だからもう夏なんていらない

茹だるような暑さの中、呼び出された場所に歩いていけばわたしを呼び出した張本人がすでに居た。悠長にソーダ味のアイスを食べている姿に僅かな苛立ちを覚えて、距離を詰めると同時に勢い良くぶつかってやる。

「いッて!」
「いいご身分ですねぇ~」
なまえか、何怒ってんの」
「あっつい中、こんな辺鄙な場所に呼び出されたらキレるわ普通に」
「わりぃわりぃ」

住所とこれからここに来てくれ、と一言添えられたメッセージ。それを見て何をしたいんだか、と思いながらも自室から出たのは、最早条件反射のようなものだった。高専から少し離れた新宿に呼び出されたかと思えば――しかも何を血迷ったのか駅から10分ほど離れた高架下に呼び出された――、本人はアイスを食べている。新宿に呼び出したもんだから、デートにでも行くのかと思った自分が少し恥ずかしい。高架下は日陰になっているので、多少涼しさは感じられなくはないが、どちらかというと息を潜めている呪霊の気配を感じてさっさと祓ってしまいたくなる。

なまえも食う?」
「食う。ひとくちちょーだい」
「はいよ」

食う、なんて言葉は七海がこの場にいたら怒りそうだなぁ、なんて思いながら、差し出されたアイスに口をつけて、一口貰う。シャリ、とシャーベットの食感とかき氷の食感が合わさり口の中に広がった。このアイスを生み出した人は本当に天才だと思う。口に含んだアイスを咀嚼していると、灰原がゆくりなくわたしの手を取ったから驚いた。

「こっち」
「どこ行くの」
「秘密」

はぁ?という声は音にならなかった――というよりもしなかった。言葉を発する前に灰原が取った手をそのままに走り出したからだ。わたしと灰原が高架下から走り出せば、気配を感じて居た呪霊がわたしたちを追いかけてくるのが見える。なるほど、そういう狙いなわけね。
追ってくる呪霊に捕まらないようにひたすら走らされ、しばらくすると学校らしき建物が見えてくる。

なまえ、あの中に入るぞ」
「はいはい」

校門を通過して校庭に足を踏み入れた瞬間、周囲が暗くなった。おそらく帳が降ろされたのだろう。追ってきていた呪霊はわたしたちの後ろに続いていたため、一緒に帳の中に飲み込まれていた。

「で、これが狙いだったわけ?」
「そういうこと。あの呪霊、女子にしか反応しねぇんだよな」
「なるほどね」

灰原は目の前で難なく呪霊を祓った。彼が祓っているときにいつも思うことだが、似合わない人だなぁと思う。人好きの笑顔が自然にできるし、どこか溌剌とし、どこか愚直に見える彼は、こういう世界には向いてないんじゃないか、と感じたことは一度や二度ではない。
祓い終わって校門の外にいる補助監督の元に戻るまで、他愛もない話をする。

「灰原ってさ、呪術師の家系じゃないんでしょ?」
「そうだけど?」
「なんで高専入ったの」
「んー……、視えるからこそ、自分にも何かできることがあるんじゃないかって思って」
「ふぅん。どこまでもお人好しだなぁ」
「なんだよそれ」
「わたしはアンタみたいな善人にはなれないって話」
「そんなんじゃないって」

言葉を投げられた本人は否定するけれど、何も間違えてないと思う。ただ、ひとつ引っかかっていることがあるとすれば、この世界は弱いものやお人好しからいなくなってしまうと言うことだ。
目の前の彼が、そうならないことを願うしかない。

「俺の任務に付き合わせたから、帰りにコンビニで好きなアイス奢ってやるよ」
「まじ?じゃあダッツ」
「人の金だと思ったら高いもん頼みやがって」
「用件も告げずに呼び出した人が悪いでーす」
「今月ちょっと厳しいのに」
「あら珍しい」
「ちょっと入り用なんだよ」
「よくわからんけど頑張れ」

▽ ▽ ▽

「どうしたのよ、これ」

夜蛾先生に呼び出されて慌てて救護室に来ると、部屋に入ろうとした途端空気が重かった。へばりつくような暗い雰囲気に飲み込まれてしまいそうで、それ以上足を進められなかった。
壁に怪我だらけの状態で凭れ掛かり、目をタオルで覆う七海とその隣で立ち尽くす夏油先輩。そして、その隣でベッドに横たわる人間の姿。
頭が目の前に映る姿を拒否している。知りたくない、知りたくない、――知りたくない。
救護室の入り口前で立ち尽くしていると、声をかけられた。

みょうじ入って来たら」
「い、やです」
なまえ
「いやだっ」

夏油先輩に促されても、七海に名前を呼ばれて促されても、それ以上は進めなかった。なんでそんなところで眠ってるの。いつもみたいに無邪気に笑って、しくっちゃったって言ってよ。なんで、なんで、なんで。
彼はただ、視えるから、視えるなりに何かできればと思って、そんなあたたかい気持ちでここに居たのに。どうしてそんなところで微動だにもしないで眠っているの。
こころが何もかも拒絶している。

みょうじ、ちゃんと見てあげなよ。これがきっと最後だよ」

悲痛な色を隠しもしない夏油先輩の声には答えずに、救護室をあとにする。一分一秒もあの場所に居たくない。
どうして彼なの。今日の任務は二級の呪霊だし、七海と二人掛かりだから余裕余裕、と朝に食堂で会ったときには笑っていたのに。
救護室を飛び出して校庭まで行くと、照りつける太陽に肌がじりじりと焼かれる。痛いような熱いような、そんな熱を感じながら立ち竦んだ。
今日の朝の彼はいつも通りの彼で。今日の任務が終わったら、今日はお前の誕生日だからあとで美味いもん食べに行こう、なんて笑っていた。約束はどうするの。あんたが美味しいもん食べに行く、なんて言ったからいつもより少しだけ気合を入れた化粧をしたのに。硝子先輩にお墨付きを貰った新品の可愛いワンピースを卸したのに。太陽光に刺激されて身体中に汗が吹き出る。全部無駄になってしまった。

「ほんと、馬鹿だ」

つぶやいた言葉は誰かに聞かれることなく、わたしの耳にだけ残ったそれは空気に溶けていった。
この世界は善い人から死んでいく。それは一生変わらないことなんだろう。自分にできることを精一杯できることが心地良いと言っていた彼を憐れむ必要はない、と七海は言いそうだけど、それでもわたしは哀しい。
自分の世界から彼が居なくなる日が来るなんて思ってもみなかった。
夏の日に生まれたわたしは夏生まれなのに暑さに弱くて、いつもこの季節になるとどうしてもバテてしまう。そんなわたしを支えてくれた彼が居ないなんて。
アイスを買ってきて一緒に食べてくれることも、氷枕を作って女子寮のわたしの部屋まで持ってきてくれることも、クーラーで冷えた手を彼の手に温めてもらうことも、もう無いのだ。

「こんなところにいたのか」
「七海、」

名前を呼ばれて顔を上げれば、七海に愛らしい女子受けのするブランドの紙袋を差し出される。いつの間に追ってきたんだか。そもそもよくわたしのいる場所が分かったな、と他人事のように思う。受け取らずにその紙袋を凝視していると、胸元に押し付けられた。渋々受け取とり紙袋を開く。

「これ」
「な、に」
「灰原が、お前に渡してくれって」

紙袋の中を除き込めば、教室でティーン雑誌を見ていた際にほしいなぁ、と呟いていたネックレスが入っていた。灰原はそのとき七海と話していて、わたしのひとりごとなんて聞いていないと思ったのに。
堰を切って今まで抑え込まれていた感情が顔を出す。

「なんで灰原が死ななくちゃいけないの。そんな強い呪霊なら五条先輩が行ってくれたらよかったのに。自分は最強だからなんて言うなら、どうして灰原たちがこんな目に合わなきゃいけないの」
「ほんと、そうだな」
「灰原を助けてくれなかったんだから、あの人は最強でもなんでもないよ」

五条先輩を恨んでもなんの意味も成さないのはわかっている。それでも言葉を止めることはできなかった 。
日差しの中、七海と二人で結構な時間佇んでいたせいか、目眩が起こる。もしかして、熱射症だろうか。
元々夏が得意ではなくて、でも高専に入って灰原に出会って少しだけ夏も悪くないかも、って思えたのに。また夏が嫌いになりそうだ、と遠のいていく意識の中で思った。