あの銀河に辿り着けない

七海先輩が卒業する頃になると、わたしの同期は潔高くんだけになってしまった。中途半端に強さのある術師ほど死んでいくのだなぁ、と溢すと潔高くんもそうですね、と儚く笑う。弱いわたしたちだけが生き残るなんて、皮肉だな、と声には出さず内心に留めた。高専に通い出して四年目。わたしが七海先輩を建人先輩と呼ぶようになって二年近くの時間が経過して。付き合ってるわけでもないのに、なんとなく定期的に二人出てかけてはいろんな場所に行った。水族館から動物園、有名な建築物に庭園まで幅広いジャンルの場所に建人先輩は連れて行ってくれる。この話を家入先輩にすると、付き合ってるじゃん、なんて言われるけれどそうではないのだ。手は繋いでもキスはしないし、それ以上もしない。そんな関係を恋人というの憚られるし、わたしは先輩のことを恋人と思うのは後ろめたかった。
高専を卒業したら一般の大学に進学するという建人先輩に寂しさを覚えつつ、わたしは補助監督として高専に残ることを決めたのはある意味価値観の相違だろう。自分では直接誰かを助けることはできないけれど、誰かを助ける誰かの手助けをしたかった。
家入先輩は何度も七海についていけばいいのに、と言ってくれたけれど、わたしにも譲れないものはある。それに、呪術師ほどではないにしても補助監督もそれなりにお給金がいい。これから大学に編入して二年勉強し、それから働きに出るよりもいいような気がしたのだ。
うちの家庭は母が一人で祖母の面倒を見ているので、せめて金銭面では楽をさせてやりたい、というのが理由でもある。

付き合っているわけでもないわたしたちの終わりは呆気のないもので。梅が花を開いた肌寒さが残る三月の中旬に建人先輩の修了式が行われた。式と言っても、卒業するのは建人先輩だけなので、在校生で見送るくらいで。わたしと彼の関係を察していたらしい周囲は、わたしと彼を教室に残して寮へと戻っていった。これから寮で修了パーティーという名の鍋パーティーが行われる予定だ。鍋が完成するまでの間の足止めを頼まれたわたしは彼との最後の時間を過ごすように言われたのだとわかった。

「建人先輩、お元気で」
「貴方も、無理だけはしないように」
「灰原先輩みたいに死にませんよ。わたしは攻撃に特化してませんから」
「それでもですよ」
「はぁい」

お日様に当たる教室の窓際で机を挟んで向かい合うように座る。手が触れそうで触れない距離がもどかしいと思うと同時に、もう触れられないのだなぁ、と思うと僅かな寂寞が胸を通り過ぎた。
彼はこれから呪霊なんかと関わりのない、普通の世界を生きていくのだ。それを喜ばしいとも思うし、恨めしいとも思う。
もしも話は好きではないけれど、もし、もし、灰原先輩が生きていたら現在は変わっていただろうか。薄暗さが染み渡っている呪術界では珍しい根っこから明るかった灰原先輩。どうしてあの人が死ななければならなかったのだろう。これからの呪術師の人にはそういう目にはあってほしくないと思うからこそ、補助監督という道を選んだ。灰原先輩のように、わたしの同級生のように、死んでしまう呪術師が少しでも減る手助けができればと思った。

「建人先輩」
「なんですか」
「建人先輩も、お元気で。無理はしないでくださいね」
「えぇ、ありがとうございます」
「卒業、おめでとうございます」

笑みを浮かべて告げられただろうか。それだけが心配だった。建人先輩の表情からわたしの表情を読み取ることはできないけれど、哀しそうな顔はしていないから、きっと大丈夫だと思いたい。

「ありがとうございます。やっぱり、この場所を離れるのは少し寂しく感じますね」
「そうですか……。でも、新しい生活はきっと輝いていますよ」
「そうだといいのですけど」

幸の多い生活をしてほしい、と思う。きっと灰原先輩だってそう思ってくれているはず。
ゆったりと流れる時間に浸っていると、準備が終わったらしい潔高くんたちがわたしたちを呼びにやってきた。そのままみんなで寮に戻って鍋パーティーは開催されて、余興なんかをし始める後輩たちに笑いを提供してもらってお腹が痛くなるほど笑う。この時間がいつもでも続けばいいのに、と思ったことは胸の内に閉じ込めた。

修了式の翌日、建人先輩は呆気ないな、と思うほどあっさりと高専を出て行った。背筋がぴん、と張ったかっこいい背中に憧れを抱くのは死ぬまで変わらなさそうだ。

「さよなら、建人先輩」

届かないほど小さな声でつぶやいた。音はすぐに空気に溶けてまるで最初から発されたものなどないかのような気分になる。わたしと彼の道はここで分かれたのだと容赦なく見せつけられた。けれど、後悔はない。ここに残ることを決めたのは自分の意思だ。

∴∵

わたしの体質のことに気づいたのは高専に残ってしばらく経ってからのことだ。長期出張で高専から姿を消していた五条先輩がわたしに会うなりこう言い放った。

「新しい人が入ったの?」

何を言われたのか分からず思わず条件反射で五条先輩の肩にグーパンチをした。いつもなら無下限が展開されているから当たるはずもなにのに、そのときはたまたま解除されていたようで、わたしの拳は先輩の方には当たらなかったが手で受け止められる。

「あれ。……あぁ、みょうじちゃんか」

名前を呼ばれてやっぱりいたずらだったのか、と思ったところで、五条先輩が不思議そうな顔をして、それから顎に手を当てて考え込む仕草をする。一体なんなんだ、と身構えていると、突然きれいな青い瞳でわたしのことをじっと〝見た〟のがわかった。

みょうじちゃんが把握してる自分の体質ってどこまで?」
「え、わたしが把握してるのは〝ひとの記憶に残りづらい〟ってことくらいですけど」
「その体質さ、多分一ヶ月以上相手の五感への刺激がないと相手の記憶から君が消えるよ」
「はい……?」

突拍子もないことを言われて思わず、鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべてしまう。そんなことあり得るのだろうか。

「でも、今まで忘れられたことなんて……」
「本当に一度もない?」

そういえば美容院などでいつも同じところに行って同じ美容師さんに切ってもらうのに、まるで初対面のような対応をされたりはあったかもしれない。時間が空いてしまっているし、忘れられてるんだろうな、と適当に考えていた。

「でも、そんなことあり得るんですか?」
「実際今僕はスッパリとみょうじちゃんのことが誰かわからなかった」
「今はわかってますよね?」
「直接身体的接触があったからじゃないかな」
「じゃあ、長期間会わない時間があると」
「相手の記憶から消えちゃうだろうね」

ひとの記憶に残りづらいだけだろうと思っていたわたしの体質は、そんな簡単なものではなかったらしい。
五条先輩の見立てでは一ヶ月以内にその人の五感を刺激しないとわたしはその人の記憶の中に残ることができない、というものらしい。相手に思い出させるには身体的に接触をするしかないようで。
この話を聞いて真っ先に思い浮かんだのは建人先輩のことだ。もう半年くらい会話もしていなければ、途中からメールの返信もないなと思っていた。てっきり大学生活が忙しいのかと思っていたけれど、そうじゃないのかもしれない。

「大丈夫?」
「だいじょうぶ、です」

身体の温度が急に下がったような気がした。突然冷水を浴びたような、そんな気分だ。五条先輩に挨拶をして、それから補助監督が事務作業の仕事をする部屋に戻る。その途中の廊下で、携帯電話をポケットから取り出した。
おそるおそる電話帳から建人先輩の番号を見つけ出して、通話ボタンを押す。

「どちら様でしょうか」
「……あ、すみません。間違えました」
「いえ、では」

ぶつん、と通話を切られて、プーップーッと鳴り続ける音を呆然と聞いた。建人先輩の中のわたしは消えてしまっているのだと理解する。まさかこんなことになるとは思っていなかった。どうすればよかったのだろう。思い出は全部消えてしまったのだろうか。

まるで神様がちゃんと道を違えたことを理解しなさいと言っているようだ。