この世界に近界民という化け物がやってきてもうずいぶん経った。最初はうろたえていた人たちもボーダーという存在のおかげか、気付けばこの光景に慣れてしまっている。昔は恐れを抱いていた、警戒音になんの感情も抱けなくなった。慣れとは恐ろしいものだ。
教室に着くと、自分の席が埋まっている。後ろ姿しか見えないが、犯人は一人だ。彼は隣のクラスなのによくわたしの席に勝手に座っている。横の席が時枝くんだから仕方ないんだろうけど。
「佐鳥くんまたわたしの席に座ってるじゃん~」
「あっ!みょうじさんおはよー!ちょうどいいところに!」
目の前で両手を合わせてお願い!なんていう佐鳥くんの姿を見るのは何度目だろうか。用件は分かりきっている。仕方がないなぁ、とため息をついて目の前の人物の頭を軽く叩く。痛い!と子犬が吠えたような声が聞こえたのは聞こえなかったふりをする。
「みょうじさんって佐鳥にバイオレンス過ぎない!?」
「そんなことないよ。っていうか文句あるならノート貸さないけど、」
「ごめんなさいすみません謝るのでこの卑しい佐鳥めに数学のノートをお貸しください」
突然携帯のバイブレーションのごとく半泣きで震える佐鳥を見るのは面白い。わたしの少ない可逆心が顔を見せた。数学のノートをカバンから取り出し、放り投げる。佐鳥がキャッチの態勢になり、あと少しで取れる、というところで違う手が伸びてきてわたしのノートは宙で静止した。
「二人ともなにしてんの」
「とりまるー!おはよ!ノート渡して!」
「烏丸くんおはよう。今日も眠そうだね」
「そんなことない」
佐鳥くんがどうにか烏丸くんからノートを取り返そうとするけど、寸でのところで全部交わされている。どこをどう見ても眠そうな烏丸くんだけど、本人曰くこの顔が基本らしい。表情筋があまり仕事をしないので、初めて話したときは怒っているのかと誤解していた。
「そういえばみょうじ今日の英語当たるところ答え合わせしたいんだけど」
「いいよー。烏丸くんが当たるところちょっとややこしいもんね」
「助かる」
カバンから今度は英語のノートを取り出して、それを烏丸くんに渡す。合ってる保証はないけど、と一言添えると、みょうじの答えは大体合ってるから大丈夫、と返されてしまった。自信はないんだけどなぁ。
午前中の授業を乗り切り、お昼休みになった。普段一緒に食べている友達とご飯を食べようと思ったけれど、彼女はつい先日彼氏ができたばかりで一緒に食べたいんだ、と頬を染めながらかわいい顔で言われてしまった。仕方ない、女というのは友情よりも恋愛なのだ。いいよー、と返事をして一人でお弁当の包みを開く。一人で食べるの久しぶりだなぁ。
一人でちびちびとご飯を食べていると、背中越しに声をかけられた。聞きなれたクラスメイトの声。振り返ると見慣れた姿が目に入る。
「時枝くん」
「みょうじさん今日は一人?」
「うん、友達に彼氏ができちゃって捨てられました~」
笑いながらそういうと、じゃあ一緒に食べよう、と誘われる。ありがたいお誘いではあるけれど、普段から烏丸くんや時枝くん、佐鳥くんの二人と仲良くしているからか、たまに女子からの視線が痛い。うーん、と悩んでいると、時枝くんがわたしの躊躇に気付いたのか、大丈夫だよ、今日は俺も一人だから、と言われて、じゃあいいか、と了承した。時枝くんとは隣の席なので、そのまま机をくっつけた。
「時枝くん今日一人なんだね~」
「あぁ、佐鳥は広報の仕事で、烏丸は防衛任務なんだ」
「ボーダー忙しそうだもんね」
「自分が好きでやってることだから」
「ほー」
かっこいい~。さすが時枝くんだなぁ、と思っていると、みょうじさんは?と切り返された。
「ん?なにが?」
「ボーダーに入ろうとか思わないの?」
「え~近界民怖いし無理無理。わたしにはきっと向いてないよ」
ビビリだしね、と返すと時枝くんもそうだね、大きい音とかしたときのみょうじさんやばいもんね、と笑われる。ひどくないかなぁ?
「でも、みょうじさん向いてると思うよ。ボーダー」
「えーないない」
入りたくなったら言ってね、案内するし、と言われてしまって曖昧に笑うことしかできなかった。