昨今の呪術界において、呪術師は圧倒的に不足している。けれど、呪霊は増加の一途をたどっており、二級である七海や一つ上の先輩である夏油や五条などは任務に引っ張りだこで。早く後輩たちに育ってほしいという気持ちもあるし、みょうじなどはゆっくり育ってほしいとも思った。
その日の任務は二級の呪霊だと補助監督は七海と灰原に説明受けている。二級に上がったばかりの灰原と二級に上がってしばらく経っている七海の二人で取り掛かるものであるので、遂行は余裕だろう、という話だった。――実際に蓋を開ければそうではなかったわけであるが。
目を負傷しつつもなんとか灰原を助けようとしたが、それは叶わず、灰原の遺体を持ち帰ることしかできなかった。逃げ帰るように高専に戻り、治療を受ける前に夏油先輩と話した。二級の呪霊だと聞いていたものは、土地神で。土地神が相手の任務など本来は一級術師が受けるものだ。調査に穴があったのか、呪霊が変化しなのかはわからない。けれど、自身の目の前に広がるのは灰原が死んでしまったという事実だけだ。
高ぶった感情を夏油先輩にぶつけてしまったことを反省しつつも、誰かにぶつけなければ気が済まなかった。そこまで大人になり切れなかった。こちらだってまだ未成年なのだ。割り切るなんてできない。
任務は結局五条先輩が片付けたと聞かされ、思わずあの人ひとりでよくないか、という本音が口から飛び出していた。あの人が最初から七海たちの受けた任務を受けていれば、灰原はきっと死ななかったと思わずにはいられないのだ。なんで、どうして、俺たちが。そう思ってしまう。灰原は呪術界においては珍しい根が明るい人間だった。呪霊とずっとかかわってきた人間が多いからか、どこか暗い人間が多いこの界隈において、彼の明るさに救われる人間も少なくなかったはずだ。
重い足取りのまま家入先輩の治療を受けるように言われ、彼女が巣にしている医務室に向かえば途中で背中越しに声をかけられた。目の負傷があるので見えないが、声で分かる。最近関わりのあった後輩だ。
「ななみせんぱい」
「みょうじさん」
「医務室に向かわれるんですか?」
「えぇ」
「よければ、手を引きましょうか」
手を引きますよ、ではなく、引きましょうか、と決定権を持たせてくれる彼女は察しが良い人間だと思う。お願いできますか、とお願いすると彼女がホッと息を吐いたのが分かった。そうだ、灰原が息絶える前に言っていたいくつかのことを思い出す。彼の妹への遺言と、みょうじさんへの言葉。
「目、痛みますか」
「今は感覚が麻痺しているのでそういうのは感じてないですね」
「そうですか。手、触りますね」
断りを入れて左手に触れられた。みょうじさんの手は震えていて、灰原のことをもう知っているということを理解する。気丈に振る舞っている彼女に申し訳ないという気持ちを抱きながら、七海の内心を慮ってくれていることに感謝した。引っ張られるままに医務室に向かって歩きつつ、口を開く。
「灰原のことですが、」
「……聞いています」
「あいつが、最後に言っていたことを言ってもいいですか」
「はい」
「〝みょうじちゃんは無理してまでも呪術師にならなくていいと思う〟と伝えてほしいと」
「なんですか、それ」
「貴女が無理をしていることを心配していたんだと思います。真意はあいつにしかわかりませんが」
灰原は自分の妹と同じくらいみょうじさんのことを気にかけていた。呪術師に本当になりたいのであれば止めないけれど、もし無理してなろうとしているのであればそこまでしなくていいのに、と。それに関しては自身も同意見だった。彼女は心優しすぎる。呪術師に向いていないと常々思っていた。窓でも補助監督でも生きていく方法はいくらでもある。非術師が目の前で死ぬ度に心を痛める彼女に一度、気に病みすぎるなとは告げたが、気になってしまうのだろう。非術師の被害者が出るたびに彼女のこころが擦り減っているように感じた。
「灰原先輩は、ほんとうに、やさしいですね」
そう言ったみょうじさんの声は震えていた。灰原は誰から見てもみょうじさんを構っているのが一目瞭然だったのだ。そこに恋情が伴うことはなかったが、会えない妹の代わりに愛情を注いでいた。それを彼女も理解していたし、理解したうえで享受していたように見える。
きっと泣いているであろうみょうじさんに今の自分ができることは限られていて。ただ、繋いでくれている手をぎゅっと力強く握ることしかできなかった。自分よりもずいぶん小さな手が震えている。
どんなに呪霊が見えても、呪霊と戦う術を身に着けても、こうやって終わりは呆気なくやってくるのだと痛感する。灰原は決して弱い術師ではなかった。経験だって高専に入って順当に積んで、二級になって。なのに不運で命を落とす。この業界はクソだなと思った。
きっと今、こうして自分の手を引いてくれているみょうじさんだって、灰原が命を落としたように呆気なく死んでしまうのだろうか。そんなことを考えてしまう。彼女は彼女の同期の中で一番戦闘力がない。サポート型と言ってしまえはそれまでだが。単身で任務に行くことがないだろうから死亡率は下がるかもしれないが、同行の術師が命を落とすようなことがあれば呆気なく死んでしまうだろう。そういうことを思って灰原はああいう言葉を残したのかもしれない。すべては憶測でしかないが。死人に口なし。もうどういう意図があったのかなど聞くことは不可能なのだから。
さきほどまで荒れ狂っていた内心が少しずつ落ち着いてきたように思う。まだ灰原の死を受け入れるには時間がかかるが、それでも、灰原が死んだという事実は認識できるようになった。
「七海先輩、着きましたよ」
みょうじさんが足を止めたところで同じように足を止めると、確かに医務室特有の消毒液の臭いがした。飄々とした家入先輩の声が聞こえる。
「災難だったね。とりあえず、なまえはそのまま七海の手引いてベッドに寝かせて」
「わかりました。先輩こっちです」
再度手を引かれて引かれるままに足を進めれば、固いものに手がぶつかる。おそらくベッドだろう。みょうじさんに手を放してもらって、ベッドに触れて大体の形状を確かめ、そのままベッドに寝転がった。目を覆っていた包帯を取るように言われ、その通りにする。がさごそと何かしている音が聞こえるな、と思いながら目は閉じたままだ。
家入先輩が治療するからじっとしてて、という言葉に返事をして、そのままベッドでじっとする。どのくらいの時間が経過したかわからない。任務から帰って来てから時間感覚がずれているような感覚があった。
「もういいよ、七海。治療は終わった」
治療を終えてこわごわと目をゆっくり開けると、泣くのをこらえているように見えるみょうじさんの姿が真っ先に目に入った。それから彼女の後ろに見える壁にかかっている時計が見える。時計の針は二十時を少し過ぎた時間を差していて、そんなにも時間が経過していたのか、と驚いた。時計に意識を向けていたところを、みょうじさんの七海先輩、という声に意識が彼女に向かう。
「生きて帰って来てくれて、ありがとうございます」
そう言って眉間にしわを寄せ、泣きながら笑う彼女がいとおしいと思ったし、大事にしたいと思った。抱きしめたいという感情にかられたけれど、家入先輩のいる手前それをするほど理性を失っていない。そんなことしようものなら、明日以降からかわれるのは必須だからだ。
誤魔化すようにみょうじさんの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。さっきまで泣きそうになっていた彼女の顔が髪の毛を乱されたことで困惑の表情に変わる。それから、髪の毛を整え直しながらなんですか、もう、とすこし怒っている顔を見て安らぎを感じた。