柔らかな世界の終わり・前

桜が満開になるかならないか、という時節に東京都立呪術高等専門学校に入学した。怯える事務員に案内されるまま、寮に入って部屋に通される。どうやら事前に送っておいた荷物はすべて揃っているらしい。

「では八時三十分には教室にいるようにしてください」
「はいはい」

事前に聞いた教室までの道を頭の中で反芻しながら、ベッドに寝転がって天井を眺めていると、外から自室のドアをノックされる。知り合いなんて居ないはずだけど、と思いながらはーい、と返事をしてベッドから起き上がりドアの方へ向かい、ドアを開た。

「なんですかぁーって、誰」
「お前と同じ一年生だよ。さっき事務の人に聞いて挨拶にな」
「それはどうもご丁寧に。俺は五条悟」
「夏油傑だ、よろしく」
「よろしくー」

開けた先には自分よりもがっしりとした体躯の男が居て、挨拶をしに来たなんて言う。律儀というかなんというか。普段崇め奉られることが多いからフラットな態度で接されると不思議な感覚を抱く。
夏油、と呼ぶと傑でいい、と返されたので、俺も悟でいい、と答えると名前を呼び合う関係になっていた。
傑に誘われるまま早めに一年生の教室に向かえば、すでに女子生徒がひとりぽつんと椅子に座って居た。教室に並ぶ机は全部で四つ。その一番ドア付近の席に女は座っている。おそらく机の数から推測するに、同級生は四人になるのだろう。自身と傑と目の前の女と、あと一人。高専生活はどうなることやら。
俺のときと同じように怖いもの知らずなのか傑はすでに座っている女に声をかけた。

「君、名前は?」
「……みょうじなまえ
「夏油傑だ、よろしく」
「俺は五条悟」
「ふーん、よろしくしなくていいよ」
「はぁ?」

名前を聞けばすんなり答えたが、よろしくしなくていい、なんて現代社会においてはまぁまぁ失礼に当たることを言ってのけた。こいつ中二病でも患ってんのか?と思ったのは言うまでもない。みょうじ、という苗字に違和感を覚えたけれど、そのときはさして気にしなかった。

指定された時間が来る直前に滑り込むように、最後のひとりがやってくる。みょうじと同じで女子だ。ショートカットに気怠そうな雰囲気をまとったそいつは、わたしが最後かよー、なんて言いながらみょうじの左隣の空いてる席に座った。
八時三十分になると同時に校舎にチャイムの音が鳴り響き、ガラリ、と音を立てて教室のドアが開かれる。サングラスをかけた強面の男が立っていた。手には日誌を持っているようで。明らかにその筋の人間にしか見えない男は入り口から教壇まで移動すると、手に持っていた日誌を教壇に置いた。それから入学式特有の挨拶を発する。

「あー、お前たちの担任になった夜蛾だ。くれぐれも問題を起こさないように過ごしてくれ。特にそこの六眼」
「まだなにもしてないのにひどくね?それでも教師かよ」
「悟。〝まだ〟と言っている時点でお前の負けだろう」
「出欠を取る。呼ばれた者は返事をしなさい」
「これだけしかいないのにやる意味あんのか?」

夜蛾、と名乗った教師は、俺たちの顔を眺めてひとりひとりの顔を確認しながら名前を呼ぶ。
まず最初に家入硝子、と呼ばれ、一番最後に教室にやってきた女子が返事をした。次に傑が呼ばれ、その次に俺。最後はさきほど仲良くしなくていい、なんて宣ったみょうじが返事をする。

「お前たち四人が今年の新入生だ。人数も少ないんだし、仲良くするように」

至極当たり前なことを言った先生の発言をみょうじはどう捉えるのだろう、と思って横目で盗み見ていると、彼女はどこ吹く風といった様子で気にも止めていないようだ。

学校生活は始まってみれば、当たり障りなく淡々と過ぎていく。気づけば二年生になっていた。変化したことといえば、家入を硝子と呼ぶようになったくらいか。みょうじのことは相変わらずみょうじと呼んでいる。名前で呼んだら返事をしないからだ。
一般教養の科目から呪霊や呪術に関する専門的なことまでを学ぶ。尤も、後者に関して今更教師に教わることは特にないけれど。実家にいたときに読んだな、と思う文献の話をされてもなんの面白みもない。
唯一楽しいことといえば、実戦形式の演習だろうか。お互いの術式は一年の実習で曝け出している。硝子は反転術式による回復、傑は呪霊操術、俺は無下限呪術。驚いたことにみょうじはの術式は式神使役だ。しかもとても強力な式神を従えていたので、傑の手持ちの下級呪霊を秒殺することも何度もあった。ただ、使いこなせているかと言われたら否、と答えざるを得ない。

その日の実習は俺と硝子対傑とみょうじという組み合わせでの実戦形式での演習だった。攻撃力的にはトントンといったところではあるが、みょうじの調子が悪いのか傑が困ったという表情を浮かべているのを何度か確認している。それでも防戦には成功しているのだから器用なやつだと思った。最終的に演習は当たり前のように俺と硝子の勝利で終わり、姿の見えなくなったみょうじの姿を各々探しに出るように夜蛾先生に言われる。行方不明の彼女のか細い呪力を辿ってその場所に辿りつく頃には、すでに傑が到着していたようだった。
遠目からしか確認出来ていないが、どうやら高い木の枝に干された洗濯物のようにぶら下がっている。また式神に揶揄われてんのか、あいつ。隠れるように傑とみょうじの様子を窺う。

「すぐるー」
なまえ。そんなところにひっかかってたのか」
「やばいよね、今日は式神が何一つ言うこと聞かなくてウケる」
「ウケないよ」

傑が自分の手持ちの呪霊を呼び出して宙ぶらりんになっているみょうじを地面に下ろした。地面に下ろされたみょうじはそのまま地面に座り込む。彼女を見下ろしている傑を見上げて見ながらぽつりと言った。

「知ってたでしょ」
「まぁ字は違ったけど、あまり聞き馴染みのない音の苗字だからね」
「……うちは私以外誰も生き残ってなかった。私だけ生き延びたと思ったら呪われていて、神様を落としてお前は疫病神だと遠縁のおっさんたちに罵られて牢獄入りでさ」
「……そうか」
「ねぇ、傑。〝呪術は非術師を守るためにある〟ってよくあなたは言うでしょう?」
「あぁ、そうだね」
「それは本当に――本当に、正しいの?」
「少なくとも、私は正しいと思っているよ」
「……そう」

盗み見ていた二人のやりとりに冷たい風が指先を掠めたような、心臓に小さく穴が開いたような感覚を覚える。俺が知らないなにかを傑は知っていて、それを知られていることをみょうじは認識していて。五条の力を使えば、自分には知らされていない〝それ〟を知ることは可能だろう。けれど、それをする気にはなれなかった。
式神の使役に失敗したみょうじは足を怪我していたらしく、傑に背負われて硝子の元に向かうようだ。二人の背中を見ながら、世界に取り残されたような気分になったのは、気のせいだと思うことにする。

あのことがあって傑と決別し、入学したときには四人いた同級生は硝子と俺とみょうじの三人になった。四つ並んでいた机は一つ減らされ、三つだけが教室に並ぶようになった。二年生になって、窓際から硝子、傑、俺、みょうじの順で座っていたので、傑の分の机が撤去されたことで、硝子、俺、みょうじの順で座るようになって。最初は感じていた違和感もだんだんと昇華されたのか、三年生が終わる頃にはなにも感じなくなっていた。
補助監督より渡された任務を見れば、珍しくみょうじと組んで行うもので。任務の内容は廃墟に呪縛している呪霊の除霊を行うというものだった。目的地の廃墟まで行く道中、ふたりっきりになったのでずっと胸の内に秘めていたことを数歩後ろをついてくるように歩く彼女に投げかける。

みょうじは傑と一緒に行くもんだと思ってた」
「向こうについて行ってもやりたいこともないし、非術師は嫌いだけど憎みたいわけじゃない。とりあえず金を貯めるためにここにいようかなって」
「そう」
「そう。むしろわたしからしたら、五条が高専に残るって言うのが意外だね」
「俺もやりたいことがあるんだよ」
「ふぅん」

興味を示していない返答に僅かな不満を覚えるけれど、表面に出すことはしない。こいつの抱えてるものはなんとなくわかってしまったけれど、本人がそれを見せないのなら触れるべきじゃないと思っている。
だんだんと禍々しい雰囲気を帯びてくる道に目的地が近づいているのだと確信した。任務に集中するか、と思ったところで、話が終わってから黙っていたみょうじに話しかけられる。虚をつかれてしまい、反応が遅れてしまった。

「傑は、優しすぎたんだ。あと理想が高尚すぎた」
「……たしかに、そうかもな」
「人間は術師非術師関係なく汚い生き物なんだって理解してなかったから、あんなことになるんだよ」
「オマエは理解してるのかよ」

問いかけに言葉を返ってくることはなく、自信満々な笑みを返された。まるで、当たり前だろう、とでも言うように。いつものっぺりとした表情を浮かべている彼女の見たことのない表情に目を奪われた。