※グロ、嘔吐表現有り。
ビチャリ、と顔に何かがかかったのが分かった。鉄のような香りに、真っ赤に染まる視界。嗚呼、これは血だ、と理解すると同時に血の出所を理解し吐き気がこみ上げてくる。今遂行している任務は、呪霊に囚われている一般人を助けることで、この血は呪霊から飛んできたもので。さっきまで耳をつんざいていた助けてという絶叫が途絶えている。ターゲットである呪霊におそるおそる目の焦点を合わせると、そこには先ほどまでいた一般人がいなくなっていた。真っ赤な水たまりのような血が呪霊の足元に広がっているのが分かった。こみ上げてきた吐き気を抑え込むことができず、そのまま口の外に吐き出せば、先ほど食べたものが自分の足元に落ちる。任務の前に食べ物を口に入れるんじゃなかった、なんて現実逃避をしつつ、頭を殴られて痛みで意識を現実に引き戻される。
「痛ぁっ」
「ぼーっとすんな!みょうじ!」
「ごめんっ」
一緒に任務にあたっていた同級生が必死に呪霊を相手にしていて、わたしもすかさず応戦に加わる。攻撃ができないわたしは呪霊の動きを止めるくらいしかできないが。それも呪霊に神札が当たらなければ意味がない程度のものなのが申し訳ないと思う。なんとか呪霊と距離を詰めて神札を当て、なんとか呪霊が動きを止めた。刀を使い呪霊を祓う同級生が呪霊の動きが止まったところに切りかかって真っ二つに割る。少しすれば呪霊はバラバラと崩れていき、そのまま砂のように散っていった。呪霊の気配を感じなくなったのを確認して、ようやく安堵の息を漏らす。腰が抜けてしまいへにゃり、とその場に座り込んでいると、いつの間にか帳を上げてくれていたらしい女性の補助監督がわたしに声をかけてきた。
「みょうじさん大丈夫?」
「はい、なんとか」
「うわ、みょうじ血みどろじゃん」
「わたしの血じゃないけどね……」
血まみれなのはわたしだけで、同級生の方は無傷ではないが、返り血などは浴びていないようだった。どんくさい自分に嫌悪感を覚える。呪霊に捕らえられていた非術師も救えなかったし、今日はなにもいいことがない。制服にこびりついている血もきちんと落ちるだろうか。そんな心配ばかりが頭の中を占拠する。
「とりあえず高専に戻りましょう」
「わたし血まみれですけど大丈夫ですか?車内汚れません?」
「経費でクリーニング出すから大丈夫ですよ」
ささ、疲れたでしょうし乗ってください、と補助監督に促されて言われるままに助手席に座った。助手席のシートにレジャーシートが敷かれていて、やっぱりちょっと気にしてるんじゃん、と思ったけれど、胸の内に秘めておく。そもそもへまをした自分が悪いんだし、仕方がない。
任務の目的地だった場所から高専までは高速道路を利用して小一時間ほどだった。落ち込みそうになっているわたしに気を使ってか、補助監督が流行りのアイドルソングなどをカーオーディオから流してくれているけれど、そもそも趣味でもないのでそんなに気分が上がるわけもなく。そもそも、高専にいる女性陣でアイドルソング聞いて元気が出るような人がいるのか謎であるが。硝子先輩も歌姫先輩もアイドルにキャーキャー言うタイプではない。誰の趣味なんだろうな、と勝手に考え込んでいる間に高専に到着していた。
すっかり夜も更けていて、車を降りて聞こえるのはそよぐ風の音くらいだ。ヒュウヒュウとなる風に髪が遊ばれているのも気にせずにさっさとシャワーを浴びたいと思って女子寮に戻る。報告書は同級生の方で上げてくれるらしいので、わたしは一刻も早くこのこびりついた血を落としたくて仕方がなかった。
女子寮に入って自室に戻るまでの道も誰かに会うこともなくほっとする。この姿を見られると硝子先輩あたりにドジっ子って言われるのが目に見えているし、歌姫先輩にはきっと修行が足りないと怒られるところだ。面倒ごとが起こる前に自室にお風呂セットを取りに行って、シャワー室に逃げ込むに限る。
自室からシャワー室までの移動も周囲に気を遣いながらあまり音を立てないようにした。ここまで誰にも見つかっていないのでいい感じだ。
女子寮に備え付けられているシャワー室に飛び込むように入って、そのまま頭からお湯をかぶる。シャワー室の床に酸化した茶の血が排水溝に流れていった。気に入っているシャンプーを持ってきたのでそれで何度も何度も頭を洗い、茶色の水が流れなくなるまでずっと続ける。肌にこびりついていた血も鏡を見ると落ちているはずなのに、まだついているような感覚がして何度も顔も洗った。
排水溝に流れていく水がようやく透明になった頃、頭からザーッと流し続けていたシャワーを止める。思い出すのはほんの数時間前まで生きていた呪霊の被害者のことだ。助けて、助けて、とずっと絶叫していて、気も動転していたのだろう。人間が死に際に助けを求めるときってああいう声が出るんだな、と思う自分もいるし、助けられなかったという後悔の念を抱いている自分もいる。乖離している考えの自分がふたり存在しているような気分だ。
満足いくまで自分の身体やら髪を洗い終わり、下着を身に着けて寝間着にしているジャージに着替える。シャワー室を出て、次に向かうはランドリー室だ。血まみれになってしまった制服を洗わなければならない。補助監督がクリーニングに出してはどうか、と言ってくれたけれど、洗い替えの分の制服をクリーニングに出しているところなので、それが戻ってくるまでは着る服がなくなってしまうので出せない。
「あれ、七海先輩」
「みょうじさん」
誰かいるような時間ではないだろうと思って、ランドリー室近づくと明かりがついていて。最後に使った人が電気を消し忘れたのかな、なんて思いながらランドリー室に足を踏み入れると、中には七海先輩がいた。今日も小難しそうな文庫本を読んでいるようだ。
「任務終わりですか?」
「はい。返り血浴びちゃって」
「災難でしたね」
「七海先輩は?」
「明日から九州に長期出張なので、今のうちに洗濯をしておこうと」
「なるほど」
そういえば今朝あったときに灰原先輩も言っていた気がする。七海と二人で長期任務なんだ、と。てっきり関東圏内かと思っていたけどそうではなかったらしい。九州かぁ。
「あ、洗い場長い間借りても大丈夫ですか?」
「えぇ。俺は洗濯乾燥機を使うだけなので」
「ありがとうございます」
洗濯乾燥機に入れる前に先に血を落としておかないときっとうまく落ちないだろうから、洗い場を占領させてもらう。ランドリー室に備え付けられているたらいにぬるま湯を張って、そこに制服を漬け込んだ。血が落ちやすいという洗剤も拝借して規定量を入れる。ジャブジャブと揉み洗いをして、制服を絞って水分を減らし、たらいの汚い水を捨てた。なんどもなんどもこれを繰り返す。なかなか落ちないなと思って五回目の揉み洗いをしようとしたところで、七海先輩からストップがかかった。
「もういいんじゃないですか。あとは洗濯乾燥機でも落ちますよ」
「でも、まだ汚れてます」
「それ以上手で洗うとみょうじさんの手も荒れるしおすすめしません」
「でも、」
まだ血がついてるんです。落ちてない血が。わたしには見えてるんです、と言うと、七海先輩はふぅ、と大きめのため息を吐いた。それからわたしの頭に七海先輩が使っているであろうバスタオルを被せる。突然視界が限定されて混乱して動きが止まった。
「貴女よりもっとたくさん血を浴びたことのあるから言います。あとは洗濯乾燥機で大丈夫です」
「……はい」
掴んでいた制服を取り上げられて、てきぱきといった様子で七海先輩はわたしの制服を洗濯乾燥機に突っ込んでいた。それをぼうっとバスタオルを被ったまま眺めていると、次は七海先輩が座っていた椅子の隣に椅子を置かれ、そこに座るように促される。大人しく言うことを聞いて座ると、バスタオルを取り上げられた。それからいつのまに買ってきてくれたのかわからないブリックパックのリンゴジュースを渡される。
「ありがとうございます、」
「どういう任務だったかは知りませんが、非術師を毎回救えるものだと思わない方がいいですよ」
「そうなんですか?」
驚いて視線を七海先輩に向けると、先輩はわたしを見つめて淡々と話してくれた。
「あくまで持論ですが。呪術師は非術師にはない力を持っているかもしれないですけど、別に超常的な力を持っているわけじゃない。救える人間救えない人間は必ずどちらも存在します」
「七海先輩も、救えなかった非術師がいるんですか」
「いますよ」
すんなりと答えてくれた七海先輩の表情が意外なもので、驚いて目を見開いた。先輩はわたしなんかよりももっとちゃんと呪霊を祓えるような術式なのに、それでも救えない人がいることにびっくりする。
「だから、気にするな、というわけじゃないですが、気に病む必要はありません」
毎回気に病んでいると術師なんて続けられませんよ、と遠い目をして言い切った七海先輩の顔を、ずっと覚えていることになるなんてこのときのわたしは思ってもみなかった。
「七海先輩、」
「はい」
「ありがとうございます」
「いいえ」
礼を告げたところで、ピーっと音を立てて洗濯乾燥機がなった。制服が乾いたらしい。わたしが立ち上がる前に七海先輩が立ち上がって、洗濯乾燥機から制服を取り出して手渡してくれた。
「七海先輩、また、明日……じゃなかった。無事に任務が終われるのを願ってます」
「ありがとうございます。みょうじさんも気を付けて」
「はい」
受け取った制服を宝物を抱きしめるように持って、七海先輩に挨拶をして女子寮に戻った。