えたように軽い気持ちで家まで帰っていった。

 バレンタインイベント当日になると、チョコのことでそわそわすることもあるけれど、年々規模が大きくなっていくイベントにそれどころではなくなってしまう。
 朝から基地で嵐山隊を拾ってSUVでイベント会場へ向かった。
 設営をして、資料なども準備をする。
 準備を終えて始めます、とメガホンで案内とするとどっと参加者が押し寄せてきた。
 昨年よりも増えた参加者からチョコレートを受け取る男子陣にごめん、と思いながらもせっせと人や物をさばいていく。
 息を吐く間なんてなかった。
 箱がいっぱいになるたびに入れ替えて新しい箱を用意して。
 女性陣も手伝おうとしてくれるけれど、こういう日に限って小さいお子さんを連れた親御さんなどがやってきて、ボーダーについての説明を求めてきたりする。
 そちらの対応を優先するように言って自分が先陣を切るしかない。人の流れが乱れ始めたらそれを整えて、とやれどもやれどもやることが減らない。毎年こんなだったっけ、と疑問が浮かんでしまうほどだ。
 なんとかイベントをひと段落つける頃には夕陽が眩しい時間帯になっていた。
 十二時頃から始めたイベントのはずなのにもう夕方というのが意味が分からない。時間の流れってこんなに早かったっけ。
 最後のチョコを嵐山が受け取って、そこで受付は終了した。時計を見ると一八時を指していて自分の目を疑ったほどだ。
 去年以上の盛況で疲労感がどっと襲ってくる。
 しかしやることはまだある。
 イベントを終えて基地までもらったチョコレートを置きに戻らなくてはならない。
 念のため毎年検品はするようにしていた。なにが入っているかわからないものも多いので。いつものように設営を解体してから荷物を持って車へ戻る。嵐山隊を乗せて自分は運転席に座った。
 そのまま寄り道もせず本部基地に戻る。
 基地に到着するなりメディア対策室に贈り物の入った箱を運んだ。
 男性陣は疲弊しているのが分かって、それにおつかれ、と声をかけながらメディア対策室にある応接ゾーンに座って一息つくように言う。三人ともなだれ込むようにソファに腰を落とした。

「お疲れ様」
「おねえさんもお疲れ様です……」

 疲れ切っている嵐山隊にチョコをチェックするのは明日にしよう、と提案すると賛成、と声が返ってくる。さすがに今日はこれ以上なにもできないだろう。

「年々増えてくよね? なんで?」

 困惑しながら言う佐鳥に時枝が答えた。

「それだけボーダーって組織の知名度が上がったのと、受け入れられる人が増えたんじゃない?」
「充の言う通りだろうね」

 時枝の言葉に同意しながらメディア対策室に備え付けられている冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを出して五人に手渡す。それを受け取るとみんなペットボトルを開けて飲んでいく。
 気付かなかったけれど喉が渇いていたらしい。
 そんなことにも気づけないなんて、と反省をした。
 もっと隊員の状態に気を配っておくべきだった。
 しかしいつまでもそれに囚われても仕方がないので、次回からの課題ということにして頭の中にメモとして残す。
 みんなひと段落つけたのを確認して、自分のデスクに用意してあった諸々を取り出し、嵐山たちの元に戻った。
 それぞれに用意していたチョコを差し出していく。
 木虎と綾辻へは催事場で買ったチョコを、佐鳥と時枝には赤い箱に入ったカットするチョコをそれぞれに渡した。

「いつもお世話になってますチョコです」
「とっきーとオレは今年もこれなんですね」
「たくさんもらってるからそんなに要らないでしょ」
「それはそうなんですけど」

 ちょっと寂しいです、という佐鳥に来年覚えてたらちゃんとしたのあげるね、と返しておく。
 そこまでチョコを重要視していないとは思うけれど、来年はすこし嗜好を変えた方がいいかもしれないな、と思った。
 佐鳥と時枝に渡した後は女性陣にチョコレートを渡す。

「たまには贅沢してくださいチョコです」
「やった。今年もいいとこのやつだ。ありがとうございます!」
「わたしまでありがとうございます」

 お高いチョコなので大事に食べますね、と笑う綾辻に賞味期限が切れるまでに食べ終わってね、と注意するのを忘れない。
 一昨年だかに賞味期限一日過ぎちゃってました、と言われたことを今でも鮮明に覚えているのだ。
 四人にチョコと渡し終わって、いよいよ自分の番か、という顔をしている嵐山に内心で謝りながら決めていたことを告げる。

「准へのチョコはふたりっきりになってから渡します」
「え」

 自分以外の全員が異口同音を言っていたと思う。
 そこまで驚かなくても、とぼやけば綾辻からすごい顔で見られていた。
 用意していないと認識されたらしい。綾辻以外の面子からもじとり、と視線を向けられて慌てて否定をする。

「チョコはある! あるよ! この場で渡したくないだけ!」
「あるならいいです」

 納得した綾辻の様子に焦って流れていた汗が引く。綾辻は怒らせると怖い。今回学んだことだ。
 付き合いが長くても知らないことって多いんだな、なんて現実逃避をする。
 嵐山にだけチョコを渡さないままこの場をお開きすることになった。
 いつもなら車で皆を家まで送るけれど、今日は自分たちで帰ります、というのでそれに甘えることにした。
 メディア対策室に自分と嵐山だけになったところで、嵐山が近寄ってくる。

「俺だけチョコがないそうですが」
「准さぁ、今日、家来れる?」
「……いいんですか?」
「チョコ、家に準備してある」

 恥ずかしさで死ねそう、と思いながら嵐山を見ると、喜びを微塵も隠すもなく言ったので安心する。
 手を取られてそのままメディア対策室を出ようとするので手を振り払った。

「基地内!」
「誰も見てませんよ」
「見てなくてもだめ」

 家まで我慢しなさい、と言い聞かせると大人しく従ったのでよしとする。

「本命チョコですか」
「本命チョコですよ」

 聞かれたことを肯定すると嬉しさを微塵も隠さない嵐山の姿を見て、綾辻の言う通りにしてよかったな、と思った。
 制服から出勤着に着替えて、待たせていた嵐山を連れメディア対策室を後にして基地を出る。基地から二十分ほど歩けば、見慣れたマンションが見えた。そういえば家にジュースなどはなかったことを思い出す。

「准、家に紅茶か水しかないけど平気?」
「大丈夫ですよ」

 必要であればスーパーに寄ろうかと思ったけれど、嵐山が大丈夫、というのでその言葉に甘えてスーパーに立ち寄るのはやめた。
 迷いのない足取りで家の前に到着して、鞄から鍵を取り出し、鍵穴に鍵を差して時計回りに回し開錠する。ガチャン、と音を鳴らして開いたドアを開けてな中に入っていった。玄関で靴を脱いで中に入っていけば、嵐山も同じように入ってくる。
 出勤着から着替えてくる、と告げると、嵐山はじゃあお茶の準備でもします、というのでお願いをした。キッチンへ向かって、手慣れた様子でカチャカチャと音を鳴らしながらお茶の準備をしている音が聞こえてくる。
 その音を聞きながら、脱衣所まで行ってジャージに着替えた。昔は嵐山にジャージ姿をさらすのもどうかと思って躊躇していたが、最近では慣れ切ってしまって、そんなこともなくなってしまった。
 着ていた服を洗濯物入れに入れて、居間に戻るとお茶の準備を終えたらしい嵐山の姿があった。
 部屋に置かれているローテーブルにコップと皿が用意されていて、本命チョコとして購入したザッハトルテは未だに出されていないようだ。

「出してもよかったのに。箱あったでしょ? あれだよ」
「せっかくだからおねえさんに出してもらおうと思って」

 なんたって本命チョコですし、とニコニコしながら言う嵐山に、そんなもんか、と思いながらキッチンへ移動し、冷蔵庫の中からザッハトルテを取り出した。よくよく考えると二人で小さめとはいえホールサイズというのは血迷ったかもしれない。そういう意味では自分もやっぱり浮かれていたのだろう。

「はい、お待ちかねの本命チョコという名のザッハトルテです」

 箱に入っていたザッハトルテとりだして、それが入るサイズの大きめの皿と嵐山と自分の取り皿、それから切り分けるためのナイフを持ってローテーブルに持って行く。
 ザッハトルテと見た嵐山は目を輝かせていて、まるで小さな子どものようだと思った。

「これが本命チョコですか」
「そうですよ」

 ザッハトルテは予想外だったらしく、驚きも若干あったらしい。本命チョコと言われると確かに普通はチョコレートを思い浮かべるだろう。自分でもなんでザッハトルテにしようと思ったかはわからない。ただ、直感がこれ、と言ったのだ。
 ローテーブルを挟んで二人で腰を下ろした。ローテーブルの中央にザッハトルテを置いてそれからザッハトルテをナイフで六つに切り分ける。一ピースをそれぞれの取り皿に乗せてそれのうちの一つを嵐山に差し出した。
「俺にはないんですか?」
 なにが、と問いかければ、木虎たちにやっていた何々ですチョコ、のことらしい。本命チョコです、じゃだめか聞くと、それは嫌だ、と言われてしまった。少し考えこんで頭に浮かんだことを口にする。

「これからもよろしくお願いしますチョコです」
「こちらこそ、これからもよろしくお願いします」

 返事が返ってくると思わなかったので面をくらってしまう。そんなことを言ってくれる嵐山がやっぱり好きだなぁ、と思ったけれど口にはしなかった。